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成果を生むためのブレイン・ストーミングの要件②

「成果を生むためのブレイン・ストーミングの要件①」の続きです。


適度な親密さ

各メンバーは同じ目標の実現のために一定の共通認識を持つ必要があります。したがってメンバー同士が親密であるほど生産性が高まります。そのためにはよいアイデアを出した個人を評価するのではなく、チーム全体で評価する必要があります。

しかしながらメンバーが親しくなり過ぎるのも問題です。暗黙の了解が生まれて意見が同質化し、予想外のものがなくなったり(その結果、刺激がなくなる)、他の意見に異を唱えにくくなったりすると、即興性は失われます。あくまで意見の相違から斬新なアイデアが創造されることを念頭に置く必要があります。


先へ先へと進める推進力

ブレイン・ストーミングでは、1つの話題の固定化が起こる(同じ話題が延々と続くようになる)ことが多いです。即興型のやりとりを促すために、他のメンバーの意見に深く傾聴した上で、その意見を拡大し、新たな意見を積み上げていきます。ただし1人1人が考える時間は取る必要があります。


適度なプレッシャー

グループの集中力を高めるためには、ある程度のプレッシャーが必要になります。

またアイデアの質を高めるためには、結果を求める姿勢が必要になります。たとえば事前に優れたアイデアを出すよう求められたグループは、そうでないグループよりもアイデアの質が高いという調査結果もあります。アイデアの質を高めるためには、最後に複数のアイデアに対し出席メンバーが気に入ったものに投票する、複数のチームを競わせるといったことも有効です。

ただしプレッシャーが強すぎると安易な解決策に走りがちでかえって創造性が失われることになります。特に期限を短く設定することは避けるべきでしょう。


訓練を受けた進行役

即興型のやりとりを促すためには、きちんと訓練を受けた進行役が不可欠です。進行役にはブレイン・ストーミングのルールを周知し守らせる責任があります。そのためにはルールを記した表示板を掲げておくことも有効です。


不断のコミュニケーション

自由闊達な意見交換の場は、会議室だけとは限りません。むしろ公の議論の場であると、上司や他の同僚の目を気にして自由闊達さは失われがちです。

またメンバー間の共通理解を促すためにも、日頃、休憩時などでの非公式なコミュニケーションも重ねるべきです。


このように見ていくと、結局は実際のブレイン・ストーミングでの議論の場よりも、その前の準備段階で成果が決まることがわかります。私は特にメンバーの人選でほとんど決まってしまうのではないかと思っています。

その場になって「何か良いアイデアを出せ」とか「みんなで協力しろ」とか言われてもまず無理でしょう。上手く議論が進まない場合には、これまで挙げた11の要件を満たしていないと考えてまず間違いないでしょう。

繰り返しになりますが、チームでのアイデア(意思決定)が有効となるのは、問題創造型の意思決定(そもそも問題や課題がよく分からず、それに対する解決策もよく分からない)で、即興型のやりとりが求められる場合です。単に個々の意見を積み上げていけば事足りる場合では、ブレイン・ストーミングを行う意味はありません。

さらに、たまにブレイン・ストーミングを行っただけでは上手く機能せず、成果も期待できません。業務の一環として頻繁にブレイン・ストームングが行われるという組織づくりが必要です。これは経営者レベルの課題になります。


【参考】
「凡才の集団は孤高の天才に勝る」キース・ソーヤー著 ダイヤモンド社
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成果を生むためのブレイン・ストーミングの要件①

さて、これまでの話を少し整理しましょう。「優れたグループのアイデアはどのように引き出されるか」で、優れたアイデアを生み出すためには即興型のチームが求められること、そして、「集団の智恵を引き出すための前提条件」では、意見の多様性、独立性、分散性、集約性の4つを挙げました。

今回は、これらの点を考慮しつつ、問題創造型の理想的なブレイン・ストーミングのあり方について考えてみたいと思います。11の要件を2回に分けて取り上げていきます。
 

完全な集中

優れたアイデアを引き出すためには、意識の集中が求められます。そのためには「1回の議論時間は45分から2時間までに留める」「1つの主題に焦点を絞る、1つの話題に集中させ、別の話題に移らないようにする」のも工夫の1つです。

また小休止を入れたり、グループ単位での議論と、個人の思考を入れ替えたりすることもよいでしょう。


適切な目標

完全な集中のためには適度の緊張感が必要になります。目標なくして意識の集中や緊張感は生まれません。また目標は挑戦意欲を掻き立てられるほどに高いほうが望ましいです。     

ただし実現不可能な目標であればメンバーの意欲を引き出すことはできません。またビジネス環境においては、チームは特定の問題を解決することが求められています。したがって目標には具体性が求められるものの、創造力を狭めないよう自由度の高いものとすることが望ましいです。


深い傾聴

優れたアイデアを創造するためには、チーム内での即興型のやりとりが求められます。つまりアイデアの融合です。よって、他のメンバーの意見やアイデアに対する深い傾聴が求められます。


自主性

チームであることのメリットを引き出すためには、各メンバーは安易に周囲の意見に流されず、独立性(集団のメンバーは他者の考えに左右されない)が求められるということです。


エゴの融合

チームで優れたアイデアを生み出すためには、自らの専門分野に基づいた意見の表明が求められます。チームのメンバーには、必要とされる技能や技術の分野を代表する者をすべて揃える必要があります(多様性の確保)。

さらに各メンバーは、創造的で独創的でありたいという強い動機を持ち合わせていなければいけません。逆に深い専門性を持ったグループに素人が混じっていたり、不熱心なメンバーがいたりすると即興性は期待できません。

ちなみにグループの参加者は3人から10人程度がよいとされています。あまり人数が多すぎると、社会的怠惰(結果責任はグループ全員に分散されるので、1人1人はさほど真剣に議論しなくなる)が生じるからです。1人1人が結果にコミットすることが求められます。


全員が同等
 
「エゴの融合」に関連しますが、即興的なやりとりを引き出すためには、全員が同等であることが求められます。

上司や権威者が入ると、その評価が気になって意見が控えられてしまいます。上司が加わる場合には、進行役にすべてを任せ、自身も他のメンバーと同様にルールに従う必要があります。

(以下、次回に続く)

思考の枠を外せますか?

 今回は少し息抜きがてら、私のお気に入りのクイズを取り上げたいと思います。

Q1:
 2人の男がテニスをしていました。5セットのプレイで、2人とも3セット勝利しました。なぜこのようなことがありえたのでしょうか?

Q2:
 ある男がココナッツを1ダース5ドルで買い、1ダース3ドルで売りました。これで彼は百万長者になったのです。どうしてでしょうか?

Q3:
 ある小さな町に住むある男は、同じ町に住む別々の20人の女性を妻にしました。どの女性もまだちゃんと生きていますし、20人のうち誰1人として離婚もしていません。それでも、この男は何の法律にも違反していません。なぜでしょうか。



 基本的にはすべて同じ構造で、自分の思考の枠を外して考えることが求められています。ただし、これほど「言うは易く行うは難し」の典型例もなく、なかなか上手くはいかないというのが現状でしょう。「いかに考えるか」まで示されなければ創造的にはなれません。アイデアの創造(イノベーション)のためには、何らかの考え方のパターンがあるのではないでしょうか。回を改めて考えていきたいと思います。


(答え)
A1:
2人はダブルスのパートナー同士だったから。

A2:
その男は慈善家で、大量のココナッツを購入して貧しい人々に安く売っていた。もともと億万長者だった彼は、そのボランティア活動で多くの金を失い、その結果、百万長者になってしまった。

A3:
この男は聖職者だったから。


【参考】
「凡才の集団は孤高の天才に勝る」キース・ソーヤー著 ダイヤモンド社
「ポール・スローンのウミガメのスープ」ポール・スローン、デス マクヘール著 エクスナレッジ
「イノベーション・シンキング」ポール・スローン著 ディスカヴァー・トゥエンティワン

集団の智恵を引き出すための前提条件③

「集団の智恵を引き出すための前提条件②」では、集団の智恵を引き出すための前提条件の4つのうち、意見の多様性について取り上げました。今回は残りの3つについて見ていきましょう。今までと同様に問題創造型意思決定(そもそも問題や課題がよく分からず、それに対する解決策もよく分からない)が求められている状況を想像してください。


独立性(集団のメンバーは他者の考えに左右されない)

各メンバーが独立性を保つことで、あるメンバーが犯した間違いが他に及ばなくなります。また独立した個人は、みんなが既に知っている古い情報とは違う、新しい情報をもたらす可能性があります。

逆に集団のメンバーが互いに大きな影響を与え合ったり、互いの個人的なかかわりが強くなると、集団の賢明さは失われるようになります。同じことを信じ、同じ間違いを犯しやすくなるのです。

また状況が曖昧で不透明な場合には、みんな不安ですから、周りに同調するようになります。さらに権威者や上司がいると、その意見に異を唱えることは相当な覚悟がいるでしょう。

一般的に、過激な意見を持つ人は、穏健な意見の人よりも、自分の正しさを確信し、頑固な傾向があり(注)、その結果、集団の意見もそちらに流されるようになります。そうなると集団の意思決定はむしろ愚かなものになります。1人1人の独立した観点が求められるのです。


分散性(集団のメンバーは身近な情報に特化し、それを利用できる)

集団のメンバーが身近な情報に特化し、それを利用できると、各メンバーの独立性と専門性が高まります。


集約性(個々人の判断を集計して集団として1つの判断に集約するメカニズムが存在する)

分散性が高まると、個人の貴重な情報が全体に行き渡らないという事態も起こりかねません。またバラバラのままであったら意思決定も何もないでしょう。集約できなければ分散性自体、何も意味はもたらしません。そのためには集約性が同時に求められます。

注:
声高な少数派のことを、ノイジー・マイノリティあるいはラウド・マイノリティと言います。逆に物言わぬ多数派のことをサイレント・マジョリティと言います。
では、なぜ少数派の意見は声高になる(そして過激化する傾向がある)のでしょうか。たとえば農業の市場開放について考えてみましょう。その是非はともかく、一般的には多くの国民は安価な食料品の輸入により恩恵を受けるでしょう。一方、少数の農業従事者(労働人口の3%強)にとって、これは死活問題です。つまり仮に市場開放によって1国全体の利益(余剰)が増加したとしても、大多数の人にとってはせいぜい年間で数十万円の利益にしかならないのに対し、少数派の農業従事者にとっては数百万(場合によってはそれ以上)の損失になります。よって大多数の人は沈黙し、少数派は国会周辺などでのデモや政治家への陳情、マスコミ対策などを必死で行うわけです。
少数派が改革に頑強に抵抗するのには、大抵このような背景があるのです。

【参考】
「『みんなの意見』は案外正しい」ジェームズ・スロウィッキー著 角川書店

集団の智恵を引き出すための前提条件②

「集団の智恵を引き出すための前提条件」で、意見の多様性、独立性、分散性、集約性の4つを挙げました。このうち特に重要なのは意見の多様性です。知見の多様性と言ってもよいでしょう。

これについては、敢えて説明する必要はないかもしれません。もともと集団の意思決定が個人のそれよりも勝る可能性があるのは、問題創造型意思決定(そもそも問題や課題がよく分からず、それに対する解決策もよく分からない)の場合なわけですから、集団内の意見が同質的であれば、創造性に限界があり、失敗するリスクは高くなります。

集団を構成する個人の意見には正しい部分と誤っている部分があります。個々人の異なる見解に基づく意見をまとめてならすと、1人1人の個人が回答を出す過程で犯した間違いが相殺されるようになります。

また創造的な意見は個々の意見を融合させ進化させていくことで生まれるわけですから、当然、意見の多様性が求められるわけです。「ブレイン・ストーミングでよいアイデアは生まれるのか?②」で触れた話題の固定化も防げるかもしれません。また知見が多様であることで、いくつかの意見の中から正しいものを選択するプロセスも洗練されるようになるでしょう。

確かに意見が同質的なメンバーからなる集団のほうがまとまりがよく、意見集約はしやすいでしょう。しかしながらまとまりのよい集団ほど、外部からの情報や意見を拒絶する傾向があります。優れた意見(斬新なアイデア、イノベーション)とは、合意や妥協から生まれるのではなく、多様な意見の摩擦から生まれます。その点では極めて非効率な作業です

そう考えると職場でのミーティングでたいしたアイデアが生まれないのも納得できます。早く結論を出したい(効率性)というモーメンタム、メンバーの同質性という条件を満たしてしまうからです。

さて意見の多様性が重要である点は理解できると思いますが、1つ注意しておきたいのは、単にバラバラな知見を持ち寄ってもダメだということです。

課題や目標などの共通理解、基盤となる知識の共有、他の意見への深い傾聴が不可欠となります。見ているものが違うとまとめようがありませんからね。ありがちな異業種懇談会が上手く機能しないのもこの辺りにも原因があるのかもしれません。


【参考】
「『みんなの意見』は案外正しい」ジェームズ・スロウィッキー著 角川書店



集団の智恵を引き出すための前提条件

「不完全であっても1人1人のひらめきを誘発させ、それが正しい方向に積み重ねられるような環境を整備すれば、グループでの意思決定は個人の意思決定に勝ります。集団の智恵をグループ・ジーニアスあるいは集合知と言います。ここではグループ・ジーニアスの例を3つほどご紹介します。


<雄牛の重量当てコンテスト>

1906年、ある見本市で雄牛の重量当てコンテストが行われた。実際の重量に一番近い予測をした人が商品をもらえ、800人ほどが参加した。予測の平均値は1197ポンドで実際の重量(1198ポンド)とほとんど変わらなかった。


<クイズ「百万長者になりたい人は?」>

クイズ「百万長者になりたい人は?」では、解答者は4択問題に15問連続で正解したら賞金100万ドルがもらえる。番組の売りは、解答者が答えにつまったら、①選択肢を2つに狭めてもらう、②あらかじめ指定しておいた頭のよさそうな知人に電話をかけて答えを訊く、③コンピュータ投票システムを使いスタジオ内の聴衆(もちろん素人)にアンケートを取る、の3つの方法で助けを求めることができる。①は確率的に正答率は50%である。そして②(正答率約65%)よりも③(正答率約91%)のほうが正答率が高かった。


<ビンの中のジェリービーンズ>

ジャック・トレイナー教授は、クラスの学生56人に、ビンの中にジェリービーンズが何個入っているか当ててもらった。クラスの解答の平均値は871粒で、それより正解(850粒)に近かったのは、わずか1人だった。


さて、グループ・ジーニアスを引き出すためには、集団が次の条件を満たす必要があると言われます。

意見の多様性
 それが既知の事実のかなり突拍子もない解釈だとしても、集団のメンバーが独自の私的情報を多少なりとも持っている。

独立性
 集団のメンバーは他者の考えに左右されない。

分散性
 集団のメンバーは身近な情報に特化し、それを利用できる。

集約性
 個々人の判断を集計して集団として1つの判断に集約するメカニズムが存在する。


企業という場面で考えると、「熱意があり、それぞれ異なる専門性や視野を持ったメンバーが自律的に判断し、かつ結論を導く何らかの仕組みが整備されている集団がグループ・ジーニアスを生む」と言うことができます。冒頭に挙げた3つの例は、必ずしも4つの条件をすべて満たすものではありませんが、ビジネス環境においては十分に意識したい点です。この条件を考慮して有効なブレイン・ストーミングについて回を改めて考えていきましょう。

【参考】
「『みんなの意見』は案外正しい」ジェームズ・スロウィッキー著 角川書店

優れたグループのアイデアはどのように引き出されるか

1966年に592人の科学者の研究活動を調査した結果、もっとも多作な科学者は共同研究の機会も圧倒的に多いことがわかりました。また別の調査では、ノーベル賞受賞者41人とそれ以外の科学者を比較し、ノーベル賞を受賞していない科学者よりノーベル賞を受賞した科学者のほうが頻繁に共同研究をしていることがわかりました。

これまで集団の意思決定が勝るのは、問題創造型の意思決定の場合であること、ただしオリジナルのブレイン・ストーミングは上手くいかないことについて取り上げました。ではブレイン・ストーミングを有効に機能させるためには、どうすればよいのでしょうか。

まずは問題創造型の意思決定で求められることから確認しましょう。問題創造型意思決定とは、そもそも問題や課題がよく分からず、それに対する解決策もよく分からないという場合でした。よって、意思決定というよりはアイデアの創造といったほうがよいかもしれません。

このような場合では、何らかのひらめきが求められます。ひらめきは個人的なものですが、1人1人のひらめきが積み重なれば(集団でのひらめき)、より熟成したものになるでしょう。またこうした集団でのひらめきは、一度限りの個人のひらめきより早く成長するでしょう。

不完全であっても1人1人のひらめきを誘発させ、それが正しい方向に積み重ねられる(即興性を生む)ような環境を整備すれば、グループでのアイデアは優れた個人のアイデアに勝ることになります。

さらに、ひらめきは個人的なものですが、いくつかのひらめき(アイデア)の中から選ぶのは、条件が整えばグループのほうが優れています(注)。ここでのポイントは、優れた集団のアイデアは、1つ1つのアイデアを単に足し算して生まれるのではなく、掛け算的、つまりアイデア同士を融合させ進化させていくことで(シナジー)生まれるということです。

集団によるアイデアの創造は、よく即興劇やジャズにたとえられます。ジャズの歴史で黄金のカルテットと言えば、ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)、マッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルビン・ジョーンズ(ドラム)のカルテットで、バンド全体が一体となって演奏を繰り広げるという表現方法を確立しました。

コンサートでは、1曲の演奏時間が30分から1時間に及ぶこともざらであったようです。このように才能豊かなそれぞれのミュージシャンが、1つの方向の下でひらめきの連鎖によって時にはぶつかり合いながらも調和していくことで素晴らしい演奏が生まれていったのです。

即興劇においても同様で、予期せぬ役者のセリフがきっかけとなって新しいセリフが創造され、即興的にストーリーが出来上がっていくのです。

即興性はアートやカルチャーの場面に留まらず、イノベーションを生みだすすべての場面で観察されます。即興型のチームが優れたアイデアを生み出すのです。


注:
複数の選択肢の中から正しいものを選ぶためには、「グループのメンバーが多様な意見を持っている」という条件が必要になります。これについては回を改めて取り上げます。

【参考】
「凡才の集団は孤高の天才に勝る」キース・ソーヤー著 ダイヤモンド社
「みんなの意見」は案外正しい」ジェームズ・スロウィッキー著 角川書店

ブレイン・ストーミングでよいアイデアは生まれるのか?②

オズボーンのルール(批判厳禁、自由奔放、質より量、アイデアの結合)どおりにブレイン・ストーミング(仮にオリジナル・ブレイン・ストーミング)を行っても際立って独創的かつ斬新なアイデアは出てこないことが、研究により徐々に明らかになってきました。その理由は、次の3つとされています。


(1)生産性の阻害

グループのメンバーは、他のメンバーのアイデアに注意深く耳を傾けなければならない。よって、それに気を取られ、自分自身のアイデアに集中できない。グループのメンバーが多いほど、この傾向は強まる。

またグループの場合、提示されるアイデアは、メンバー間の議論の過程(アイデアの結合)で、いくつかの特定のカテゴリーに偏りがちである。話題の固定化が起こり、同じ話題が延々と続くようになる。


(2)社会的抑制

グループメンバーが、他のメンバーの目を気にしてアイデアをしまいこんでしまう。特に話題が議論を呼びそうなものである、グループ内にその道の権威や専門家、上司がいるとその傾向が強くなる。


(3)社会的怠惰

結果責任はグループ全員に分散されるので、1人1人はさほど真剣に議論しなくなる。

 

またオズボーンのルールの中には、「質より量」とありますが、本当にそうでしょうか?確かに最終的な質を上げるためにはある程度選択肢はあったほうがようでしょう。ただし結局は「質」が優先されるのは当然でしょう。また「無批判(単に「いいね!」の連発)」で本当に上手くいくのでしょうか?

ある研究によれば、批判を禁止したオリジナル・ブレイン・ストーミングと、質の高いアイデアを出すよう強く求めた(その結果、議論の過程で批判が生じる)ブレイン・ストーミングを比較すると、アイデア自体の数は前者が2倍多いものの、そのうち高い評価を得たアイデアは同数だったといいます。つまりオリジナル・ブレイン・ストーミングでは、単にガラクタが多くなっただけということです。

では、ブレイン・ストーミングは本当に効果がないのでしょうか?ブレイン・ストーミングを上手くやる工夫はないのでしょうか?これについては、回を改めて考えたいと思います。


【参考】
「凡才の集団は孤高の天才に勝る」キース・ソーヤー著 ダイヤモンド社

ブレイン・ストーミングでよいアイデアは生まれるのか?①

『「三人寄れば文殊の知恵」か「船頭多くして船山登る」か②』で、問題創造型意思決定においては、グループでの意思決定が有効となりうることを説明しました。

ビジネス環境においても、今後、問題創造型の意思決定が求められる場面が多くなるでしょう。そもそも問題や課題がよく分からず、それに対する解決策もよく分からないのであれば、意思決定というよりはアイデアの創造といったほうがよいかもしれません。グループでのアイデアの創造ということでは、ブレイン・ストーミングが有名ですね。

ブレイン・ストーミングとは、各メンバーがアイデアを出し合うことによって新たな発想の誘発をねらうものです。歴史は古く、1950年頃代初頭に考案者であるアレックス・F・オズボーンによって命名されたようです。

「1人の頭脳のひらめきが他の人々の持つ素晴らしアイデアに火をつけて、一連の爆竹のようにつぎつぎと鳴り渡らせる(連鎖反応を生む)」ことが理想です。

そのために、リーダーは問題の提示とともに、次のことを説明しなくてはならないとされています。

① 判断力は排除すること。アイデアに対する批判は翌日まで押さえておく。(批判厳禁)

② 「乱暴さ」が歓迎される。アイデアが突拍子のないものになるほどよい。調子はいつでも下げられるのだから、どんどん思い切った提案をすること。(自由奔放)

③ 量が必要である。下手な鉄砲も数打てば当たる。(質より量)

④ 結合と改良が大切である。自分のアイデアを出すばかりではなく、人の出したアイデアを改良する方法を提案しよう。また、いくつかのアイデアを組み合わせて別のアイデアを作り上げよう。(アイデアの結合)


同時に、「取り上げる問題は明確化しておく」「取り上げる問題は1つに絞る」「メンバーは5~10人が理想」「経験者と未経験者を混ぜたほうがいい」とされます。

ブレイン・ストーミングで出たアイデアはカード(ポストイット)に記入しておきます。一般的にはその後にKJ法によりグループ化、図解化して結論をまとめます。企業内研修などでご経験があるかもしれません。

しかしながら、1970年代中頃には、このようなブレイン・ストーミング(仮にオリジナル・ブレイン・ストーミングとしましょう)はあまり斬新なアイデアがでないことが研究結果によって明らかになってきました。グループで4つのルールを使うよりも、個々人で使ったほうが有効性が高かったのです。

どこに問題があったのでしょうか。また成果を上げるためにはどのように改善すればよいのでしょうか。次回以降、明らかにしていきたいと思います。

【参考】
「創造力を生かす―アイディアを得る38の方法」アレックス・F. オスボーン著 創元社

「三人寄れば文殊の知恵」か「船頭多くして船山登る」か②

さて前回、『「三人寄れば文殊の知恵」か「船頭多くして船山登る」か①』で、優秀な個人の意思決定と集団の意思決定のどちらが優れているかについて見ていきました。個人的な興味から、これまで何冊か書籍を読みましたが、実はあまりはっきりしません。

・求められる意思決定の内容によっては優秀な個人が勝る場合もあるし、集団が勝る場合もある。
・ただし集団が勝るためには、環境整備が条件となる。


ここからは現時点で私が理解していることとして、話を進めていきます。
まず「意思決定とは何か?」で触れたように、意思決定は大きく2つに分類できました。

プログラム化された意思決定
これまで何度も繰り返されていて内容が明確化されており、問題解決手順が既に存在するもの。


プログラム化されない意思決定
今まで経験したことがなく、内容が明確化されておらず、既存の問題解決手順がないもの。

今回は、意思決定を①問題解決型意思決定と②問題創造型意思決定に分けて考えてみます。


<問題解決型意思決定>

問題解決型意思決定とは、問題や課題がすでにはっきりしていて、必ずそれに対する最良の解決策が1つあるという場合です。

たとえば微分の問題を4人で相談して解答するというケースを考えてみましょう。この場合、仮に解答が割れたとしても、最も微分が得意な人の意見がおそらく正しいでしょう。この場合、そもそも4人で相談する必要はなく、最も得意な1人で解答すればよいわけです(もっともチェック役は必要ですが)。

先のプログラム化された意思決定の多くは、このパターンです。ビジネス環境においても、解がほとんど分かっている場合があります。

たとえば店舗での陳列法は、これまでの長年の研究から、だいたい方法論が決まっています。工場の作業員の動作の改善手順についても、IE(経営工学)の動作研究や作業測定の手法で行われるのが通常です。このように必ず最良の解決策が存在する場合には、その解決策を熟知している専門家が中心となって(場合によっては1人で)決めるほうが合理的でしょう。


<問題創造型意思決定>

問題創造型意思決定とは、そもそも問題や課題がよく分からず、それに対する解決策もよく分からないという場合です。未経験(不透明・不確実)な問題がこれに該当し、プログラム化されない意思決定とも言えます。

たとえば「これまでにないような新製品を開発する」「組織をよりよくする」「新たな経営方針を考える」といったようなものです。このような場合でも抽象的な問題意識はあるのですが(「今の製品はぱっとしない」「現在、組織が沈滞ムードである」「業績が冴えない」)、具体的な問題や課題レベルに落とし込まれていません。抽象的で未経験ですから、それぞれの問題に対するイメージや認識もまちまちで、何がベストな解決策であるのか誰も確信が持てません(そもそも事前に効果が分かりません)。

そうなると、意思決定を1人に委ねることは間違えるリスクが高くなり、グループでの意思決定(アイデアを出し合う)が有効になるのです。ただしこの場合でも、みんなの意見が必ず個人の意見よりもよくなるわけではありません。グループでの意思決定(アイデア)がよりよいものとなるには、条件を満たさなくてはならないのです。

次回以降、グループでの討議で用いられるブレイン・ストーミングを題材に、よいグループでの意思決定と悪いグループでの意思決定について考えていきます。

「3人寄れば文殊の知恵」か「船頭多くして船山登る」か①

ことわざや格言は往々にして矛盾しますが、これもケースバイケース、あるいはバランスの問題なのでしょう。

今回は「個人の知恵が勝つか、集団の知恵が勝つか」について考えてみたいと思います。とは言え少しややこしい話なので、今回はあくまで導入部です。

さて、チームビルディングやブレイン・ストーミング(※)の必要性が叫ばれています。「みんなの力を結集すれば必ずよいアイデアが生まれる」というわけです。

まさに、まさに。成功した新商品開発の多くが、チームビルディングの有用性を説いています。たとえば世界有数のデザインファームであるIDEOでは、ブレイン・ストーミングによって、次々と斬新なアイデアを生み出しています。ご興味がある方は、「発想する会社!」「イノベーションの達人!」(ともに早川書房)をお読み頂くとよいでしょう。
 
※各メンバーがアイデアを出し合うことによって新たな発想の誘発をねらうもの。

しかしながらその一方で、集まってアイデアを出し合ったものの発散して終わってしまったり、なんとか懇談会のように単なる飲みサークルになったりといったご経験もあると思います。実際、ブレイン・ストーミングは、メンバーが一緒にやるのではなく、各自が別々に考えたものを持ち寄ったほうが効果が高いという結果もあります。

また、優れたリーダーやアイデアマン(個人)による着想が成功を呼んだというケースも多く目にするわけです。歴史上、偉大な功績を残した科学者、作家、アーティスト、あるいはスティーブ・ジョブズといったカリスマ経営者は、そのイメージに近いかもしれません。

つまり「3人寄れば文殊の知恵」とは、「3人寄ればいいアイデアを生み出すこともある」「よい意思決定を行えるかもしれない」という程度で必ずそうなるわけではないということですね。

では個人の意思決定と集団の意思決定では、どちらが勝るのでしょうか。ある研究によれば、次のようになるとのことです。

   グループの平均的な個人の結論(ワースト)
  ≦グループの結論(グッド)
  ≦グループで最も優秀な個人の結論(ベスト)


また、スニーゼックはグループの異なった意思決定の方法の結果を比較してみました。

①話し合いによるコンセンサス方式
②自分の意見のバイアス(偏り)も含めて議論する対話方式
③話し合いで独裁者を決め、その独裁者が最終決定する方式
④話し合うことなく、匿名の意見書を出して共有し、結論が出るまでそれを繰り返す方式
⑤他のメンバーとまったく話し合わず、各個人が出した結論の平均を取る方式。

どれが最も意思決定の質が高かったでしょうか?

おおよそ想像がついたかもしれませんが、①から④は⑤よりも正確性が高く、そのなかでも③が最も質が高いという結果が得られました。ただしその独裁者も自分の意見をグループの平均的意見に調節することが多く、結果として正確性を下げていることが分かりました。

これらの研究は、「優れた個人の意思決定がグループの意思決定に勝る」ということを裏付けていますが、実際にはケースバイケースのようです(集団が優秀な個人を勝ることもある)。その話は今後考えていくとして、今回は「必ずしもグループの意思決定が個人の意思決定に勝るわけではない」と言うに留めておきます。

(参考文献:『経営意思決定の原点』清水勝彦著 日経BP社)

われわれは合理的に意思決定しているのか、できるのか?

前回、「意思決定とは何か?どう進めるのか?」で意思決定の合理的アプローチについて取り上げました。

しかしながら、合理的アプローチは、環境が安定している場合では有効ですが、環境の不確実や不透明性が高い場合には、なかなか上手く機能しません。経験がないことだとそもそも問題定義や原因特定ができないでしょうし、代替案の列挙や評価もできないでしょう。

これに関しては、「制約された合理性」という言葉があります。端的に言えば、人間は「ベストな解を選ぶ」のではなく、「ベターだと思われる解を選ぶ」ということです。

たとえばみなさんがマーケターで、ある新商品のPRをしたいとします。単純に考えても、「テレビ、ラジオ、雑誌、新聞、インターネットなどの中からどの媒体を使うのか(使わないのか)」「雑誌で広告するとしたらどの雑誌か」「DMを打つか(打つとしたら誰に打つか)」「SNSを使うとするとしたらどうするか」「イベントはどうするか」など様々な選択肢が考えられます。

しかしながら、情報面・能力面での限界がある以上は、すべてを列挙することは不可能でしょうし、また選んだ選択肢が最良である保証もありません。

よって、とりあえず集められた選択肢の中から自分が考える水準をとりあえず満たしそうな選択肢を選ぶことになります(満足化基準による意思決定)。もちろん選んだものよりもよい(最良の)選択肢が存在する可能性は十分にあります。

さらに繰り返しになりますが、人間にはできるだけ行動をパターン化、プログラム化しようとする傾向があります。合理的アプローチも一種の行動のパターン化ではありますが、複雑なパターンです。よって省略化しようとします。

具体的には今までの経験や知識をもとに直感的に判断す>ということです(このことをヒューリスティックといいます)。たとえば今から約1万年前、1人のブッシュマンがアフリカの草原でサーベルタイガーに出くわしたとします。彼が合理的アプローチに基づいて意思決定をしていたらどうなるでしょうか。そうです、食べられます。この場合、とにかく「すぐ逃げる」です(注)。

満足化基準による意思決定やヒューリスティックは、資源制約のある中で、複雑な問題に対処するための智恵と言えます。おおよそのことはこのアプローチで解決できます。

しかしながら単純化された分、浅はかな決定を招くことにもなります。この点については、行動経済学または認知心理学の観点から考えていきます。

注:
快・不快(恐怖)に関する感覚は、人間に遺伝的に深く組み込まれています。クモやヘビを赤ん坊に見せると、噛まれたどころか見たこともないはずなのに、大抵は怖がるという研究結果があります。これは太古の我々の祖先にとってクモやヘビが大いに脅威であったことが遺伝的に組み込まれているからと考えられています。男性の女性に対する好み(逆も)が昔からほとんど変らない(たとえばヒップとウエストの比率が10対7とか)というのも同じことです。

【参考】
「組織の経営学―戦略と意思決定を支える」リチャード・L. ダフト著 ダイヤモンド社
「人生の科学 無意識があなたの一生を決める」デイヴィッド・ブルックス著 早川書房

意思決定とは何か?どう進めるのか?

遅ればせながら意思決定について、定義しておきたいと思います。一般的には、意思決定とは、「問題を特定し解決するためのプロセス」です。また意思決定は様々な基準で分類されますが、ここでは「プログラム化された意思決定」と「プログラム化されない意思決定」に分けて考えてみます。


プログラム化された意思決定

これまで何度も繰り返されていて内容が明確化されており、問題解決手順が既に存在するものです。定型的意思決定とも呼ばれます。企業で言えば、現場に近いレベルで行われる業務的な意思決定がこれにあたります。


プログラム化されない意思決定

今まで経験したことがなく、内容が明確化されておらず、既存の問題解決手順がないものです。こうした意思決定が行われるのは、組織が未経験の問題に直面し、どう対応してよいのか分からない場合です。よって、明確な意思決定の基準は存在せず、代替案も曖昧です。提案された代替案が問題を解決してくれるかどうかも分かりません。非定型的意思決定とも呼ばれます。

企業で言えば、より経営陣に近いレベルで行われる戦略的な意思決定がこれにあたります。ただし現場レベルにおいても、ゼロベースで業務内容を見直したり、斬新な新商品を開発するといった場面では、プログラム化されない意思決定と言えるでしょう。

さて人間は、できるだけ行動をパターン化、プログラム化しようとします。多少の状況の違いがあってもだいたい似ているものは「同じ」とみなさなければ、とても日常生活は送れないでしょう。意思決定についても同じで、できるだけ合理的でシステマティックに行おうとします。一般的には次のようなプロセスになります。


<問題を特定する段階>

・外部・内部情報をモニターして異常(問題)はないかを確認する
・意思決定の問題の本質を具体的に定義する
・意思決定の目的を明確化する
・問題の原因を分析・検討する



<問題を解決する段階>
・解決策の代替案を策定する
・代替案を評価する
・最良の代替案を選ぶ
・選ばれた代替案を実行する



このような意思決定のアプローチは、合理的アプローチと呼ばれます。


【参考】
「組織の経営学―戦略と意思決定を支える」リチャード・L. ダフト著 ダイヤモンド社

カテゴライズは難しい

 初めて間もない当ブログですが、早くもカテゴライズ化不能になりました。たとえば意思決定論、ロジカルシンキング、クリティカルシンキング、経営組織論、ミクロ経済学は重複するといった具合です。分野ごとの境界の曖昧化、知識の複合化が急速に進んでいる以上は、当然、予想されたことではあります。他の分野を取り込むことで進化が成立することを考えれば当たり前かもしれませんが…。私も書店に行った際に「この手の本はどこにあるのだろう?」と、売り場を数箇所見て回ることがあります(今では検索機を使うようになりましたが)。
 参考までに書店での「ビジネス書」棚構成は、一般に次のようになるようです。

●ビジネス(6)
ビジネス教養、ドキュメンタリー、自己啓発、開業、転職、業界
●経営(12)
経営全般、経営学、経営管理、マーケティング・流通、ファイナンス、会計・簿記、税務、 企業法務、人事・労務、広告、ベンチャー、経営読み物
●経済(7)
経済全般、日本経済、世界経済、経済学、財政、金融、統計学
●ビジネス資格(3)
金融資格、会計・税務資格、ビジネス資格

 本当にこんなので分けられるのかな?おそらくビジネス教養はジャンル分けできなかった色々なものがごった煮になっているのでしょう。少々苦しい感じがします。
このブログでも、カテゴリー分類は一応していますが、「だいたいこの手の話はこのジャンルの本に書かれていることが多いかなあ」という私の甚だ主観的な感覚によるものです。後でカテゴリーを変えることもあります。少し苦しいカテゴリー分けですが、ご了承ください。

東京五輪のエンブレムはまったくのオリジナル?②

他人の思考や経験に触発されずに自分1人で行うことは、どんなによくても、いささかつまらないし単調だ。」(アルバート・アインシュタイン)


前回、「東京五輪のエンブレムはまったくのオリジナル?①」で、制作者の佐野研二郎氏のオリジナリティについて、取り上げました。ここで2つの興味深い心理学者の実験を紹介したいと思います。長いので少し端折っています。詳しくは末に記載してある参考書籍をご覧ください。


(1)マイヤーの実験

大きな部屋に2本のロープを天井から吊るし、その間隔は、片方のロープを掴み、もう一方のロープのほうに歩いて行っても、そのロープには掴めない程度の距離とした。部屋にはポール、ペンチ、椅子、延長コードを置き、個々の被験者に、2本のロープを何らかの方法で結ぶ方法を考えさせた。

ほとんどの被験者がポール、椅子、延長コードを使った3つの解決法を思いつくことができたが、ペンチを使う第4の解決法については浮かばなかった(答えは、部屋の中央に吊るされたロープにペンチを括りつけ、これを壁のほうのロープに向けて振り子のように揺らしておき、今度は壁に近いほうのロープを掴んで中央に戻り、ペンチをつけたロープが手の届くところまで揺れてきたときに、ぱっと掴む)。

そこでマイヤーは、この解決法を10分以内に思いつかなかった被験者(全体の600%)に対し、何気ないヒントを与えた。窓の方に歩き出し、その途中で、一方のロープに「たまたま」触った振りをして、そのロープを揺らしたのである。その結果、1分以内に40%の人に突然、ひらめきが走り、第4の解決策が浮かんだのである。

実験終了後、どうしてこの解決策が浮かんだのか尋ねると、1名を除き、突然のひらめきだったと答え、マイヤーがロープに「たまたま」触れたことがきっかけだったと自覚している者はいなかった。


(2)クリスチャン・シャーンとケビン・ダンバーの実験

2日間、生物学専攻の学生を集め、2つのグループに分け、2日目に「なぜ一定の遺伝子の活動が抑制されているか」について問うた。ただし、第1グループには初日に解答のヒントとなるようなウィルスに関する問題を与え、第2グループにはまったくヒントとならないような問題を与えた。

正答率は、当然、第1グループのほうが高かったが、このグループにいた学生のうち、初日に出されたウィルスの問題がヒントとなったことを意識した者は1人もいなかった。また「初日と2日目の問題の共通点は何か」を具体的に尋ねられても、初日に2日目の問題のヒントが与えられていたことに気づいた者はいなかった。


この2つの実験から言えることは、被験者たちは、自分が独りで洞察を得たと信じているが、実際には何らかの「社会的出会い」が引き金となってアイデアが浮かんだということです。文学であれ、アートであれ、学術上の理論であれ、おおよそアイデアとは、個人の直感的なひらめきなどではなく、過去の社会的な交流やコラボレーション、過去に得た知識・知見がベースとなっているということです。

このことは、ラテラル・シンキング(水平思考)やイノベーションを考える上でとても重要なことなので、また回を改めて考えていきたいと思います。

今回の佐野氏がどうだったかは分かりません。ただし、ベルギーの劇場のものかはともかく、過去に似たようなものを佐野氏が目にしていて、それが五輪のデザインに何らかの影響を及ぼした(ただし本人は自覚していない)と考えることはできないでしょうか。

ただし、この場合、佐野氏に責を問うのは酷な気がします。なにせアイデアとは何らかの模倣なわけですから。劇場のロゴをデザインしたオリビエ・ドビ氏が国際オリンピック委員会(IOC)に使用差し止めを提訴したようですが、果たして盗作だとどのように立証するのでしょうか。どのような判断がされるか興味深いところです。


【参考】
「凡才の集団は孤高の天才に勝る」キース・ソーヤー著 ダイヤモンド社

東京五輪のエンブレムはまったくのオリジナル?①

良い芸術家は真似をする。偉大な芸術家は盗む。(パブロ・ピカソ)」

2020年東京五輪のエンブレムがベルギーのリエージュ劇場のロゴと酷似していると指摘され、問題となっていることはみなさんご承知のとおりです。これに対して制作者の佐野研二郎氏のコメントを、ネット上の記事から引用します。

「驚いたとともにショックで、つらいと思った。ベルギーに行ったこともないし、ロゴも見たことがない」と表情を硬くして釈明。その上で、劇場ロゴがTとLの文字でつくられていることを指摘し、「こちらはTと円がベース。デザインの考え方が全く違う」と訴えた。

その後、佐野氏のデザイン事務所が請け負ったサントリービールのキャンペーン賞品、トートバッグのデザインについても盗用との指摘があり、30種類のうち、8種類を取り下げ、佐野氏自ら委託先および内部デザイナーの管理責任について謝罪する(五輪エンブレムの盗用については改めて否定)という事態にまで発展しましした。

私個人としては、トートバッグのデザインはともかく、五輪のエンブレムについては佐野氏にやや同情する部分もあるのですが、確かな情報もありませんし、そもそも知的財産権についての知識も持ち合わせていませんので、白黒を言える立場ではありません。今後、新たな事実というものが出てきて、印象も変わるかもしれません。

ただし今回、佐野氏のコメントを聞いていて改めて感じたことは、デザイン企画や発明、もっと広げれば「発想」という場面で、「まったく個人の直感的なひらめきでアイデアが生まれるのか?」ということです。結論から言えば、文学であれ、アートであれ、学術上の理論であれ、おおよそアイデアとは、程度の差こそあれ、何かの模倣か応用だということです。まったくのオリジナルなどというものはないとも言えます。

少し長くなるので、今回はこれくらいにして、次回、心理学者の実験を紹介しながら、この点について考えていきたいと思います。

ロジカル・シンキングの罠

「なんとかシンキングあれこれ」で、バーティカル・シンキング(垂直思考)について、次のことをお話しました。

・ある事実の束から疑えない結論を導き出す思考法
・目的の1つとして、「自分の問題解決力を高めること」がある
・問題解決力は「問題を発見する力」と「問題を分割する力」の2つに集約される

その一方で、「斬新なアイデアの発想(ラテラル・シンキング)と論理の構築(バーティカル・シンキング≒ロジカル・シンキング)はまったく別のものである」とも言いました。この点について、もう少し整理してみます。

確かにロジカル・シンキングを駆使することで、問題や課題を発見できそうな印象があります。もちろん、そういったこともあるのですが、かなり限界があることも事実です。

ビジネス・モデルを例に考えてみます(ビジネス・モデルの設計もある意味、新たな問題や課題の解決策と言えます)。極めて論理力に優れた人が、ロジカル・シンキングで「こういうニーズがあり、その市場規模はこれくらい見込め、それを攻略するにはこうすればいい」と非の打ち所がない完璧なロジックでビジネス・モデルを組んだとしましょう。投資家は大喜びで飛びつきます。たけど事業は失敗に終わりました。なぜか?

そのビジネス・モデル(ロジック)の前提となる外部環境が変わってしまったからです。たとえばテクノロジーの進化でニーズが無くなったとか(注1)、予期せぬ他社が先に参入してしまったとかいったケースです。優れたアイデアを持ちながら失敗したケースが山のように戦略論の書籍には紹介されていますが、その多くはこのパターンでしょう。


このように前提が変わるとそのロジックは成り立ちません(注2)。あるいは前提を誤ると、当然ながら誤ったロジックになります。誤った前提の下でいくらロジックを磨いたところで、それは視野狭窄になるだけというわけですね。もちろんロジック自体が誤っているということも十分ありえます。

ロジックとは、結局は自分の考えるロジックで、ロジカル・シンキングはそれに磨きをかけるためのものという側面もあるのです。そして自分の固定観念にとらわれることなく新たな問題や課題を発見するためには、ラテラル・シンキング(水平思考)が求められてきます

1か所に穴を掘り進んでいくと別の場所にもう1つの穴を掘ることができなくなる。垂直的思考は、このように同じ穴を深く掘ることであり、水平的思考は、別の場所にも穴を掘るという考え方である。」エドワード・デ・ボノ(コンサルタント)


ロジカル・シンキングの第1の目的として、多くの書籍では、「論理的なメッセージを伝えることで、相手を説得して、自分の思うような反応を相手から引き出すこと」を挙げています。そうであるならば、ロジカル・シンキングは、「問題に対する適切な解を発見するツール」というよりも「説得のためのコミュニケーション・ツールと捉えたほうがよいのではないでしょうか。

もちろんビジネス環境において、「相手を動かす」というのは不可欠な要素ですから、ロジカル・シンキングは有用なツールであることは否定できない事実です。ただし、だからこそ、その限界も意識して活用する必要があるでしょう。

注1
以前、「誤った二分法③」で紹介したソニーのMD(ミニ・ディスク)は、この例でしょう。家庭用VTRの失敗を教訓に、ソニーはほぼ完璧といってよいロジックでMDを展開しましたが、予想できなかったインターネット環境の急速な進展から、北米などではほとんど普及しませんでした。
注2
高度経済成長期のビジネス・モデルでは立ち行かなくなった総合スーパーや百貨店、インターネット通販時代に対抗できない書店や文房具店、国内生保などは典型例でしょう。

【参考】
「これからの思考の教科書」酒井穣著 ビジネス社
「ロジカル・シンキング―論理的な思考と構成のスキル」照屋華子、岡田恵子著 東洋経済新報社

なんでもありな経済学②

前回の「なんでもありな経済学①」では、経済学とは「社会がその希少な資源をいかに管理するかを研究する学問」であり、経済学を理解するための4つのヒントとして、インセンティブ、トレードオフ、トレード、マネーを紹介しました。そこから得られる経済学の示唆として、経済学の十大原理というものがあります。

人々はどのように意思決定するか
① 人々はトレードオフ(相反する関係)に直面している
② あるものの費用は、それを得るために放棄したものの価値である
③ 合理的な人々は限界的な部分で考える
④ 人々はさまざまなインセンティブ(誘因)に反応する

人々はどのように影響しあうのか
⑤ 交易(取引)はすべての人々をより豊かにする
⑥ 通常、市場は経済活動を組織する良策である
⑦ 政府は市場のもたらす成果を改善できることもある

経済は全体としてどのように動いているか
⑧ 一国の生活水準は、財・サービスの生産能力に依存している
⑨ 政府が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇する
⑩ 社会は、インフレ率と失業率の短期的トレードオフに直面している

ここでは1つ1つについて取り上げず、回を改めて見ていくことにします。

さてエコノミストによっても立場はいろいろです。テレビ番組での応酬もよく見かけますね。ただし市場での自由な市場競争や自由貿易(TPP)、労働規制撤廃に反対する人はあまりいません。それは上記の経済学の十大原理という共通理解があるからです。市場での自由な競争と取引(個々の利益の最大化)の結果、社会全体の経済的な豊かさ(社会的総余剰)が最大化されるというわけですね。

ただし誤解してはならないのは、経済学でも「なんでもかんでも市場での競争がよくて結果は自己責任だ」と言っているわけではないということです。

市場メカニズムが働いた結果において経済的な効率性が達成されていない現象を、まとめて「市場の失敗」と言います。

たとえばそもそも市場取引に向いていないというもの(言い換えれば価格が付けられないもの)もあり、この場合、供給が過剰(例:公害)となったり過少(例:公共性が高いもの)となったりする場合があります。

このことと関連しますが、個々の利益の最大化(あるいは短期的な効果)がかえって全体の利益(あるいは中長期的な効果)を損なうという合成の誤謬という問題もあります。たとえば個人で考えれば貯蓄は合理的な選択ですが、みんなが貯蓄に励めば国全体の消費が低下し(その結果、モノの値段が下がり)景気は悪くなります(※注)。

自由競争による所得格差が資産格差を生み(このこと自体はあまり問題視しません)、その格差が代々継承される(場合によっては増幅される)ということもあります。このような問題への対応も経済学の重要なテーマです。

こうした共通理解があるにもかかわらず、なぜエコノミストたちはせっせと論争に励むのでしょうか。私には、論争のほとんどが「個と全体、あるいは短期や中長期といった期間の認識の違い」というようにも思えてくるのです。

【参考】
「マンキュー経済学Ⅰ ミクロ編(第3版)」N.グレゴリー マンキュー著 東洋経済新報社

※注:
デフレ不況は、ある意味、このような企業(内部留保を積み増す)や個人(貯蓄に励む)の合理的な選択の結果とも言えます。

なんでもありな経済学①

今回は経済学の第1回目ですので、恒例の定義から入ります。

一般的には、経済学というとおカネの話、GDPの話、産業の話なんていうものをイメージするのではないでしょうか?
ちなみに10年ほど前に「ヤバい経済学」という本が流行りました(確か映画化もされたはず)。どんなことを扱っているかというと…

・不動産広告の「環境良好」の隠された意味って?
・90年代のアメリカで犯罪が激減したのはなぜ?
・勉強ができる子の親ってどんな人?
・銃とプール、危ないのはどっち?
・相撲の力士は八百長なんてしない?
・学校の先生はインチキなんてしない?
・ヤクの売人がママと住んでいるのはなぜ?
・出会い系サイトの自己紹介はウソ?
・ウィキペディアは信頼できる?

おおよそ経済らしくない話ですね。ただし筆者の1人はシカゴ大学の経済学教授で、2年に1度40歳未満で最も優れたアメリカの経済学者に贈られるジョン・ベイツ・クラーク・メダルを受賞しています。

少し寄り道をしましたが、「経済学とは何か」に戻りましょう。経済とは「生活において相互にかかわりあっている人々の集団」です。そして多くの書籍では、おおよそ次のように定義されています。

経済学とは、社会がその希少な資源をいかに管理するかを研究する学問である。

うーん、これでも分かりにくい。ということで少し見方を変えて経済学を理解するための4つのヒントというものを紹介したいと思います。


インセンティブ
要は人々が反応するアメとムチ。

トレードオフ
あっちが立てたばこっちが立たず。車を買えば海外旅行には行けない。遊んでいれば試験には受からない。

トレード
交換、交易、貿易。要は取引、やりとり。

マネー
「所得(稼ぎ)」と「価値(価格)」の2つの側面がある。

少し乱暴ですが、この4つのいずれかが少しでも絡めば経済学の領域ということになるのです。「ヤバい経済学」の内容は主にインセンティブの話なので、やはり経済学の本と言えてしまうわけです。もちろん個人でも企業でも国でも取引と言えるものは(マネーが絡まなくても)なんでも対象になるのですね。

【参考】
「ヤバい経済学 [増補改訂版] 」スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー著 東洋経済新報社
「マンキュー経済学Ⅰ ミクロ編(第3版)」N.グレゴリー マンキュー著 東洋経済新報社「本当の経済の話をしよう」若田部昌澄、栗原裕一郎著 筑摩書房

なんとかシンキングあれこれ

世の中的には「なんとかシンキング」的なものが多くあります。思いついただけで、ストラテジック・シンキング、ラテラル・シンキング、ロジカル・シンキング、ビジュアル・シンキング、バーティカル・シンキング、システム・シンキング、デザイン・シンキング、レバレッジ・シンキング…。

場合によっては無限に出てきそうな感すらあります。論理学やフェルミ推定なんていうのもありますね。

すべての「シンキング」について網羅したわけではありませんが、おおよそ①バーティカル・シンキング、②ラテラル・シンキング、(③)クリティカル・シンキングの3つが代表的で一部のものを除けばいずれかに含まれると考えて問題ないと思います。一般的な定義は次のとおりです。


バーティカル・シンキング(垂直思考)

ある事実の束から疑えない結論を導き出す思考法。事実と提案(結論)の間に、疑えない因果関係を生み出す思考とも言えます。 

・第1の目的は、自分の説得力を高めること。きちんとした事実をベースにして理由を積み上げた上に提案(結論)があるのが、ビジネスにおけるコミュニケーションの基本構造です。単なる思い込みや推測、成立しない因果関係の場合はこの基本構造が崩れてしまいます。

・第2の目的は、自分の問題解決力を高めること。問題解決力は「問題を発見する力」と「問題を分割する力」の2つに集約されます。

ロジカル・シンキング(ロジック・ツリー、MECEなど)とほぼ同義で扱われるケースが多いようです。システム・シンキングなんていうのもこれに含めてよいと思います。いわゆる左脳型(注)の思考法です。


ラテラル・シンキング(水平思考)

斬新なアイデアを生むための思考法。いわゆる発想法の類が該当します。ツールとしては、マンダラートやオズボーンのチェックリストが有名ですね。いわゆる右脳型の思考法です。


(③)クリティカル・シンキング(批判的思考)

以前ご紹介しましたが、建設的な批判精神に基づく思考法。相手の論理の検証を行うこと、そして①で構築した自分の論理を確かなものにすること(ツッコまれないようにすること)が目的です。カッコとしているのは、①とセットでだからです。またクリティカル・シンキングというタイトルの本でも実際にはロジカル・シンキングの本であったりするケースもあります。


さて、①から③まで個別に挙げましたが、実際にはセットで考える必要があります。ラテラル・シンキングで仮説(アイデア)を立て、バーティカル・シンキングでそれを論理的に固め、クリティカル・シンキングで検証するというのが基本的な流れです。

また、ここで強調しておきたいのは、斬新なアイデアの発想と論理の構築はまったく別のものであることです。一般的には、問題の発見(課題設定)はバーティカル・シンキングとされるケースが多いですが、今までに経験がなく、これまでとは異なる観点が求められる場合には、ラテラル・シンキングが求められてきます。バーティカル・シンキングとラテラル・シンキングでは、求められる状況も思考の進め方もまったく異なります

それぞれの進め方については、回を改めて考えていきます。


注:
近年の研究によれば、脳ミソがぱっかり右と左に分かれて個別に活動しているわけではなく、互いに作用し合って活動しているというのが正しいようです。まあ便利なので右脳(論理)・左脳(創造)という言葉を使っているとご理解ください。

【参考】
「これからの思考の教科書」酒井穣著 ビジネス社

ブログのご紹介

 ご覧頂いてお分かりになるように当ブログは文字ばっかですので、多分お読みになっていて疲れると思います。そこで私の知り合いのブログを紹介したいと思います。

中小企業診断士・つるの恩返し

 女性ならではなのかは分かりませんがシビアな視点はご商売をなさっている方には参考になると思いますよ。
おしぼり造形など手先の器用さを活かした身近なアートもビジュアル的には楽しいです。個人的にはその能力も何かに活かしたらいいのではないかと思います。

人は無能になるまで出世する

経営組織論の2回目です。今回は少しくだけた内容を取り上げたいと思います。

それが事実であるかどうかは別として、「うちの会社の偉いさんは何でこんなにも無能ばかりなんだろう」と嘆息される方々もいらっしゃるでしょう。居酒屋でお馴染みの光景ですね。

さて「人は無能になるまで出世する」はピーターの法則と呼ばれるものです。要はこういうことです。


・平社員が能力を発揮すれば係長に出世する。

・係長に昇進した者のうち、さらにその地位での能力を発揮すれば課長に出世するが、そうでない者は係長に留まる。つまり係長の地位にいる者は、結局は係長としての能力がない者ということになる。

・課長に出世した者のうち、さらにその地位での能力を発揮すれば部長に出世するが、そうでない者は課長に留まる。よって課長の地位にいる者は、結局は課長としての能力がない者ということになる。

・部長に出世した者のうち…(以下、同じことの繰り返し)


かくして役職者はすべからくその地位に沿った能力のない者によって占められるというわけです。サラリーマンのみなさん、会社の仕組みが分かりましたでしょうか(笑)。実は「どんな優れたものでも、より困難な問題に次々とさらされていくうちに、やがては無効化する」という一般現象を、階層組織に当てはめたものなのですね。

もちろんピーターの法則は少し極端な見解(ある種のユーモア)ですが、優れたユーモアはいつも核心を突くものです。たとえば技術系の職種では、管理職コースとは別に専門職コースが設けられているのは、この法則に対する策とも言えなくはない。

さて、ピーターの法則に陥らないためには、どのようにすればよいでしょうか。組織側とすれば、「昇進前の管理者教育を徹底する」「その地位に求められる管理能力を事前に示した者のみ出世させる」といったことが妥当な方策でしょう。

なお著者は、個人側の立場として(自分が無能となる立場に置かれるのを回避するために)、「昇進を断る」「(昇進させられないように)変人ぶりを発揮する」といったどこまで本気かわからないような処方箋を提示しています(笑)。

このような法則(ある種のユーモア)には、パーキンソンの法則(※1)やマーフィーの法則(※2)などが有名です。居酒屋談義のネタくらいにはなるかもしれませんので、お暇なときにネットで検索してみてはどうでしょうか。

【参考】
「ピーターの法則 創造的無能のすすめ」ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル著 ダイヤモンド社

※1
(第1法則)仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する
(第2法則)支出の額は、収入の額に達するまで膨張する
※2
「高価な部品ほど壊れる」「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」などが有名。

組織的であるものないもの

経営組織論の第1回目ということで、経営組織論の定義から入ります。多少、抽象的な話になりますが、今後のイントロダクションとしてお付き合いください。

まず「そもそも組織とは何か?」から考えていきたいと思います。
なんとなく「複数の人々から成り立つもの」というようなイメージがあるかもしれませんが、あまり適切とは言えません。たとえばお互い見ず知らずの人々が集まった状態というのは、組織とは言えませんね。それは群集でしょう。

一般的に組織とは、「役割分担と統合・調整の仕組み」と言われています。組織のメンバーには、それぞれ役割が与えられます(分業体制)。ただし組織として1つの目標を実現させていくためには、それぞれバラバラなことをやっていてはいけませんね。よって、何らかの形で1つの活動としてまとめあげる必要があります。それが統合・調整です。
 
バーナードは、組織の成立条件として、以下の3つを挙げています。

共通目的
企業の場合、経営目的がこれに当ります。目的を共有した人々が集まったのが組織ということもできるでしょう。

貢献意欲
共通目的実現のために個人が貢献しようとする意思のことです。

コミュニケーション
上記の統合・調整の役割を果たすものです。

ですので、単なる群集があるリーダーによって役割分担され、1つの目的に向けて協調して動くようになると組織となる(組織化される)わけです。そう考えると多くの異業種懇談会や同好会がやがて空中分解していくのは、上記の3つのいずれかが足りないとも言えるかもしれません。ただの集まりを今後、組織としてワークさせていくためには意識するとよいと思います。


では経営組織論では何を扱うのでしょうか。大きくは組織構造論と組織行動論から成り立ちます。端的に言うと、次のような違いがあります。

組織構造論

組織の構造(仕組み)や形態を扱う分野です。「機能分業体制をどう構築するか」「階層構造をどう構築するか」「組織内の統合や調整をどう行うか」といったことが主要なテーマです。組織のハード面とも言われます。


組織行動論

組織内の人々の行動や心理を扱う分野です。モチベーション、リーダーシップ、組織文化、組織学習、組織変革、パワー関係、グループダイナミクスなどが主要なテーマです。


組織の話は、みなさんにとって身近な分、イメージしやすいと思います。ただともすれば、経験論、一般論、抽象論、印象論的になりがちです。たとえばチームビルディングや権限委譲といった組織上の施策は、無条件によいものと思われがちですが、その限界や制約にも注意していないとほとんど成果は得られません。

当ブログではできるだけ客観性に基づいて、組織について考えていきたいと思います。

戦略、戦略と言うけれど…④

前回の話(戦略、戦略と言うけれど…③)には、後日談があります。
ルメルトはローガンにどのようなアドバイスをするのでしょうか。数日後、再びローガンのオフィスに訪れたルメルトは、次のように切り出します(長いので短縮・加工しています)。


先日見せてもらった戦略プランはとても野心的だが、あれは戦略ではない。
私にはあれが有効とは思えないし、経営チームがあれに沿って行動を起こせるとも思えない。

私からアドバイスしたいのは、まず会社にとって最も有望な機会は何かを見つけることだ。機会を発見するためには、少人数のチームを編成し、1ヶ月ほど時間をかけて調査するといいだろう。

会社のサービスの買い手は誰なのか競合相手は誰で、どんな強みを持っているのか、どんな新しいサービスが可能か、開拓可能な見込み客は誰か、そういうことを調べるんだ。そこに飛躍のヒントが隠されているかもしれない。  

もし君が望むなら、このプロセスをお手伝いすることもできるし、調査結果を検討するに当ってアドバイスをすることもできる。こうすれば、1つか2つの最も魅力的な機会やブレークスルーにエネルギーを投入する戦略ができあがるはずだ。

今の君の方針では、モチベーションだけが頼りということになる。素直に言って、そのやり方は褒められない。ビジネスの競争は力と意志だけではどうにもならないからだ。モノを言うのは洞察力や差異化を図る能力だ。

ローガンは礼を言い、1週間後に別のコンサルタントを雇ったと連絡してきた。彼の下で、ビジョニングというエクソサイズをしているそうだ。望ましい将来のイメージを思い描くことであるらしい。「この会社はどれほど大きくなれるでしょうか」とコンサルタントが尋ねる。そして「もっと大きく」「もっともっと大きく」と要求する。

ローガンは喜んでいる。私も別の仕事ができるので喜んでいる。

(出典:「良い戦略、悪い戦略」リチャード・P・ルメルト著 日本経済新聞出版社)

戦略、戦略と言うけれど…③

前回(戦略、戦略と言うけれど…②)で、グラフィックアート会社を経営するローガンとルメルトの会話を取り上げました。曖昧模糊とした定義を考えるより、経営戦略ではないものを逆説的に考えたほうが早いかもしれません。みなさんは戦略について、どのような感想を持ったでしょうか。
以下、続きを抜粋してみます。

私が知りたかったのは、何か飛躍のきっかけになるようなもの、テコの支点となるようなものがあるのか、言い換えれば、この安定した小さな会社が急激に売上を伸ばせると考える理由が何かあるのか、ということだった。

戦略とは、力を何倍にもするテコのようなものである。もちろん、筋肉と意欲と綱があれば、大きな岩を運ぶことができるだろう。だがテコとコロを使うほうがずっと賢い

私には20/20プランが功を奏するとは思えなかった。戦略目標は、もっと具体的であるべきだ。たとえば顧客への応答時間を半分に短縮するとか、フォーチュン500社から契約をとる、などである。


ルメルトは、悪い戦略の特徴として、次の4つを挙げています。


空疎である

ある大手リテール銀行が基本戦略として、「顧客中心の仲介サービスを提供すること」を掲げています。仲介サービスというのは、要は「お金を預かって貸し出す」ということで、銀行の本業に他なりません。またサービス業であるのだから、顧客中心主義は当然でしょう。トートロジー的ですね。他に専門用語や業界用語で煙を巻くようなものもこれに該当します。


重大な問題に取り組まない

戦略とは、本来、困難な課題を克服し、障害を乗り越えるためのものです。その課題に立ち向かわないのであれば、意味を成さないし、評価することもできないでしょう。


目標を戦略と取り違えている

グラフィックアート会社の20/20プランがこれに該当します。これは業績目標です。


間違った戦略目標を掲げる

たとえばビジョンや理念を目標とするケースです。「従業員の満足度を高める」「信頼を勝ち取る」などは具体的な実行策という経営戦略の目標としては言い難いです。その他、寄せ集めの目標や非現実的な目標などがこれに当ります。

(出典:「良い戦略、悪い戦略」リチャード・P・ルメルト著 日本経済新聞出版社)

戦略、戦略と言うけれど・・・②


「良い戦略、悪い戦略」(リチャード・P・ルメルト著 日本経済新聞出版社)に興味深い内容がありました。少し長くなりますが、抜粋してみます(少し手を加えています)。みなさんは、どのような感想を持つでしょうか。


あるセミナーでローガンというグラフィックアート会社を経営する男と知り合った。ローガンはフットボール選手あがりの魅力的な男である。彼の依頼により、私(ルメルト)は彼のオフィスを訪問することになった。

「戦略はもう決まっているんだ。われわれは成長し、利益を上げる。残る課題は、その実現に向けて全員の士気を高めることだ。そのためには君に経営チームに戦略思考のコーチをしてほしいんだ。」

彼はそう言って、テーブル越しに「2005年度戦略プラン」と書かれた書類を渡してよこ
した。その中に「わが社の主要戦略」として挙げられているのは、次の項目だった。

・お客様に選ばれる会社になる。
・創造性にあふれる独自のソリューションを提供する。
・売上高を毎年20%伸ばす。
・利益率を最低でも20%確保する。
・意欲的に取り組む文化を根づかせる。
・オープンな意見交換のできる職場にする。
・会社の営業圏の地域コミュニティに貢献する。

同社の経営目標はシンプルである。売上高を毎年20%伸ばし、利益率を20%以上にすることだ(名づけて20/20プランという)。

「いろいろな人の意見を聞いてこれを作るのに3週間かけたんだ」とローガンは満足そうだった。「いい戦略だと信じているよ。みんな働いていることが誇りに思うような会社にしたいんだ。この戦略を実現したら、きっとそうなる」
 
「20/20プランは非常に意欲的な財務目標だと思う」と私は言った。「これを達成するにはどうしたらいいか、何か考えはあるのか」

ローガンは指で書類を叩きながら力強くこう言った。「フットボールの選手時代に学んだのは、勝利には力と技術が必要だが、それよりも何より勝つという意志が大事だということだった。成功の秘訣は高い目標を持つことだ、そうじゃないか?われわれは達成するまでやり抜く。それが大事だ。」

それは私が期待していた答ではなかった。

(続きは次回)

※リチャード・P・ルメルトは、英経済誌エコノミストの「マネジメント・コンセプトと企業プラクティスに対して最も影響力のある25人」にも選ばれた戦略論の世界的権威。これまで一般向けの著作がほとんどなかったため日本での知名度はそれほど高くはなかったが、上記著作の出版により注目を浴びた。

戦略、戦略と言うけれど・・・

さて、今回から4回経営戦略について考えていきます。第1回ということで、経営戦略の定義から入ります。

といっても、識者によって様々に定義があり、「明確にコレ!」というものがあるわけではありません。ただし、多くの共通理解として、「企業と環境とのかかわり方(環境適応のパターン)を将来志向的に示す構想であり、企業行動に一定の方向性や指針を提供するもの」というものがあります。

企業は生物と同様、外部環境に依存します。外部環境が変れば企業も変らなくてはなりません。そしてそのための指針が経営戦略だというわけです。指針ですから、長期的な展望に基づいたものということもできます。日々の業務とは次元が違うとも言えます。

「経営戦略=環境変化に対応するための指針」と言いましたが、この環境変化への対応とは、単に受動的に対応するということだけでなく、環境変化を先取りする、あるいは自ら環境に働きかけるといった能動的なものも含みます。

また、環境には外部環境だけでなく、内部環境(内部資源)もあります。内部資源が充実すれば、当然、打ち手も変ってくるでしょう。たとえば豊富な資金を手にすれば、より積極的な策を講じることができるといった具合です。

もっとも、「経営戦略=環境変化に対応するための指針」と言っても、まだモヤモヤした感がありますね。経営戦略の決定ときたら、具体的にはどのようなことを決めるのでしょうか。

経営戦略にはレイヤー(階層)があります。企業戦略(企業レベルでの戦略、成長戦略とも言う)、事業戦略(事業レベルでの戦略、競争戦略とも言う)、機能戦略(マーケ、財務、人事、情報、生産といった職能レベルの戦略)の3つです。

もっとも大抵の経営戦略の本では、企業戦略と事業戦略しか扱っていませんから、この2つに絞って考えていきましょう。企業戦略とは経営者レベルの戦略、事業戦略とは事業部長レベルの戦略と考えてよいです。


企業戦略

あなたが経営者だったら、どのようなことを気にするでしょうか。おおよそ次のようなことだと思います。

わが社の事業領域(ドメイン)はどこにあるのか?
たとえば教育分野とかエンターテイメント分野とかです。有名な例としては、NECが1970年代末に打ち出したC&C(Computer & Communication)があります。「コンピュータとコミュニケーションの融合に関するものしかやらない」ということですね。

今後、どのような事業を手がけるべきか?
ドメインに沿って具体的な事業を思案します。新規事業のみならず既存事業も含めた(事業の撤退・縮小を含む)事業全体の組み合わせ(事業ポートフォリオ)を考えるということです。

事業間での経営資源の配分はどうするか?
上記に伴い経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)をどう割り振るかということです。有望な事業には経営資源を突っ込み、将来性がない事業には突っ込む量を減らす(あるいは無くす)ということです。

全社的な強みの源泉をどう蓄積していくのか?
キヤノンは光学技術という強みを使って、複数の事業(コピー、カメラ、FAX、プリンタ等)を展開しています。このように特定の強みを使って複数の事業を展開する場合には、強みを継続的に向上させていく必要があります。これは事業部長レベルではなく、経営者レベルの課題です。なお全社的な強みを、コア・コンピタンス(企業の中核能力)と言う場合もあります。


事業戦略

事業部長が考えなくてはいけないことは、ただ1つ「いかにして同業他社に対して優位性を築いていくか」でしょう。ビジネスモデル(儲けを出すための仕組み)の構築もこの範疇です。

誤った二分法③

これまでややビジネスというより一般論や時事問題に傾斜していましたが、今回は少し経営戦略の内容を取り入れてみます。
次の2つの文章を読んでみてください。


①「ビジョナリー カンパニーは進歩を促す強力な仕組みとして、ときとして(社運を賭けた)大胆な目標を掲げる。」(「ビジョナリー カンパニー」ジム・コリンズ、ジェリー・I. ポラス著 日経BP社)

②「成功の確率を高めるような極端な戦略は、失敗の確率も高めるのだ。」(「戦略のパラドックス」マイケル・E・レイナー著 翔泳社)


二分法とは、「YESかNOか」「AかBか」といったように、「きっちり白黒をつける (白黒思考)こと」を指しました。
さて冒頭に挙げた2つの記述は、分かりにくいのですが、反対のことを意味」しています。 レイナーは、その著作の中で「ビジョナリー カンパニー」の批判をしているのですね。では、補足の説明を加えてみます。


①ビジョナリー・カンパニーとは、「未来志向であり、長年に渡り尊敬を与えつづけ、大きなインパクトを与え続けている企業(≒長期にわたり成長し続けている企業)」のことです。

著者は、「社運を賭けた大胆な目標(あるいはミッション)を掲げ、その実現に全力投球することが、成長を生む」としています。

創業期のソニーのトランジスタ・ラジオや、ウォークマンなどがその例にあたるでしょう。小説やドラマ、映画でもお馴染みのパターンですね。「同業他社と差別化しなくては(あるいは同じことをしていては)成長できないし、そのためには全力投球しなくては大胆な目標をクリアできない」、十分に納得できる話です。


②一方、レイナーは、要約すると次のような批判を加えています。
社運を賭けた大胆な目標とは、明快で後には引けない心理的なコミットメント(かかわり、没頭)であり、一度決めたら組織全体の活力と決断力が集中的に投入される。

最も利益を生む戦略とは、大胆な目標に基づいて企業を差別化またはコストリーダーシップのポジションに傾注させる、極端な戦略だ。こうした極端なポジショニングを取る企業は、より大きな戦略的リスクにさらされるため、破綻する可能性も高い。したがって成功する見込みの最も高い戦略は、失敗する見込みも最も高い。これが戦略のパラドックスだ。

つまり、「社運を賭けた大胆な目標に基づく差別化行動は、リスクが高い」と言っているわけです。ソニーは、家庭用VTRの規格競争で負けたことを教訓に、MD(ミニ・ディスク)の開発・販売を推進したが、期待した成果を得ることができなかったことを例に挙げています。MD(ミニ・ディスク)は、日本ではそれなりに普及したが、インターネット環境の急速な進展から、北米などではほとんど普及しませんでした。


では、どちらが正しいのでしょうか?

そうです。「どちらが正しいか」を求めることは、誤った二分法なのです。どちらも妥当性はあるからです。トートロジー(同義語反復)的ですが、レイナー自身が認めているように、両方妥当であるからパラドックスだと言えるでしょう。

ベンチャーの場合、まずは社運をかけた大胆な目標を掲げ、その実現に向けて全力投球しなければ、そもそも生存できないでしょう。ただし、ある程度の規模の企業が1つのことに経営資源を集中投下するのはあまりにリスクが高すぎる。これは「1つのカゴの中にタマゴをすべて入れるな」という分散投資を薦める格言にも表されています。シャープの経営不振の理由として、液晶事業への特化を指摘されることが多いですね。

結局は、「個々では努力を集中するのは大事だが、全体のバランスを取れ」というごく当たり前の結論に落ち着くわけです。

複数回に渡って二分法について考えてきたのには、理由があります。
唯一絶対の解など無いわけで、それぞれ一長一短あるわけです。それぞれの長短を踏まえながら、「ケースバイケースで選択する」「それぞれ補完し合いながら全体での意思決定を行う」というのが正しい姿勢なのです。
経営学者間での論争を見ても、ほとんどは二項対立(どちらの主張がより妥当か)というよりも、補完関係にあるように思えます。

当ブログでも、いろいろな考え方や主張を取り上げていきます。場合によっては、 「結局、何が正しいの?」「何が言いたいわけ?」という印象を持たれるかもしれませんが、是非、このことを念頭に置いて頂きたいと思います。それが正しい知識への接し方だと思います。

誤った二分法②

今回は少し軽めの演習から始めましょう。
次の主張に対してどこがおかしいのか批評してみてください。


あなたたちは新空港の工事に反対していた。
その反対運動にもかかわらずいまや新空港は完成したわけだが、
あなたたちはそれに反対していたのであるから、
この新空港を利用するべきではない。


前回、「誤った二分法」で、二分法とは、「YESかNOか」「AかBか」といったように、
「きっちり白黒をつける(白黒思考)」ことを指すと言いました。
冒頭の文章は、その例です。
よくあるパターンですが、おかしいとは思いつつも直ちに説得力を持った
批判はしにくいのではないでしょうか(相手も意気込んでいますからね)。

まず相手のイシュー(論点)の明確化を行う必要があります。

批評例は次のとおりです。
まず新空港建設前のイシューは、「(空港がない場所に)新たに空港を作るかどうか」
です。
しかしながら、新空港完成後のイシューは、「空港がある状態で利用するか否か」です。
つまり論点がすり替わっているのですね。

このように我々の日常でも論点のすり替えは頻繁にありますから、まずは「何について議論しているのか(イシュー)を明確にすること」が求められます。



誤った二分法

二分法とは、「YESかNOか」「AかBか」といったように、「きっちり白黒をつける(白黒思考)」ことを言います。 「客観的な事実として正しいかどうか」判断したり批評したりする場合、二分法を用いることになります。

例:2014年度の実質GDPは上がったのか下がったのか。
  ⇒下がった(マイナス0.9%)。


二分法はわかりやすいですが、それ故に単純すぎるということで、判断にあたり最も避けなくてはいけない姿勢とされています。
なにせ2つしか選択肢がないわけですからね。

ただし上記のように調べれば明らかなものはビジネスの意思決定の現場ではほとんどないでしょう。
いろいろ派生形があり、次のようなものも二分法の例です。

 「郵政民営化に賛成なのか、反対なのか」

 「私と仕事とどっちが大切なの!」

 「昨年末の総選挙で自民党は大勝したのだから、
  国民は自民党の安保法案に賛成したとみなされるべきだ(※)」

 「君は整理整頓ができないから、ビジネスマンとして失格だ!」

「他の選択肢がないか」、あるいは、たとえば「方向性としてA案は正しいが、ここの部分は修正する必要がある(修正すればもっとよくなる)」といったことは当然に考慮すべきでしょう。

4つ目は、いわゆるハロー効果の典型例です。ハロー効果とは、「一部を見て全体を評価してしまう」という人間の心理的誤謬です。「木を見て森を見ず」とも言えますね。
よく考えると、4つすべて、根っこは「AかBかのどちらかしかない」という文脈なのです。

誤った二分法は、相手をやり込める際に多用されるものです。みなさんにもご経験があるでしょう。

相手の勢いに飲まれないためにも、あるいは自らの意思決定の質を上げるためにも、「二分法になっていないか?」考えてみる必要がありますね。

次回以降、この二分法についての軽い演習を取り上げたいと思います。


※これはメディアなどでたまに見かける保守派有識者のコメントです。確かに自民党のマニフェストには「安保法制の整備」が謳われています。
しかし、多くの有権者にとって2014年12月の総選挙の争点は、「アベノミクス継続か否か」か「消費税引き上げ延期か否か」でしょう。
最近の世論調査を見ても、「アベノミクスには賛成だが安保法制には反対」という立場の方が多いというのが妥当な印象ではないでしょうか。
個人的には、アベノミクスも安保法制も賛成の立場なのですが、このコメントは頂けないかな。

※このように「Aには賛成だが、Bには反対」が多くても、投票行動の結果、(多数が反対の)Bが採用されてしまうというパラドックスが生じます。
民主的な投票行動が必ずしも合理的な結果を招かないことを扱ったものとして、コンドルセのパラドックス(投票のパラドックス)、アローの不可能性定理、アビリーンのパラドックスといったものがあります。
興味深いテーマなので、後日、取り上げたいと思います。

※安保法制を巡る論戦を見ると、「集団的自衛権=戦争への道」「徴兵制につながる」 など、誤った二分法の典型例に思えるのですが…。

プロフィール

三枝 元

Author:三枝 元
1971年生まれ。東京都在住。読書好きな中年中小企業診断士・講師。資格受験指導校の中小企業診断士講座にて12年間教材作成(企業経営理論・経済学・組織事例問題など)に従事。現在はフリー。
著書:「最速2時間でわかるビジネス・フレームワーク~手っ取り早くできる人になれる」ぱる出版 2020年2月6日発売
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連絡先:rsb39362(at)nifty.com
※ (at) は @ に置き換えて下さい
(お急ぎの場合は携帯電話までご連絡ください)

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