「戦略、戦略と言うけれど…」で経営戦略のイメージは千差万別と言いましたが、もしかするとマーケティングのほうが上かもしれません。以前、私もマーケティングのセミナーを行ったことがあるのですが、どうもSNSなどWebを使った販促術をイメージしている方が多いように感じました。少し年配の方だと、マーケティング・リサーチや広告をイメージする方もいるのではないでしょうか。
さて、マーケティングの定義は人により様々ですが、
「売るための仕組みづくり」というのが個人的にもっともしっくりきます。つまり「売ること」に関することなら、すべてマーケティングの範疇に入ってしまうわけで、経営戦略をも含んでしまうのです(注1)。
もともと
マーケティング(mark-eting)の語源は、「的(mark)に的中させる」ということですから、「標的市場を選択し、優れた顧客価値の創造、伝達、提供を通じて、顧客を獲得、維持、育成するという技術」ということになります。私はとある資格の指導校で中小企業診断士講座の講師をしています。2次試験でマーケティングに関するケーススタディが出題され、こんな問題が出ます。
「事例企業は売上の一定割合を社会貢献事業を行っているNGOに寄付している(注2)。そのねらいは何か。」
この場合、「社会貢献のため」と解答すると点が入りません。マーケティングの範疇ではないですからね。これは企業倫理です。なんとも世知辛いですが、正解は「イメージアップを図って売上の拡大を図る」とか「社会貢献意欲の高い顧客をつかまえる」といった内容になります。
具体的な内容については回を改めるとして、「もしドラ」ですっかり日本でも大衆的知名度を得たP.F.ドラッカーの言葉を引用します。
「企業の基本的な機能は二つ、マーケティングとイノベーションである。」
「マーケティングの究極目的はセリング(販売行為)を不要にすることである。」「もうけなければ意味がない」「上手く売れる仕組みができれば、わざわざ売り込みをかける必要もない」ということですね。
注1:
マーケティングのテキストでも、多くの場合、事業戦略について取り上げています。事業戦略に基づいて実際に売るための仕組みを考えるのが、一般的なマーケティングの位置づけになります。
注2:
コーズ・リレイテッド・マーケティングと言います。
【参考】
『コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント 第12版』F・コトラー、K・ケラー著 ピアソン・エデュケーション
『コトラーのマーケティング・コンセプト』フィリップ・コトラー著 東洋経済新報社
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「あなたの直感は?⑤」で、連言錯誤(2つの事象が重なって起きることと単一の事象を直接比較した上で、前者の確率が高いと判断するエラー)について取り上げました。もう2つほど例を見てみましょう。
<ケース1>
あるサイコロには、緑の面が4つ、赤の面が2つあります。次の3つの順で出る可能性を評価してください。
1 赤緑赤赤赤
2 緑赤緑赤赤赤
3 緑赤赤赤赤赤
ここで問題になるのは1と2です。2は緑が2回出るので、「1よりありえそう」に思うかもしれません。実際に1よりも2のほうが出やすいと判断した人は、2のほうが出やすいと判断した人の2倍いました。しかしながら、2は1の頭に緑がくっついただけですので、1よりも可能性は低くなります。構造的には、「あなたの直感は?⑤」で取り上げたリンダ問題と同じです。
<ケース2>
パターンA
ブリティッシュコロンビア州で、すべての年代、職業の成人男性から100人を抽出し、健康調査を行いました。次の確率を予想してください。
Q1:100人のうち、1回以上心臓発作を起こしたことのある人の数
Q2:100人のうち、55歳以上で1回以上心臓発作を起こしたことのある人の数
パターンB
ブリティッシュコロンビア州で、すべての年代、職業の成人男性から標本抽出し、健康調査を行いました。次の確率を予想してください。
Q1:100人のうち、1回以上心臓発作を起こしたことのある人のパーセンテージ
Q2:100人のうち、55歳以上で1回以上心臓発作を起こしたことのある人のパーセンテージ
被験者のうち、連言錯誤をした人(Q2のほうが出現が多い)は、パターンAが25%、パターンBが65%でした。パターンAとパターンBの違いは、人数かパーセントかです。おそらく人数のほうが空間的なイメージがつきやすいので、連言錯誤が生じにくくなるのでしょう。たとえば部屋に50人いたとしたら、55歳以上がどれくらいで、そのうち心臓発作を起こした経験のある人がどれくらいかなどと想像するといったことです。
このように連言錯誤を防ぐためには、「いくつ?」「何人?」などと想像しやすいように具体化するとよいと言われています。
さて、ビジネス環境では、どのような連言錯誤が生じるでしょうか。
「顧客満足度が低いのは、○○のせいだ。理由は△△で、しかも□□で…」といった場合、それは「もっともらしい」話でしかないのかもしれません。仮説自体は結構ですが、それを冷静に検証することが求められます。話が具体的であると、かえって連言錯誤に陥りやすいということは認識する必要があるでしょう。
【参考】
「ファスト&スロー(上)」ダニエル・カーネマン著 早川書房
今回は、リンダ問題と言われるケースを考えてみましょう。
リンダは31歳、独身で社交的かつ聡明な女性です。彼女は大学時代には哲学を専攻していました。また、学生時代には差別や社会正義といった問題に深い関心を持ち、反核運動のデモにも参加していました。では、リンダの職業として最もありえそうなものから順にランク付けしてみてください。
A:リンダは小学校の教員である。
B:リンダは書店に勤務し、ヨガを習っている。
C:リンダはフェミニズム運動に参加している。
D:リンダは精神医学の専門家である。
E:リンダは女性有権者の会会員である。
F:リンダは銀行員である。
G:リンダは保険の営業員である。
H:リンダはフェミニズム運動に参加している銀行員である。
ここで問題となるのは、「F:リンダは銀行員である。」と「H:リンダはフェミニズム運動に参加している銀行員である。」です。当然ながら、フェミニスト銀行員は全員銀行員なのですから、Fのほうが可能性は高いわけです。
しかしながら実験に参加した学生の89%が、「銀行員である可能性」よりも「フェミニスト銀行員」である可能性のほうが高いと答えたのです!確率・統計の知識が十分にあるスタンフォード大学の博士課程の学生を対象に行った実験でもほぼ同じ結果が得られました(85%が「フェミニスト銀行員」である可能性のほうが高いと回答)。
このように「2つの事象が重なって起きることと単一の事象を直接比較した上で、前者の確率が高いと判断するエラー」を「連言錯誤」と言います。
では、なぜこのようなエラーが生じるのでしょうか。おそらくリンダが単なる銀行員というよりもフェミニスト銀行員のほうがもっともらしいからでしょう。
「もっともらしい」情報が加わると、連言錯誤が生じる可能性が高くなります。「あなたの直感は?④」で触れた代表性ヒューリスティック(特定のカテゴリーに典型的と思われる事項の確率を過大に評価しやすい意思決定プロセス)が作動するからです。
F:リンダは銀行員である。
I:リンダは兄と妹がいる銀行員である。
Iは具体的な情報が付け加えられていますが「もっともらしい」情報ではないので、この場合、連言錯誤は生じにくくなります。
【参考】
「ファスト&スロー(上)」ダニエル・カーネマン著 早川書房
マクロ経済学が1国全体の経済活動を対象とする学問分野であるのに対し、ミクロ経済学は、経済主体の最小単位である家計(消費者)、企業(生産者)、そしてそれらが経済的な取引を行う市場をその分析対象とします。もっともマクロの構成要素はミクロですから、マクロ経済学とミクロ経済学は密接なかかわりを持ちます。
ミクロ経済学を学ぶと必ず最初の方に平均費用と限界費用というものが出てきます。平均と限界は、経済学を学習する上で必須の考え方です。
■平均費用
平均費用とは、生産物1単位あたりの平均的な費用のことです。
例)生産量1単位のときに総費用が20万円 ⇒ 平均費用=20万円÷1=20万円
生産量2単位のときに総費用が25万円 ⇒ 平均費用=25万円÷2=12.5万円
生産量3単位のときに総費用が27万円 ⇒ 平均費用=27万円÷3=9万円
■限界費用
限界とは、経済学では「端」というような意味で捉えてください。「○○をあともう1単位増やしたら△△がどれくらい変化するか」を表します。
限界費用とは、「生産量をあともう1単位増やしたら総費用がどれくらい変化するか」を意味します。
上記の例ですと、生産量が1単位から2単位に増加したら、総費用が5万円(25万円-20万円より)上昇しますから、この場合、限界費用は5万円になります。生産量が2単位から3単位に増加したら、総費用が2万円(27万円-25万円より)上昇しますから、この場合、限界費用は2万円になります。
さて、ここであるアメリカの大学の社交クラブで年1回開催される新入生歓迎のパーティーを例にしてみましょう。学生には①30ドルで飲み放題、②1杯6ドルで飲んだ量に応じて請求されるの2つの選択肢があります。もちろん学生の多くはパーティーで盛り上がるために、①の飲み放題を選択します。
しかし、ここ数年、学生たちがハメを外しすぎて器物を損壊する者や急性アルコール中毒で運ばれる者が後を断ちません。そこで主催者側としては、何らかの対策を講じることにしました。さて、あなたなら次の2つのどちらを選択しますか?
① 飲み放題制の料金を値上げする。
② 飲み放題制を止め、1杯あたりの料金を値上げする。
場合によっては①の飲み放題制の値上げを行うかもしれません。ただし、これは必ずしも良い結果を招くとは限りません。学生にとって、30ドルは固定費用(この場合、いくら飲んでも額が変わらない費用)です。1杯あたりの費用(つまり平均費用)は飲めば飲むほど下がります(1杯:30ドル、2杯:15ドル、3杯:10ドル…)。よって元をとろうと沢山、飲むようになります。料金を値上げすると、下手をするとさらに飲んで元をとろうとするインセンティブが働きかねません。
一方、学生の1杯あたりの限界費用は6ドルです。飲めば飲むほど料金は加算されていきます。よって、無理してまで飲もうというインセンティブは働きにくくなります。つまり経済学的には②のほうが優れているということになります。
このように平均と限界を分けて考えることは、公共政策を考える上でも重要です。
たとえば流入する車の量が多く、都市部で交通渋滞が発生しているとします。この場合、ドライバーにとっての固定費は車の購入費や車検代、車庫代などです。よって、固定費が高くなると、かえって運転しようというインセンティブが強まり、渋滞が緩和されないという恐れもあります。よって、限界費用(たとえばガソリン代や走行距離・都市への乗入れなどに応じた課税など)を上げたほうが効果が見込まれます。
かつて自動車の平均速度がビクトリア朝時代の馬車の速度と変わらないとまで言われたロンドンでは、ロードプライシング制度の導入により一定の効果を上げたと言われています。
限界という考え方を使うと日頃の購入の選択でも何かと役にたちます。よく「○○円で使い放題(固定料金制、定額料金制)」というものがありますが、使用ごとに料金(限界費用)を払ったほうが実は安上がりということが多いのではないでしょうか。
【参考】
「まっとうな経済学」ティム・ハーフォード著 ランダムハウス講談社
次のケースを考えてみてください。
Q1:
P子さんのプロフィールは次のとおりです。
・独身で1人暮らし。
・内気な性格
・小さいころから読書が大好き。
さて、P子さんの職業は次のうち、どれでしょうか?
A:販売店員
B:図書館司書
思わずBを選んでしまいそうですが、Aの可能性のほうが圧倒的に大きいです。現在、女性販売員は約210万人存在するのに対し、図書館司書は男女合計でも8千人程度しかいません。
前回同様、あらかじめ抱いていた仮説や先入観の強さを物語っています。こちらは代表性ヒューリスティック(特定のカテゴリーに典型的と思われる事項の確率を過大に評価しやすい意思決定プロセス)の例です。要は「○○だから△△だ」といったようなステレオタイプ的なイメージを過大に評価してしまうということですね。
基準比率の錯誤(物事の基本的な母集団の大きさを無視し、印象で判断してしまうこと)の例とも言われます。
もう1つ例を取り上げましょう。
Q2
Bさんは掃除機を買おうと思っています。知人に意見を聞いて回ったところ、X社の掃除機はすぐに壊れるという声が多く集まりました。一方で、Y社の掃除機についての悪評判はあまり聞かれませんでした。そこでBさんはY社の掃除機を買うことにしました。これは妥当な結論でしょうか?
こちらもありがちなケースですが、必ずしも妥当とは言えません。仮に市場全体のX社の製品のシェアが圧倒的に高く、Y社はほとんどないとします。この場合、X社の製品の不良率がどんなに低くても、一定数の不良品は出てしまいます。一方、Y社の製品はほとんど普及していないので、そもそも不良品の数も少なく、悪い評判自体出てこないわけです。支持されている(普及している)モノほど、必然的に悪評も多くなるというのはよく見られるケースですね。
直感を過大評価していないかを考える際には、まず確率的にどうか?を考え、データがないか調べてみることが重要です。
【参考】
「意思決定のマネジメント」長瀬勝彦著 東洋経済新報社
前回、「あなたの直感は?①②」で、直感の頼り無さを確認してもらいました。今回もその続きです。次の質問に答えてみてください。
Q:「?」に数字を埋めてください。
2,4、6、「?」
A:6.1でも100でも6より大きい数字ならなんでもよい。
ほとんどの場合、「8」を提示するでしょう。この場合、「偶数の数列である」という仮説(先入観)での判断になります。しかしながら、もし5つめの数字として「16」が与えられたとしたら、4つめの数字(?)は、「10」になります。この場合は、「前2つと前の数字の合計の数列である」という仮説を適用したことになります。もっとも、5つめの数字は与えられていませんから、現段階では6.1でも100でも6より大きい数字ならなんでもよいということになります。
これは確証バイアスといわれるものの例です。確証バイアスは、「あらかじめ抱いていた仮説や先入観に合致したデータや情報しか求めない」という人間の心理的なエラーのことです。
われわれは現在、入手している情報(データ)の範囲内で何らかの規則性を見出そうとします。「偶数の数列である」という仮説を立てたのであれば、いくら検証しても4つめの数字は「8」でしかありませんし、4つめの数字が「8」となることが証明されるためのデータ(5つめ以降の数字)しか集めようとはしないでしょう。つまり5つめの数字が10で、6つめの数字が12であることを期待してしまうわけです。
今回は、かなり単純な例ですが、確証バイアスは日常的に作動しています。たとえば、自分が何か新しい顧客サービスの必要性を感じたとします。この場合、それを裏付ける根拠(情報)を提示する必要がありますが、ほとんどの場合、自分の考えに共感してくれる数人の顧客の声しか集めようとはしないでしょう。
あるシンクタンクの研究員が、昨年度の「7-9月期の実質GDP」の落ち込みの要因として、「天候不順」や「テング熱」などの些細な事柄を5つほど挙げていましたが、私にはこれも確証バイアスの例にしか思えないわけです。この研究員は消費税増税の立場でしたから、増税以外の要因をかき集めたのではないでしょうか。そう考えると、国会答弁や役所の見解、新聞の社説なんていうのも、多くは確証バイアスにとらわれている気もしてしまうわけです。
仮説を立てること自体は必要なことなのですが、その根拠が十分にあるのか、あるいは新たな情報が追加されたのであれば、仮説そのものを見直すことが重要です。
【参考】
「意思決定のマネジメント」長瀬勝彦著 東洋経済新報社
前回の答えです。
A1:2個。
A2:マッチ。
A3:9頭。
A4:1匹も乗せなかった(方舟にあらゆる動物を乗せたのは、モーゼではなくノア)。
A5:生存者は埋葬されない。
A6:ヒヨコは卵を産まない。
A7:あなた自身。
A8:1度。一度引いたらもう25ではなくなる。
A9:前に落ちたら、海ではなく船の中に落ちてしまうから。
A10:いいえ。あなたが死なないとあなたの妻は未亡人にはならない。
A11:1ドル札が1枚と100ドル札が1枚。1ドル札でないお札とは、100ドル札のことである。
A12:「カ」の文字。
A13:平均より高い可能性はとても高い。腕の数の平均値は2よりもほんの少し小さい値なので、腕が2本ある人間は誰であろうと平均よりも腕が多い。
A14:2つ。片面に1つずつ。
A15:12の月すべて。
A16:豚はしゃべれない。
A17:潮が満ちる前と同じ11段。潮が満ちると船も上昇するから。
一応、出典源から正解数に応じた評価を挙げておきます。
正解0から5 かなりおまぬけ
正解6から11 ちょっとおまぬけ
正解12~17 すばらしい知ったかぶり
【参考】
「ポール・スローンのウミガメのスープ」ポール・スローン、デス マクヘール著 エクスナレッジ
4分以内にすべて回答してください。また一度回答したら考え直さないでください。
Q1:
5つのリンゴから3つ取ったら、手元にはリンゴがいくつ?
Q2:
マッチが1本しかない状態で、ランプと新聞紙と薪の置いてある、真っ暗な部屋に入ったとしよう。まず、何に火をつける?
Q3:
農夫が17頭の羊を飼っていたが、9頭を残してほかは死んだ。農夫の羊は何頭残っている?
Q4:
モーゼは方舟に、1種類につき何匹の動物を乗せた?
Q5:
イギリス人観光客を満載した飛行機がオランダからスペインへのフライトの途中、フランスで墜落した。生存者はどこで埋葬されるべきだろう?
Q6:
ジョーンズ氏のヒヨコがブラウン氏の庭で卵を産んだとしたら、卵の正当な持ち主は誰になる?
Q7:
42人の乗客を乗せたバスを、ボストンからワシントンD.C.まで運転するとする。その途中、6箇所の停留所で乗客を3人ずつ降ろし、その半数の停留所で乗客を4人ずつ乗せたとしたら、10時間後にワシントンに着いた時点での運転手は誰?
Q8:
25から3は何回引ける?
Q9:
スキューバのダイバーが船のふちから海に入るとき、なぜ彼らはいつも海に背を向けて座り、後ろへと落ちるのだろう?
Q10:
あなたの妻が未亡人になった場合、その妹と結婚するのは違法?
Q11:
財布の中に101ドルがお札2枚で入っている。片方が1ドル札でないとしたら、それは何ドル札と何ドル札?
Q12:
シカゴの真ん中には何がある?
Q13:
次のアメリカ男子テニスチャンピオンが平均よりも腕の数が多い可能性は高い、低い?
Q14:
平均的な長さのレコードには、いくつ溝がある?
Q15:
1年の12ヶ月の中には、30日がある月と31日まである月がある。では28日がある月はいくつ?
Q16:
農夫のギルズ氏は黒い豚を3頭、茶色い豚を2頭、そしてピンクの豚を1頭飼っている。ギルズ氏の豚のうち、何頭が「自分はほかの豚と同じ色をしている」と言えるだろうか?
Q17:
ある船の縁から下がっている縄のはしごには、50センチ間隔で段がついている。水面から上には11段が見えている。潮が満ちて、海面から2メートル上がったら、段は何段見えている?
(答えは次回)
無意識はある種の行動パターンの認識です。少しの違いがあっても、だいたい似ているものは「同じ」とみなさなければ(行動パターンの認識)、日常生活はとても送れないでしょう。
「無意識は意識を支配する①」で触れたように、システム1(無意識的)はシステム2(意識的)に影響を与え、システム2はシステム1に影響を与えます。
意識は、無意識から入力される情報を受け取って働きます。目標や方向性についての指示は無意識からなされます。逆に意識が無意識化することもあります。
たとえば、自動車の運転は、はじめのうち、習得するまでの間は自分の動きを意識する必要があります。ところが、いったん身につけてしまえば、運転のための知識は無意識に送られます。おかげで、音楽を聴きながらでも、同乗者と話をしながらでも、コーヒーを飲みながらでも運転ができるようになります(意識的な行動の無意識化)。スポーツ選手は、ある動作が自然にでるように、何度も練習を重ねます。
また、無意識のプロセスは日常の中で私たちが習慣的にやっている行動を引き起こしており、一方で意識的なプロセスは、主に、自分の行動を意味づけする役割を担っているとも捉えることもできます。このように両者がより合わさって機能することで、人間は上手く生きていくことができるのです。
しかしながら、無意識は意識よりも強力です。無意識は、遠い過去から蓄積された、本人も持っていることを自覚していない膨大な記憶を利用することができます。しかし、意識が利用できるのは、ほぼ、脳の「ワーキングメモリ」に収められた直近の記憶だけです。しかも無意識は瞬時に働くもので、後から修正されることは少ないのです。
人間は、情報を取り入れる際には、個々の意味を解釈し、重要度を判断し、適切な感情を付随させる、という作業を同時に行います。これが無意識を形成し、意識的な思考(理性)に影響を与えるわけです。
ということは、意識的な思考(理性)は感情があって初めて機能できる、感情に依存しているということになります。感情は、物事の自分にとっての価値を決める役割を果たし、理性はただ、感情によって高い価値を与えられたものを選択するだけということになります。世界が私たちにどう見えるかを決めているのは感情なのです。
以上、見てきたように、無意識のおかげで、私たちはいちいち考えることなく迅速かつ柔軟に行動に移すことができます。無意識は状況に応じた行動パターンの認識ですが、このことが長所であり、短所にもなります。
たとえば、状況に左右されやすいというのは、状況に非常に敏感であるということです。取るに足らない状況の変化に敏感になり過ぎるあまり、無意識が自動的に作用し、大きな失敗を招く可能性があります。またある状況に対し、誤った行動パターンを作動させてしまうこともあるでしょう。
無意識は意識よりも強力ですから、無意識の願望が知覚を歪曲し、その結果、意識を自在に操ることができるようになります。行動経済学はまさにこの点について知見を与えるものなのです。
【参考】
「人生の科学『無意識』があなたの一生を決める」デイヴィッド・ブルックス著 早川書房
「人の心は読めるか? 」ニコラス・エプリー著 早川書房
では、無意識はどのように形成されるのでしょうか。
1つは個人の経験やそれを通じた知識の獲得を通じてです。
たとえば新任の上司が着任したら、何回かのやりとりを通じてその上司に対する印象を抱き、接し方を学ぶでしょう。人間は、情報を取り入れる際には、個々の意味を解釈し、重要度を判断し、適切な感情を付随させる、という作業を同時に行います。道徳的な判断もこの時に下されます。
2つめは、このような個々の情報処理を通じて得たものが、修正されながらも遺伝的・文化的に継承されるというものです。
この中で最も重要であるのは、生存(種の保存)のための智恵でしょう。身体的には必ずしも生存に適していない人間が、危険がいっぱいの環境で生きていくためには、他人との協調が不可欠であったと考えられています。
たとえば好意に対しては自然に好意で報いようとするといったことは、協調やそのための共感・道徳心を重んじる遺伝的な無意識の反応です。快・不快の判断、種の保存に関する知見(注1)についても、同様に遺伝的に無意識に組み込まれています。
このように無意識は主に生存のためのパターン認識という面から形成されてきました。生存を脅かす、つまり恐怖に駆られれば、人は恐怖を早く消したいと望みます。この場合、どうなった時に勝つことができ、どうなった時に負けてしまうのか、そのパターンを知りたい、つまり、早く「わかった」状態になりたいと望むのです。パターンさえ分かれば恐怖から逃れることができるからです。
確かに現代に住む私たちには日常的に生存が脅かされるということはほとんどないでしょう。しかしながら、不安を感じ、何らかの説明が必要とされる時に無意識(第6感)が働くと言われています。
たとえばコピーが突然紙詰まりをしたら、私たちは「今日はコピーのご機嫌が悪いな」などと言ったりします。また台風や株価など、予測が困難な現象に対し、「大荒れしている」とか、まるでそれらの事象が人格を持っているかのように扱います(ハリケーンに人名をつけるのも同じ)。予測が困難な事象に対し、人格を持った存在だと仮定すれば、1つの物語として理解できるようになるからです(注2)。
先に触れたように、無意識(第6感)は、他人への理解(共感)を前提としていますから、予測が困難な現象が生じると、擬人化を通じたパターン認識、つまり無意識が作動するというわけです。
無意識は、あらゆる情報を状況込みで取り入れています。そして、知覚や判断、あるいは理性に大きな影響を与えています。もしいちいち意識して考えなければ道徳的判断が一切できないのだとしたら、我々はとても日常生活は送れないでしょう。意識(理性による判断)には時間がかかりすぎるからです。
注1:
男女とも左右対称の姿かたちを持つ異性や肌つやが良い異性を好むなどといったことです。
注2:
場合よっては、神の意志(「天恵だ」「神が怒っている」とか)にする場合もありますが、擬人化ということでは変わりません。
【参考】
「人生の科学『無意識』があなたの一生を決める」デイヴィッド・ブルックス著 早川書房
「人の心は読めるか? 」ニコラス・エプリー著 早川書房
「システム1とシステム2」で、システム1は自動的、速い、連想的、感情的な思考、システム2は合理的・論理的な思考であると言いました。しかしながら、改めて強調したいのは、次の2点です。
・システム1により日常生活をスムースに送ることができる。
・システム1はシステム2に影響を与え、システム2はシステム1に影響を与える。
システム1は無意識的、直感的、第6感的なものです。今回は、まず無意識の力について考えてみます。実際、われわれの無意識は驚嘆に値する情報処理能力を行っています。
・人は、出会ってから、まばたき1回にも満たないわずか0.05秒の間に相手を判断する。
・ある調査では、1目で他の候補者より有能だと思われた政治家が、選挙に勝つ確率が非常に高い(約70%の確率)ことがわかっている。
みなさんは、どこかでこんな話を聞いたことがあるでしょう。
「実際、ほとんどの人は、せいぜい脳の約10%しか使っていない。残りの90%は使われず、ただ眠っているだけだ。」
これは明確に間違いです。もし脳の10%しか使っていないのであれば、脳はとっくに退化し、人間の頭部は握り拳くらいの大きさになっているでしょう。おそらく「意識的な行動よりも無意識的な行動のほうが多い」ということが、このようは表現になったのではないでしょうか。
脳は意識的な思考だけでなく、無意識的な思考も行っています。確かに、人間の脳は、未だ解明されていないことが多くあります。しかしながら意識的な思考が少ないからと言って、脳の90%は眠っているわけではありません。
実際、無意識の情報処理能力は意識のそれよりもはるかに高いです。一説には、無意識の潜在的な情報処理能力は、意識の20万倍以上とも言われています。
【参考】
「人生の科学『無意識』があなたの一生を決める」デイヴィッド・ブルックス著 早川書房
「人の心は読めるか? 」ニコラス・エプリー著 早川書房
今回は、行動経済学の第1回です。いつものように定義づけから入りたいと思います。
行動経済学は、実際の人間による実験やその観察を重視し、人間がどのように選択・行動し、その結果どうなるかを究明することを目的とした経済学の一分野です。歴史は浅く、1970年代末に学問分野として成立したと言われています。
2002年には、ダニエル・カーネマンがノーベル経済学賞を受賞したことで日本でも有名になり、ブームとも思えるほど多数の書籍が出版されました。
さて定義だけ見ると、それまでの経済学と同じではないかと思われるかもしれません。ひとことで言えば、心理学的要素を強く取り入れたということです。
伝統的な経済学は人間を合理的な主体とみなしているのに対し、行動経済学は認知心理学(情報処理の観点から人間の認知活動を研究する学問)の成果をとりあげつつ、専ら人間の非合理的な側面に注目している点が異なります。要は欠陥だらけの人間を扱っているわけですね。そもそもカーネマン自身が心理学者であり、認知心理学との明確な区別は意識する必要はないかと思います。
カーネマンは、人間の思考モードを2つのシステムに分けて考えています。
システム1
自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。また、自分のほうからコントロールしている感覚は一切ない。(自動的、速い、連想的、感情的)
システム2
複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。一連の段階を踏み順序立てて考えを練り上げる。(努力を要す、遅い、意識的、規則的、客観的)
基本的には、システム1はヒューリスティック的な思考(これまでの経験や知識をもとに直感的に判断する)であり、システム2は合理的・論理的な思考と考えてよいと思います(注)。
行動経済学の主要なテーマはシステム1です。良く言えば直感ですが、おっちょこちょいの早とちりとも言えます。カーネマンは、システム1の特徴として、次のことを挙げています(一部省略)。人間にはもともとこのような傾向があるということです。
・印象、感覚、傾向を形成する。システム2に承認されれば、これらは確信、態度、意志となる。
・自動的かつ高速に機能する、努力はほとんど伴わない。主体的にコントロールする間隔はない。
・特定のパターンが感知されたときに注意するよう、システム2によってプログラム化可能である。
・適切な訓練を積めば、専門技能を磨き、それに基づく反応や直感を形成できる。
・認知が容易なとき、真実だと錯覚し、心地よく感じ、警戒を解く。
・驚きの感覚を抱くことで、通常と異常を識別する。
・因果関係や意志の存在を推定したり発明したりする。
・両義性(1つの事柄が相反する二つの意味を持っていること)を無視したり、疑いを排除したりする。
・信じたことを裏付けようとするバイアスがある。
・感情的な印象ですべてを評価しようとする。
・手元の情報だけを重視し、手元にないものを無視する。
・意図する以上の情報処理を自動的に行う。
・難しい質問を簡単な質問に置き換えることがある。
・状態よりも変化に敏感である。
・低い確率に過大な重みをつける。
・利得より損失に強く反応する。
・関連する意思決定問題を狭くフレームし、個別に扱う。
これらについては、回を改めて例を取り上げていきたいと思います。
注:
より合理的・論理的な思考であるというだけで、必ずしもその精度は問わない点には注意が必要です。システム1よりは熟慮を伴う思考というニュアンスです。
【参考】
「ファスト&スロー(上)」ダニエル・カーネマン著 早川書房
「経済学的にありえない。」佐々木一寿著 日本経済新聞出版社
今回は「人は無能になるまで出世する」で少しご紹介したパーキンソンの法則について取り上げたいと思います。パーキンソンの法則は、1957年に発表された論文に基づいたものですが、現在でも組織というものを考える上で示唆に富むものです。
パーキンソンはイギリスの社会・政治学者で、「役人の数がなぜ多いのか、会議の運営や決定はなぜ上手くいかないか」を研究しました。これによると、「役人の数は、なすべき仕事の量に関係なく、一定の割合で増加する」という一般則が成立します。この背後には、3つの原理があります。
(1)役人は常に部下を増やすことを望むが、自分の競争相手を作ることは望まない。
(2)役人は相互の利益のために仕事を創り出す。
(3)組織が大きくなると、その組織を運営するための新しい仕事が増える。
さらに会議の効果について、次のような観察をしています。
(1)会議の決議においては、中間派の票が最終的に重要である(中間派の理論)。
(2)財政の1項目の審議に要する時間は、その項目の支出額に反比例する(凡俗の法則)。
(3)委員会の定数は5人が理想的だが常に増加し、20人を超すと上手く機能しなくなる
ここでは凡俗の法則について、「パーキンソンの法則」(C.N.パーキンソン著 至誠堂)から、例を取り上げて説明してみます。イギリスで11人の国会議員メンバーから成る予算委員会が次の3つの議題について、審議しているとします。
議案1:原子炉の設計・調査費の予算審議(1千万ポンド)
議案2:職員のための自転車置き場建設の予算審議(350ポンド)
議案3:福祉委員会での年間茶菓代の予算審議(21ポンド)
原子炉については専門的な知識が求められ、官僚から技術的な説明があっても11人のうち9人は理解できません。そもそも額が大きいのでイメージがつかないということもあります。残りの2人も専門的な話をしても他の委員はどうせ理解できないのだからと発言を控え、その結果、短時間で予算は裁可されます。
議案2・3になるにつれ、他の委員もイメージが沸いてきます。たとえば「屋根を付けるのかどうか」「屋根の材質はどうするのか」「係員の時給はいくらか」「コーヒーは出るのか」「どこの菓子なのか」といった具合です。このように金額が小さい予算項目のほうが、議員のイメージがつきやすく、議論が長時間になるというのです。
みなさんは、ミーティングの場で、「なんでこんなに些細なことを延々と議論しているのだろう」と感じたことはないでしょうか。これは凡俗の法則の例だと言えるのではないでしょうか。
また、新国立競技場についても、大型のハコモノについてはほとんど経験のない文科省(せいぜい学校や美術館レベル)の不手際が指摘されていますが、これも凡俗の法則の結果とも言えるのかもしれません。民主党時代の有識者会議のメンバーも含め、オリンピック組織委員会会長の森喜朗元総理や事務総長の武藤敏郎元財務次官が内容を熟知していなかったことは間違いないでしょう。規模が大きすぎてほとんどイメージできなかったが故にえいっと決めてしまったというような。
その後もパーキンソンは数々の著作の中で、現代社会における行政組織や企業の中の諸現象をとらえて、次のような法則を発表しています。
「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する(第2法則)」
「拡大は複雑を意味し、複雑は腐敗を意味する(第3法則)」
「ある組織の立派な建造物の建設計画は、その組織の崩壊時点に達成され、その完成は組織機能の終息を意味する(注)」
第2法則については、年度末の予算消化が典型例でしょう。
第3法則については、行政組織などによる各種の規制(業務権限の拡大)がその例でしょう。たとえば6月に道路交通法が改正され、信号無視や酒酔い運転など14項目が「危険運転」に指定され、摘発されると有料の講習受講あるいは罰金が課されるようになりました。罰金は地方自治体を通じて警察の財源になりますし、民間に委託するであろう自転車監視員制度が創設されると新たな天下り先ができます。講習やそのための教材についても然りです。このように規制を増やすと、その分、利権(腐敗)が増えるのです。
パーキンソンの法則は行政組織の逆機能について扱っていますが、どのような組織にも見られる現象です。
注:
「ビジネス版 悪魔の辞典」(山田英夫著 日本経済新聞社)によれば、「本社ビル:業績悪化の前年に完成される記念碑」とあります。
【参考】
「パーキンソンの法則」C.N.パーキンソン著 至誠堂
「経営参謀の発想法」後正武著 PHP研究所
「ビジネス版 悪魔の辞典」山田英夫著 日本経済新聞社
今となっては昔話ですが、1979年に出版された「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を契機に、「日本の経済成長をもたらしたものは何か」への国際的関心が高まりました。
おおよそ日本の雇用慣行(終身雇用、年功賃金、企業別労働組合)と官僚組織による重点分野への積極的支援・育成にその要因を求めるものがほとんどだったと思います。優秀な財務・通産官僚によって高度経済成長がもたらされたというわけですね。いわゆる日本株式会社論です。
テレビドラマ化もされた城山三郎作の「官僚たちの夏」(注1)をお読みになった方もいらっしゃるかもしれません。現在でも経産省に入省すると必ず読まされるとどこかで聞いたことがありますが、本当でしょうか。
さて、「政府が有望分野を見つけ、それに対し補助金や優遇税制などの財政的支援を与え、育てていく政策」のことを、産業政策と言います。今ではあまり使われなくなった言葉ですが、成長戦略と名前を変えて現在でも行われています。
では日本の産業政策は本当に重点産業を育て、経済成長へと導いたのでしょうか。
一橋大学の竹内教授は、主に国際競争力という観点から、20の成功産業(注2)と7つの失敗産業(注3)に焦点を当て、次のように結論づけています。
・成功産業において政府による積極的な支援政策(補助金、税制上の優遇措置、外資規制、カルテル公認などの競争抑制策、官主導の研究開発プロジェクト)はほとんど存在しない。
・一方、失敗産業においては政府の介入は甚だしい(上記の括弧内の政策による競争排除)。
ただし、すべての政策が無駄であったというわけではなく、①資本投資を促進する政策、②基礎教育制度の充実、③工学部卒の人材供給については効果があったとしています。
日本の経済成長の象徴であるソニー(創業期、政府からトランジスタラジオの技術導入のための外貨割り当てを拒否される)やホンダ(産業集約化を進める政府から四輪車事業への進出を強硬に反対される)の例を考えれば分かりやすいかもしれません。また護送船団方式で守られてきた日本の金融機関が世界的な競争力を有しているとは言い難い状況を見れば察しがつくでしょう。
ここから言えるのは、政府が有望分野を見つけることは不可能であること、政府は特定産業には結びつかない基本的な環境(上記①~③)の整備に徹すること、あとは個々の企業の努力に委ねることです。このことはアベノミクス第3の矢である成長戦略の難しさを説明するとともに、イノベーションの難しさ(事前に何が当たるか分からない)についても示唆しています。
注1:高度経済成長期の通産官僚たちの姿を描いた小説。
注2:半導体、VTR、FAX、家庭用AV、タイプライター、マイクロ波および衛生通信機器、楽器、産業用ロボット、家庭用エアコン、ミシン、炭素繊維、合成繊維、カメラ、醤油、テレビゲーム、自動車、フォークリフト、トラック・バス用タイヤ、トラック
注3:民間航空機、科学、証券業、ソフトウェア、洗剤、アパレル、チョコレート
【参考】
「日本の競争戦略」マイケル・E. ポーター、竹内弘高著 ダイヤモンド社
「日本国の原則」原田泰著 日本経済新聞社
「バブルははじけて初めてバブルと分かる」(アラン・グリーンスパン 元FRB議長)
今回は、「集団の智恵を引き出すための前提条件」で取り上げた、意見の多様性、独立性、分散性、集約性の4つの観点からバブルを検証してみましょう。投資家たちはバブルだと気がつかないのでしょうか。また仮に気付いていてもなぜバブルに踊るのでしょうか。
バブルの形成要因については、様々なことが言われています。バブルは一種の群衆行動の結果で、グループ・ジーニアス(集団の智恵)が機能しなかった結果と捉えることもできます。
最初に一般の財(モノ)と株式との違いを明確にする必要があります。基本的に一般の財は、市場全体の需要と供給のバランスによって価格が決まります。つまり1人1人の価値判断が反映されて価格が決まるわけです。よく知っている財であるほど、この傾向は強くなり、市場は買い手側の意見の多様性、独立性、分散性、集約性を満たすようになります。
一方、株価は、理論的には、その会社の将来の収益を反映して決定されるわけですが、誰も将来の収益など分かりません。「株価が上がっているのだからみんなこの会社の将来の収益は高いと判断しているのだろう。だから自分もこの会社の株を買おう」というほうが実態に近いでしょう。
つまり、株への投資は、(自分ではなく)他の人がその企業の収益の見通しをどう思っているのかに依存しているわけです(分散性の喪失)(注1)。
ここで、何かのきっかけで株式市場全体の株価が上昇し始めたとしましょう。そうなると情報カスケードと言われる現象が生じます。
情報カスケードとは、最初の人の行動を見て、次の人がマネして行動することです。2番目以降の人は正確な情報を持っていませんが、最初の人は正確な情報を持って行動したのだろうと思っている(ただし最初の人が正確な情報を持って行動したのかどうかは不明)点において単なる同調行動とは異なるのがポイントです。これが重なるとバブルが生じることになります。
人々はもはや他の人のマネをするだけですから、意見の多様性、独立性はなく、さらに株価はもはや制御不可能な状態ですから、集約性も損なわれています。
さらに行き過ぎた群衆行動(バブル)の背景には、一部の扇動者と彼らの影響を受けやすい多数の人々が存在します。
株式市場の扇動者は、証券会社などの金融機関、政府高官、エコノミストや証券アナリスト、そしてマスコミなどでしょう。中国共産党の株式市場への資金誘導策を、息のかかった金融機関や政府系のマスメディア(人民日報など)が、まともな知識や経験がないど素人の個人投資家を扇動した結果、バブルになったというのが妥当な見方でしょう(注2)。
1980年代後半の日本のバブル、200年代のサブプライムも、グループ・ジーニアスの機能不全という観点からおおよそ説明できます。
注1:
これについては、ジョン・メイナード・ケインズの「美人投票」の例えが有名です。
ケインズは、投資は「100枚の写真の中から最も美人だと思う人に投票してもらい、最も投票が多かった人に投票した人達に賞品を与える新聞投票」に見立てることができるとし、この場合「投票者は自分自身が美人と思う人へ投票するのではなく、平均的に美人と思われる人(多くの人が美人だと思う人)へ投票するようになる」としました。
つまり投資家は他の多くの投資家が収益性が高いと思っている株式に投資するということです。
注2:
上海株式市場は、外資の資本取引規制などから、約8割が国内個人投資家と言われています。
中国は社会保険制度が極めて脆弱であることから、老後の資金のために極めて貯蓄率が高いのですが、政府の低金利政策の下、株式投資に走ったという側面があり、今回の大暴落で(報道規制により公になっていないものの)多数の自殺者がでていると推測されています。
【参考】
「凡才の集団は孤高の天才に勝る」キース・ソーヤー著 ダイヤモンド社
「経済学的にありえない。」佐々木一寿著 日本経済新聞出版社
「音楽が鳴り続く限り、ダンスはやめられない」(チャック・プリンス/元シティグループCEO)
上海株式市場における株価暴落が世界に波及していることは、みなさんご存知のとおりです。上海総合指数は、昨年年半ばまでは2000ポイント程度の水準で推移していたのが、昨年後半以降、値を上げ続け、今年の6月12日には、終値が5166.35ポイントまで上昇しました。しかし、その後は下落に転じ、8月25日には、とうとう昨年12月以来、3000ポイントを割り込みました(今年6月の高値と比べると42%の下落)。
中国当局も金融機関への大口の株式売却の事実上の禁止、一時上海・深圳両市場の上場企業のほぼ半数にあたる約1400銘柄の取引停止、株式市場への80兆円の資金注入、極端な報道規制などのPKO(price keeping operation:株価維持政策)を取っており、もはや自由取引はおろか株式市場でもなんでもない感すらあります。
それでもなかなか株安傾向に歯止めがかからないばかりか、かえって海外投資家に改めて共産党一党支配のリスクを示した形となり、今後の外資導入に大きな支障となることは間違えないのではないでしょうか。
中国経済については、年初より公表されている2014年度の実質GDP成長率7%というのはまったくのデタラメで、実態は良くてもせいぜい3%台だと言われるほど(注1)減速感が強まっていたにもかかわらず、株価は高騰を続けたわけですから、これは間違えなくバブルということになります。
そもそも上海株バブルはなぜ起きたのでしょうか。おおよそ一般的に言われていることは次のとおりです。
中国経済の急成長は主に国内総資本形成(国内の設備・不動産投資)で、これがGDPの約5割前後を占めてきました(日本は約2割)。一方、民間消費は30%台半ば(日本は約60%)です。つまり、極端な設備・不動産投資が経済を牽引してきたということです(注2)。
もともと内需が弱いですから、これらが過剰設備、過剰不動産開発となり、シャドーバンキング(地方政府による投資ファンドのようなもの)の不良債権問題に発展しました。しかしながら公約である経済成長を遂げるためには、中流所得層が育っていないために国内消費に頼れず(注2)、国内投資に頼らざるをえないという実情があります。
そこで投資資金を調達するために目をつけたのが世界一とも言われる高い民間貯蓄率です(注3)。具体的には低金利政策と(貯蓄しても利子があまりつかず魅力が少なくなる)、政府の大体的なPRの下、株式市場への投資を促したというわけです。
上海株式市場は、外資の資本取引規制などから、約8割が国内個人投資家と言われています。もちろん彼らのほとんどは、まともな知識や経験がないど素人の個人投資家です。このことがバブル形成の下地となっていきます。
(次回につづく)
注1:
国土が広大でかつ統計制度が整備されていない中国がなぜ1月20日にGDP(確報値)を発表できるのか(日本は2月16日に速報値を発表)については以前より疑問視されており、集計する前にGDP成長率が決まっているとの見方が強いです。
さらに李克強(現首相で経済問題の最高責任者)がかつて、GDP統計はあてにならず、電力消費、貨物輸送量、銀行融資だけがまともな統計だと語ったという話もあり(いわゆる李克強指数で、ウィキリークスで暴露された)、これによれば中国の今年上半期のGDPは3.2%増に留まるという調査結果もあります(公式発表では7.0%)。
また一般的に輸入の伸びとGDPの伸びは正の相関が確認されており(GDPが増加すると輸入が増加する)、かつ相手国が存在する輸入統計は誤魔化すことができない点から、中国の輸入(前年同期比で14%減)に注目すると、2015年度上半期で3%減少していてもおかしくないという見方もあります。
注2:
高度経済成長を遂げるためには国内投資は欠かせません。ただし日本においてピーク(1973年)時の36.4%と比べてもかなり高いことが分かります。
注3:
中国は社会主義にもかかわらず社会保険制度が極めて脆弱であることから、老後の資金のために、貯蓄率が高いと言われています。
今回はマクロ経済学の第1回目です。とりあえず「マクロ経済学=1国全体の経済活動を対象とする学問分野」と思ってください。分析の対象となる市場は、財(製品・サービス)市場、資産(貨幣・債券)市場、生産要素(労働など)市場などです。
私はある資格受験機関で経済学を教えているのですが、正直、マクロ経済学は受講生の受けが悪いです。「グラフ(数式)が多くイメージがわかない」「自分に関係があるのか?」といったことが背景にあるのでしょう。
確かに財政政策(政府による経済政策)や金融政策(中央銀行による経済政策)を学習したところで、政治家、経済官僚、エコノミストでもない限り、仕事として経済政策を立案したり経済批評を行う方はいないでしょう。
ただ、それでも私はマクロ経済学を学ぶ意義はあると思っています。
① なんだかんだ言ってもマクロ経済に与える政府・日銀の政策の影響は大きいです。たとえばバブル期とそれ以降では就職環境がまるで違います。当然、失業率も然りです。
よって1人1人の政権選択(=政策選択)が大きな意味を持ち、それは投票行動という形で表われます。そのためには政策を評価するための知識が必要です(政策の評価ができずにどうやって投票するのでしょうか?)。
② ①に関連して、「これまで自分たちがどういう時代を生き、今、どういう時代を生きており、そして今後、どういう時代を生きていくのか」考えることは意義があると思います。
③ 毎日、何かが起きるので、退屈しない(笑)。
当ブログでもこの2つに沿って、マクロ経済学を考えていきたいと思います。
さて本来、経済学は数式を使って考えていくものです。ですので少なくとも高校レベルの数学は必須とされています。ただし研究者でもなければ、おおよそ理解する分には加減乗除で充分事足ります(ただしミクロ分野では微分を使いますが)。
当ブログでもせいぜい足し算・引き算、たまに掛け算、割り算という程度です。正直、私自身、微分程度までしか分かりません。経済評論家と言われている人は沢山いますが、修士・博士号取得者でもなければ実際のところ加減乗除程度しかできない人がほとんどだと思います。