モチベーション理論とは、端的に言えば、「人の行動を動機づけるものは何か」「どうすれば動機づけられるのか」をテーマにしたものです。経営組織論のテキストを見ると、代表的なものでも20近くあり、それ以外にもミクロ経済学や行動分析学(臨床心理学)的なアプローチもあり、なかなか結論がはっきりしません。
大きな軸としては、「人を動機づけるのはカネか充実感(仕事内容)か」という観点から議論されていて、経営学的には「充実感」重視の考え方に傾斜しているところがあります。給料もなかなか上がらないし、「充実感」の方が自分でコントロールしやすそうであること、道徳的にも「カネ」重視とは言いにくいこともあり、「やっぱり充実感だ!」と考えがちかもしれません(少なくとも建前上は)。
しかしながら、少し考えてみれば分かることですが、誰でもそれなりの所得は必要ですし、同じことをするなら沢山おカネをもらえたほうがよいでしょう。また残念ながら、単純なルーティンワークのように、どうしても充実感を感じられないものもあるでしょう。そもそも「カネか充実感か」という2項対立そのものが間違いなのです。
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動機づけ=衛生要因理論 モチベーション理論の1つに、「動機づけ=衛生要因理論」というものがあります。これは、
端的に言うと、「満足」「不満なし」「不満」の状態に分け、「不満」の状態から「不満なし」の状態に持っていく要因を衛生要因、「不満なし」の状態から「満足」の状態に持っていく要因を動機づけ要因に分類するというものです。 <衛生要因> 衛生要因の特徴は次のとおりです。
・低次元の要因であり、仕事そのものではなく、それの外にある(外発的な要因)。 ・賃金、作業条件、経営方針、上司や同僚、部下などとの人間関係などが該当する。 ・なければ不満だが、しかしあったとしてもまったく満足するに至るということはない(満足の要因にはならない)。 <動機づけ要因> 動機づけ要因の特徴は次のとおりです。
・高次の要因であり、働くという行為そのもののなかにある(内発的な要因)。 ・達成、承認、仕事そのもの、責任、昇進、成長などが該当する。 ・なくても不満ということはないが、経験するといっそう満足を得るような欲求である。 つまり「おカネは不満の要因ではあるが、満足にはつながらない」「人を主体的に動機づけるためには動機づけ要因を高める必要がある」とし、そのためには権限委譲を進めたり、公正な評価が行われる仕組みを充実させたりする必要があるということです。もちろんおカネは不満の原因にはなりますから、相応の金銭的報酬は提供する必要があります。
動機づけ=衛生要因理論は、単に「満足か不満か」の2項対立ではなく、「不満⇒不満なし」と「不満なし⇒満足」に分け、それぞれの要因が異なるとしている点が興味深いところです。なかなかこれだけでモチベーションを説明しきれるものではないのですが、1つの考え方としては参考になります。
【参考】
「モチベーション入門」田尾雅夫著 日本経済新聞社
「組織行動のマネジメント」スティーブン P.ロビンス著 ダイヤモンド社
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13日夜にパリ同時多発テロが発生して以来、連日、報道が続いています。フランスでテロが起きた背景として、「フランスの人口の約10%がイスラム移民出身者で、差別による貧困に苦しんでいる。そこにISILが巧みに入り込んで、テロに駆り立てている」という説明がなされることが多いようです。「2世、3世の世代になっても差別されているフランスの現状が問題の原因である」と。 さて、個人的には「テロ=差別による貧困原因説」は少し単純ではないかと思いますが(注1)、「差別が貧困につながる」ことは事実でしょう。そして、貧困から脱せない主な原因は、学業面でのハンディキャップでしょう。今回は、「差別と貧困」について、経済学的に考えて見たいと思います。 結論から言うと、「差別による貧困層から抜け出すのは容易なことではない」「貧困層の問題は、差別する側の問題であると同時に差別される側にも問題がある」ということです。研究が進んでいるアメリカの白人と黒人を例に考えてみましょう。■被差別層に生まれると貧困のほうが合理的? アメリカでは、採用時に人種差別があることが指摘されています。「あたかも優秀な白人・優秀でない白人・黒人に分けているかのごとくである」との指摘すらあります。 たとえば10社中、6社において、白人を何らかの形で優遇しているとします。そうなると、優秀な黒人の応募は、残りの比較的公平な4社に集中することになります。つまり、優秀な黒人は、労働市場において、超過供給気味になり、その結果、賃金は低下することになります。せっかく学業に励んでも、あまり高い賃金が望めないのなら(期待値が低い)、学業に対する動機づけは失われることになります。むしろ怠業するほうが合理的になってしまい、その結果、貧困に留まってしまうのです。 ■被差別層の問題は、被差別層が解決すべき問題でもある もちろん、多くの黒人は、「学業に励んで立派な学歴を身に付ければ、それだけ裕福になる可能性が高まる」ことを知っています。しかしながら、スラムから抜け出すことは容易なことではありません。なぜなら、スラムから抜け出すことは、スラムの他の住人から(多くの場合、親ですらから)「裏切り行為」と捉えられかねないからです。 黒人に限らず、どんな人種であれ、自らの人種に誇りがあります。学業に励み、スラムから脱し、都会で高給の仕事をすることは、極めて「白人的な行為」であり、「(貧しい)黒人からの脱出」を意味します。「自分たちからの脱出」は自分たちのアイデンティティを傷つけるものであり、容認できないものです。 実際、成績優秀な白人の学生は友人が多いにもかかわらず、成績優秀な黒人は友人が少ないというデータ結果もあります。周囲からの支援が得られない(それどころか足を引っ張られる)のですから、無理をしてまで、学業に励むというインセンティブが失われることになります (※2)。 では、優秀な黒人の子供は、どうすればスラムから脱出できることができるのでしょうか。1人の子供の意志だけでは極めて困難で、ソーシャル・キャピタル(社会の信頼関係、規範、ネットワークといった社会組織)の充実が求められます。 たとえば、成功した黒人の近くに住むとか、親や近所の人たちが足を引っ張るようなら、学校の先生やNPO団体が子供の考え方を変え、その意志を支援するといったようなことです。 しかし、これも白人が支援するようでは、所詮、「黒人の白人化にすぎない」と捉えられかねないので、黒人が行うほうが望ましいでしょう。「黒人の問題は、黒人によって解決すべき問題」とも言えるのです。ヨーロッパのイスラム教徒の問題も同じことが言えるのではないでしょうか。 ※1 9・11の実行犯は、富裕層やインテリ層出身者が多く含まれており(オサマ・ビンラディンを含む)、日本でも戦前のテロ行為や、1950~60年代に過激化した学生運動を見ても、比較的豊かな層の出身者によるものが多く、必ずしも「テロ=貧困原因説」に断定できないような気がします ※2 今回は、人種差別(スラム)について取り上げましたが、日本においても、ある種の社会階層の固定化(例えば企業における男女格差や、地域間格差)について、このようなインセンティブがある程度作用しているような気がします。 【参考】 「人は意外に合理的」ティム ハーフォード著 武田ランダムハウスジャパン
前回の「行き違いを防ぐために(逆・裏・対偶)①」に続き、逆・裏・対偶の練習をしてみましょう。今回は、やや複雑です。 Q1: 次の文章と同じ意味になるものを①から④の中からすべて選んでください。ただし学生のみ対象で、教職員等は含みません。 徒歩か自転車で来られる学生だけが大学に来ていた。 ①大学に来ていなかったのは、徒歩でも自転車でも来られない学生であった。 ②徒歩でも自転車でも来られない学生は大学に来ていなかった。 ③徒歩か自転車で来られる学生は全員大学に来ていた。 ④大学に来ていたのは全員徒歩か自転車で来られる学生であった。 A1: 「徒歩か自転車で来られる学生だけが大学に来ていた。」は「徒歩か自転車で来られない学生は、大学に来なかった」と同義です。 ① ×:「徒歩か自転車で来られない学生は、大学に来なかった」の逆です。徒歩か自転車で来られる学生の中にも大学に来なかった者がいるかもしれません。 ② ○:上記のとおり。 ③ ×:①で触れたとおり、徒歩か自転車で来られる学生の中にも大学に来なかった者がいるかもしれません。 ④ ○:「徒歩か自転車で来られない学生は、大学に来なかった」の対偶です。 Q2: ①②の文章を前提とした場合、AやBは正しい結論として言えるかどうかを判断してください。 論理的な人は理屈っぽい。・・・① 議論を好まない人は理屈っぽくない。…② それゆえ 結論A:議論を好まない人は論理的ではない。 結論B:論理的でない人は議論を好まない。 A2: まず、「論理的な人は理屈っぽい。」の対偶は、「理屈っぽくない人は論理的でない」です。よって、「議論を好まない人は理屈っぽくない(=論理的でない)」となるので、結論Aが正しいことになります。「理論的でない人」のことは、①も②も何も言及していませんので、結論Bは導かれません。 【参考】 「新版 論理トレーニング」野矢茂樹著 産業図書
文書でも口頭でもコミュニケーションでは、行き違いがつきものです。広告の謳い文句を信じて問い合わせたら、「そんなことは言ってない」と言われてしまった経験があるかもしれません。 Q: 中華料理屋「上海亭」について、次の(a)が分かっているとき、そこから正しく言えるものを下の①から③の中から選んでください。 午後10時を過ぎたならば、上海亭はやっていない。 ①上海亭がやっていないならば、午後10時を過ぎている。 ②午後10時を過ぎていないならば、上海亭はやっている。 ③上海亭がやっているならば、まだ午後10時過ぎではない。 A: まず、「午後10時を過ぎたならば、上海亭はやっていない。」と言うことは、午後10時以降以外はやっているということを意味しません。 ① たとえば夕方は仕込みで休みかもしれませんから、断定できません。 ② こちらも同様に断定できません。 ③ こちらは正しいです。 料理屋ですから、イメージはしやすいかもしれませんが、場合によっては、判断が難しい場合があります。論理学の基本的な内容で、「逆・裏・対偶」というものがあり、これを使えば、容易に判断できます。条件文:AならばB 逆:BならばA 裏:「Aでない」なら「Bでない」 対偶:「Bでない」なら「Aでない」 このうち、正しいのは「対偶」だけです。 上の例ですと、①は逆、②は裏、③は対偶になります。 条件文:平日ならば、上海亭は開店している。 逆:上海亭が開店しているならば、平日である。× 裏:平日でないならば、上海亭は開店していない。× 対偶:上海亭が開店していないならば、平日ではない。○ 【参考】 「新版 論理トレーニング」野矢茂樹著 産業図書
国際陸連は13日、組織的なドーピング問題を受け、ロシア陸連に暫定的な資格停止処分を科しました。ルールを無視したロシアの行為に対する姿勢として、当然の措置でしょう。 しかしながら、ドーピングそのものについては、意外と批判することは難しいのかもしれません。 Q: ドーピングの是非はともかくとして、次の主張に対して説得力のある批判をしてみてください。 スポーツ選手が競技実績を上げるために薬物を用いて競技力を高める、すなわち薬物ドーピングは禁止されなければならない。 その第一の理由は、副作用による。とくに筋肉増強剤の副作用は肝臓障害、高血圧、動脈硬化などの重大なものが多く、死と隣り合わせのものが多い。また、筋肉増強剤の使用は攻撃性や敵対心を増大させ、人格を変容させてしまう。 第二に、薬物ドーピングはスポーツの理念に反する。スポーツは、人間が自分自身の能力を最大限に発揮することを求める。それゆえ、かりに薬物に訴えて世界記録を出したとしても、それは無価値である。 そして第三に、競技スポーツは公平でなければならない。トレーニングによって鍛えた身体を持つ走者とステロイド剤によって作り上げた筋肉を持つ走者が競争し、ドーピングした選手が勝利したとしても、それは公平な勝利とはみなせない。ドーピングは試合の公平さを破壊する不正行為にほかならない。 A: ここでの目的は、相手の主張の論証部(根拠)に対して批判すること(相手の論証部に対して反論すること)であり、何か対案を出すこと(異論)ではありません。では、第一から第三までの理由を批判してみましょう。 ・副作用と言うが、自己責任ではないか。喫煙や練習のしすぎも健康に害するが、それは禁止されていないのではないか。 ・「スポーツは、人間が自分自身の能力を最大限に発揮することを求める。」とあるが、それではシューズや水着などの高機能化された用具類はどうか。素っ裸でやれというのか。 ・「公平」と言うが、そもそも「公平」とは何か。確かに禁止されているのにドーピングを行ったら不公平だろうが(ロシアや旧共産圏諸国)、解禁されていたとしたら「不公平」ではないのではないか。 【参考】 「論理トレーニング101題」野矢茂樹著 産業図書
Q: あなたはミニシアターの営業責任者です。このシアターの映画鑑賞券は1人1800円です。平日は空席が目立ち、少し寂しい雰囲気です。 このたび、自社の映画館で上映される映画の情報を載せた小冊子を作成し、付近のレストランやカフェ、ヘアサロンに広告スペースの販売を行うことにしました。 広告掲載料は10万円ですが、「10万円では高すぎる。5万円であったら考えてもよい」と言われています。 あなたなら、どのように交渉をしますか。 A: これは創造的問題解決型です。 まず、広告スペースの価値について、相違があります。 あなたにとっての広告スペースの価値:10万円 広告主にとっての広告スペースの価値(コスト):5万円 よって、この5万円の差を埋めることになります。 たとえば、平日限定の無償鑑賞券を付けるということが考えられます。無償鑑賞券のコストは、せいぜい印刷代くらいでほぼ0、平日の映画上映コストは固定費ですから、さらに観客が増えてもコストが上がるわけではありません。一方、広告主にとっては、鑑賞券の価値は1800円ですから、それで5万円の価値の差を埋めればよいわけです。切りよく30枚配布した場合の両者の価値(コスト)は次のようになります。 あなたにとっての価値(コスト) =広告スペースの価値(10万円)+鑑賞券(0円) 広告主にとっての価値(コスト) =広告スペースの価値(5万円)+鑑賞券(5万4千円) =10万4千円 これなら広告主は5万円のコストで、10万4千円の価値が手に入れられるので、応諾するでしょう。無償鑑賞券を使って価値のパイを拡げたということですね。 創造的問題解決型の手順は、価値交換型と同じように、「相手に費用がかからずに自分のニーズを満たしてくれるものは何か」「自分の費用がかからずに相手のニーズを満たせるものは何か」を考えることから始まりますが、「どのように価値(パイ)を拡げるか」について、創造性が求められます。 【参考】 「戦略的交渉力」平原由美、観音寺一嵩著 東洋経済新報社
Q: 現在、鉄鋼メーカーX社(株式公開企業)と金属回収業者Y社(ベンチャー企業で株式公開を目指している)とが、合弁会社を協議しています。共同出資で特殊鋼の生産工場を建設し、金属回収業者が原材料を供給し、鉄鋼メーカーが生産にあたるというものです。 出資、コスト負担、将来的な資金調達、利益の分配はすべて折半で話し合いが進んでいました。ところが突然、鉄鋼メーカー側がリスクに極めて慎重な姿勢をとり、計画に難色を示し出しました。 あなたがY社の交渉担当者なら、どのように交渉をまとめますか? A: これは価値交換型のケースです。 交渉では、どうしても「互いに高く価値づけているものは何か」に注目してしまいますが、「向こうがとても欲しがっていて、こちらがさほど高く価値づけていないものは何か 」に注目すると、交渉の方向性が見えてきます。 この場合、X社側はリスク(赤字から黒字のバラツキ)を嫌っているので、望んでいることは、リスクの軽減(黒字であってもリターンは大きくなくてもいいが、赤字であっても大きなロスは回避したい)ということになります。一方、Y社側としてはそれほどリスク軽減に関心がないのであれば、この部分は譲歩してもよいはずです。 すなわち、赤字の場合はY社側がより多くそれを負担し、黒字の場合もY社側の取り分を多くするように交渉すればよいということになります。「ハイリスク・ハイリターンの原則」ですね。 価値交換型交渉の手順は、次のとおりです。 ① 利益を細分化して問題を複数化する。 ② 自己の関心利益を特定化する。 ③ 相手の関心利益を特定化する。 ④ 優先順位を付けて相互の利益差を特定する。 ⑤ 利益差に基づいて、利益を交換する。 【参考】 「最新ハーバード流 3D交渉術」デービッド・A・ラックス、ジェームズ・K・セベニウス 著 CCCメディアハウス 「交渉の戦略」田村次朗著 ダイヤモンド社
交渉の基本パターンとしては、大きく3つあります。(1)分配型交渉限られたパイをめぐって、相互が自分の取り分(利益)の最大化を図るために行う交渉のことです。 自分がより得をすれば相手は必ずより損をするし、相手がより得をすれば自分は必ずより損をするというパターンです。価格交渉が典型的でしょう。(2)利益交換型交渉パイは限られていますが、自分が重要でない部分は譲り、その代わり自分にとっては重要だが相手にとっては重要でないものを引き出すというものです。 法人取引で、売り手は代金をその場で現金で欲しいというニーズがあり、買い手はできるだけ安く買いたいというニーズがあったとします。この場合、売り手側が多少価格を安くする代わりに、買い手側からその場での現金支払いを求めるという交渉が成り立ちます。(3)創造的問題解決型交渉交渉当事者が協力し合ってパイを拡大するというものです。 パイを拡大すれば、互いの取り分は大きくなります。 逆に言えば、パイが限られている(あるいは小さくなりつつある)場合には、奪い合いは熾烈になり、合意を図ることが難しくなります。 創造的問題解決型交渉の例としては、隣同士で客の取り合いをしていた店同士が協力し合って共同で販促活動を行い、遠方からもたくさんのお客を呼ぶことで互いに利益を高めようといったことです。 分配型交渉は「WIN-LOSE型」、利益交換型交渉と創造的問題解決型交渉は「WIN-WIN型」と言えます。通常、交渉というと、分配型交渉を想起してしまいがちですが、意外とそうでないことも多いです。創造的問題解決型交渉はなかなか難しいかもしれませんが、利益交換型交渉の可能性は十分にあります。 自分が置かれている状況をよく考えてみることが、よい成果を生みます 。 【参考】 「ビジネス交渉と意思決定」印南一路著 日本経済新聞社
10月6日のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の大筋合意以降、メディアでも盛んに取り上げられています。日本の関税撤廃率は95.1%で、そのうち 農林水産物は約81%(他国は98.5%)に留まり、懸念やリスクを指摘する立場もあるものの、後から交渉に参加して2年間という時間制約の中ではかなりがんばったのではないでしょうか。■知らないと確実に損をする交渉術 今回は、交渉術の1回目です。もともと交渉術は、アメリカのロースクールで教えられ始めたことが契機で、講義や研究も法学出身の方が中心となって行われています。 しかしながら、ビジネスパーソンなら誰でも対社内・対社外で交渉を行っていますし、日常生活の中でも何らかの交渉に接しています。しかし、実際は経験や感で行っていることがほとんどで、言わずもがなで上手くできる人もいれば、いつも損してばかりの人もいるというのが実態ではないでしょうか。 交渉術を身に付ければ必ず自分の思い通りになるわけではないですが、少なくとも知っていれば損をすることは少なくできるでしょう。経験や感に陥りがちな交渉術をできるだけ客観的に考えてみたいと思います。■交渉の基本 まず交渉について定義しておきましょう。交渉とは「複数の当事者の間に、利害関係などのズレ、対立・衝突という問題が発生し、それを乗り越えるために行う双方向コミュニケーションなどの問題解決プロセス」です。 交渉の目的は、「自己の利益の最大化」です。 交渉というと、どうしても「勝ち負けを争う駆け引き行動(bargaining)」と考えがちです。確かに一度限りの交渉ではそうした面はあるのですが、慣れた相手ですと機嫌を損ないかねず、合意には至らない可能性が高まります。取引が継続していく場面では、よい関係が築けませんから、望ましい結果は得られないでしょう。 感情的にならず「相手のトクのほうが大きくても、少なくとも自分がトクするのであれば良しとする」という姿勢が望まれます。究極的には、「相手に買ったように思わせること(相手の勝利宣言を書けるか?)」が合意のポイントになります。 ■外交官のルール 究極の交渉の場面は、やはり外交交渉でしょう。交渉のほとんどは事前準備によって決まりますが、やはりその場の心理的な側面が大きく影響することは否定できません。交渉に当たっての心構えとして有名なものに、外交官のルールというものがあります。・ウソは言わない。 ・本当のことはすべて言わない。 ・不確かなときはトイレに行く。 【参考】 『ハーバード流交渉術』ロジャー・フィッシャー、ウィリアム・ユーリー著 三笠書房 『影響力の法則』アラン R.コーエン、デビッド L.ブラッドフォード著 税務経理協会
■中国の極端な男女比 10月29日に閉幕した中国共産党の重要会議である中央委員会第5回全体会議により、「一人っ子」政策の廃止が決定されました。 ご存知の方が多いかもしれませんが、「一人っ子」政策は、大躍進政策や文化大革命に匹敵するほどの極めて非人道的な政策であり、国家による強制中絶、人身売買、無国籍児など様々な問題を引き起こしました。 その1つに、男女の産み分けの問題があり、中国の新生児男女比率は118対100となっています。農村国家でしたから、労働力として男児のほうが好まれたということです。もともと男女比で言うと、男児の方が多いのが自然なのですが(世界的にはおおむね安定的に105:100前後で推移)、中国の場合は、かなり極端であることは以前より指摘されていました。■限界代替率 経済学では、限界代替率という考え方を使います。限界代替率とは、単純に言えば、「2財間の交換比率」を言います。 たとえばビール好きな人であれば、「ビール1杯が焼酎2杯に相当するなあ(ビール1杯の価値が焼酎2杯の価値に相当する)」と考えたとしたら、「ビールの焼酎に対する限界代替率は2」となります。■男女比の格差は解消される? さて、この限界代替率の考え方を中国の問題に置き換えるとどうなるでしょうか。いままでは力仕事に頼る農村経済中心でしたから、男児の労働力の価値は女児よりも高かったわけです。しかし、今後も工業・サービス経済への移行が進むでしょうから、労働力としての男児の価値は低下するものと思われます。 一方、男性比率が高く、現在でも男性の未婚問題が指摘されていますから、妻や恋人としての女性の価値は相対的に高くなることになります。嫁ぎ先からの経済的援助などが期待できることもあり、女児を出産する動機づけが高まることも予想されます。 つまり「男児の女児に対する限界代替率は低下し、女児の男児に対する限界代替率は上昇する」 ことになります。よって、経済学的にはいずれ男女比の格差は解消されていくだろうと考えます。 男女を財とみなすことは不謹慎かもしれません。しかし農村社会では(中国に限らず昭和初期までの日本でも)、「子供=労働力」とみなしていたことは否定できません。人口問題は、人権問題とは別に、たぶんに経済学的問題を秘めており、この点を意識しないと現実的な問題の解決にはつながらないでしょう。 ただし実際に中国で男女比の格差がどれくらのスピードで解消に向かうかどうかは不透明です。 男児を好む傾向は、①自給農業の割合が高いこと、②社会保障制度が未整備であること、③個人の自由・安全・財産の保証が未整備であること(その結果、暴力による搾取や報復の余地が高いこと)によって高まると言われています。①から③までの解消を図っていくことが必要条件になるでしょう。 【参考】 「ベッカー教授、ポズナー判事の常識破りの経済学」ゲーリー・S. ベッカー、リチャード・A. ポズナー著 東洋経済新報社
以前、日本がデフレに陥っている理由として、「中国からの安価な輸入品の増加」を指摘する識者・マスコミがかなりいましたが、これも個別の事象をもって全体の事象を捉えているケースと言えます。 デフレに本格的に突入した1999年度以降で見ると、日本よりGDPに占める中国からの輸入の割合が高い国としては、韓国、ニュージーランド、ハンガリー、チェコだけですが、このうちデフレに陥ったのは日本だけですから、「中国からの輸入原因説」は成立しません。 中国に限らず世界中からの安価な輸入品の流入という点では、日本より深刻な(注)アメリカでもデフレには陥っていないのです。 確かに安価な輸入品が流入すれば、それと競合する国内製品(輸入競合財)の価格は下がります。 しかし、「原油安だとデフレになるの?」で触れたように、所得効果、つまり節約分を他の製品(非輸入競合財)の消費に廻ることにより、製品によっては需要が増加し、価格が上がるものも出てきます。 つまり、安価な輸入品の流入により、価格が下がるものも上がるものもあるわけです。それにもかかわらず、日本では非輸入競合財の価格さえも下がりました。そもそも基本的には輸入品と競合しないサービスの価格も下がったことを考えれば、中国からの輸入をデフレの要因と考えることは無理があります。 日本のGDPに占める中国からの輸入の割合は、1999年度で1.2%程度、現在でも3~4%程度でしょうから、日本全体ではそもそも大した影響ではないのです。 現在、「携帯電話料金を値下げすると、物価が安くなってしまう」とか、「円安は、輸入物価の上昇によって、インフレを起こす」とか、「TPPで関税が撤廃されると安価な輸入品の流入でデフレ化する」いったことが経済の専門家と言われる人から出たりもするのですが、こうした意見は、結局は個々の財の価格と物価を混同しているケースと言えます。 繰り返しになりますが、個々の財の価格と物価は、まったく別のものです。 注: ただし輸入が増加すること(あるいは貿易赤字になること)は、1国の経済にとって、別に悪いことではありません。これについては、回を改めて考えたいと思います。 【参考】 「デフレと超円高」岩田規久男著 講談社
予定を超過し、引き続き物価の話ではありますが(おそらく次回も)、今回は、ミクロ経済学の知識を使って検討したいと思います。 日本銀行の会見を見ると、物価上昇率目標(2%が目安)が達成できない理由として、原油安の影響を挙げることが多いようです。確かに2014年初夏から2015年初頭にかけて原油価格はほぼ半減し、その後、反転したものの、7月以降、再度下落しています。 経済学では、価格効果という言葉があります。価格効果とは、「ある財(モノやサービス)の価格の変化が、その財や他の財の需要量(消費量)にどのような変化を与えるか」を見たもの で、多くの場合は、「ある財の価格が上がれば(下がれば)、その財の需要量は減少(増加)する」ということになります(価格が変わらなかった財は、それに限らない)。もっとも、「価格が上がっても(下がっても)、需要量がほとんど変わらない」財もあります。 さらに、価格効果は、代替効果と所得効果に分解することができます(スルツキー分解)。 価格が低下した場合を想定して、3つの言葉を定義すると、次のようになります。単純化のために、A財とB財の2つを考え、所得は一定の下でA財のみ価格が低下したとします。・価格効果 A財の価格が低下すると、A財やB財の需要量はどのように変化するか。 ・代替効果 価格低下により、A財が割安になると、A財の需要量はどれくらい増え、(価格は変わらないが、相対的には)割高になったB財の需要量はどれくらい減るか。 ・所得効果 A財の価格が低下すると、実質的に生活負担が軽くなり(実質所得の上昇)、どれくらいA財やB財の需要量が変化するか。 ※価格効果=代替効果+所得効果 さて、ここで原油安が我々の消費活動にどのような影響を与えるか考えてみます。単純化のために「ガソリン」と「その他の財(原油を使わない財)」の2つ想定します。 <代替効果> 「ガソリン」の価格が下がれば、「ガソリン」は割安になり、消費量は多少増加するかもしれません(代替効果)。 ただし、いくら割安になったからといって、「ガソリン」を大量に買い込むとは考えにくいので、代替効果による「ガソリン」の消費量の増加は限定的かもしれません。その結果、割高になった「その他の財」の消費量も多少減るかもしれませんが、おそらくそれほど変わらないのではないでしょうか。 <所得効果> 一方、原油安になれば、我々の生活負担は確実に軽減され、懐事情は改善されるでしょう(実質所得の上昇)。ガソリン代を節約できるからです。節約できたので、多少は「ガソリン」の消費量を増やすことはあるかもしれませんが、やはりあまり買い込んでも仕方がないので、それほど変化はないでしょう。 ただしガソリン代を節約できれば、その分、「他の財」の消費に充てることができます。たとえば、車を買い替えたり、旅行に行ったりすることもできるでしょう。このように「ガソリン以外の財」の中には需要が増加するものもあるでしょう。 ここまでが、スルツキー分解の話です。これとは別に、一般的には、ある財の需要が増加すれば、その財の価格は上昇します。そうなると、上の例では車や旅行は需要が増加し、価格が上がることになります。 少しややこしくなりましたが、結論はシンプルで、「原油安になれば、(確かに一時的には物価の下落にはつながるが)実質所得の増加を通じて(おカネが節約できるので)、他の財の需要の増加と価格の上昇をもたらし、物価全体は、結果的には変わらなくなる 」と考えたほうがいいでしょう。(つづく)
とりあえず2回で物価の話をしようと思っていたのですが、収まりませんでしたので、予定を変更したいと思います。 日本銀行が目標としている物価上昇率は2%で、異次元金融緩和(といってもあくまで日本では異次元というだけ)を始めた2013年度4月には「2年程度で達成」としていましたが、30日の黒田総裁の記者会見では、「(開始から3年以上経つ)来年(2016年)度後半ごろ」に達成時期を延期させました。日銀の金融政策を批判するならば、インフレ目標を達成していないことを挙げるべきでしょう。 さて、政府(日銀)が物価という場合、通常、消費者物価指数(CPI)を指します。しかしながら、消費者物価指数は大きく3つに分かれます。・CPI 全国の世帯が購入する家計に係る財及びサービスの価格等を総合した物価の変動を時系列的に測定するもの。 ・コアCPI CPIから、生鮮食品の価格変動を除いたもの。 ・コアコアCPI CPIから、生鮮食品とエネルギーの価格変動を除いたもの。 なぜ生鮮食品やエネルギーの価格変動を除くかというと、前回触れたように、これらは、国内の景気や政策とは無関係に価格が決まる部分が大きいからです。 では、総務省が先月30日公表した9月の消費者物価指数の動向を見てみましょう。 CPI:前年比0.0% コアCPI:前年比0.1%低下(2カ月連続で低下) コアコアCPI:0.9%上昇(プラス幅は拡大傾向) なお、日本銀行が目標としている物価上昇率は、CPIです。 コアCPI、コアコアCPIという名称は、日本独自のもので、世界的にはコアコアCPIを目安にすると言われています。 コアCPIが低下しているのにもかかわらず、10月30日の金融政策決定会合で日銀が追加金融緩和を見送った理由の1つとして、コアコアCPIが上昇傾向にあるからだと言われています。(つづく)
前回、「生鮮食品を除く食料品の価格は1.9%上昇しているのなら、日銀は物価上昇という目標をやめたほうがいいのではないか」という意見に対して、「インフレよりもデフレのほうがもっと問題だ」という観点から批評しました。今回は、違う観点から検討したいと思います。 まず、先の発言は、「食料品の価格が上昇していて、庶民の実感としては、物価はすでにかなり上がっているので、生活が苦しい。」という立場でしょう。テレビなどで多いのは、この後、主婦の方のコメントが続くというパターンです。 東京都の生鮮食品の価格動向を見ると(平成27年8月中旬速報)、15品目のうち、前月に比べ10品目が値上がりし、4品目が値下がりしました。また、前年同月(平成26年8月)の価格と比べると、「じゃがいも」の34.0%をはじめとして全ての品目が値上がりしています。よって、庶民感覚として、「物価が急激に上昇している」と感じることは、無理もありません。 しかしながら、お気づきのとおり、急激に上がっていると感じるのは生鮮食品であり、生鮮食品を除く食料品の価格の上昇率は1.9%で、急激に上がっているとまでは言えません(注1)。要は大きく価格が上がったモノの印象ですべての価格を評価しているのではないかという印象もあります。 さらに、生鮮食品は、天候等による豊作・不作などによって価格が決まることが一般的であり、そもそも経済政策でコントロールできないわけですから、値上がりの責任を日銀の政策に求めること自体に無理があります。前月比で「ほうれんそう」は24.8%値上がりしているのに対し、「ねぎ」は22.3%値下がりしています。 また、こちらのほうがより大事なことですが、物価とは、「ある家庭が1年間生活していく上で必要な、さまざまな財・サービスの値段を合計したもの≒すべての価格の加重平均値」であり、食料品の価格はその構成要素の1つにすぎません。食料品の価格と物価を同一にすること自体が誤りなのです。 経済学では、エンゲルの法則と呼ばれるものがあります。エンゲルの法則とは、「世帯所得が高くなればなるほど,総消費支出に占める食費の支出割合が低下する」という経験法則のことです。食費の支出割合をエンゲル係数と言い、こちらのほうが有名でしょう。 ちなみに、日本の場合、最も貧しい2割の家計のエンゲル係数は約25%であり、最も豊かな2割のエンゲル係数は約20%と、所得階層ごとのエンゲル係数には大きな差がなく、エンゲルの法則は当てはまらないことが知られています(注2)。 つまり生鮮食品を含んでも食料品の割合は、全支出の2割を占めるに過ぎないということです。個別の価格と物価を分けて考えるのが、経済学の常識なのです。 注1: 他の番組でも、紹介するグラフでは、生鮮食品を除く食料品の価格の上昇率(1.9%)を示しながら、庶民のコメントは生鮮食品の価格の上昇についてのものといったようなすり替えを行っているケースすらあります。 注2: よって、軽減税率を導入しても、その恩恵は高所得者層により大きく、低所得者優遇とは言えないという議論もあります。 【参考】 「東京くらしWEB『生活関連商品等の価格動向』」https://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/chousa/kakaku/ 「幻冬舎plus 『第1回 「軽減税率」のこと、ちゃんと知っていますか?』飯田泰之」 http://www.gentosha.jp/articles/-/4418
今回から2回(予定)に分けて、物価というものを確認していきたいと思います。 安保法案が採決され、政治の季節が終わり、これからは経済の季節ということで、新三本の矢(①希望を生み出す強い経済、②夢を紡ぐ子育て支援、③安心につながる社会保障)が発表されました。それを受けてか、テレビのニュース番組を見ていても、久しぶりに経済について取り上げられることが多くなってきたような気がします。 特に平日夜の10時から11時台のニュース番組は、どこもあまりにも報道が偏りすぎていて、バカバカしくなり、最近はあまり見ないようにしているのですが、たまに見ると、「ひどすぎることが多すぎる」。 先日、ワールド・ビジネス・サテライトを見ていたら、日本銀行の黒田総裁の会見についての報道の折に、「生鮮食品を除く食料品の価格が食料は1.9%上昇しているが、なぜ日銀はさらに物価上昇させようとしているのか(目標を変えたほうがいいのでは?)」というようなことをキャスターが言っており、エコノミストが、それを支持するかのように「日銀と庶民感覚ではズレがある」とコメントされておりました。 「ということはデフレのほうが良いと言いたいのでしょうか?」 念のため、改めて確認すると、デフレとは「物価が継続的に下落すること」で「物価が下落すること」ではありません。一時的に物価が下落しても、やがて(モノの値段か安くなれば、需要が増加するので)物価は自律反発的に上昇するので問題にはなりません。 しかし、物価が継続的に下落し、さらに人々が今後も物価が下落し続けると予想する(デフレ期待)と、大問題になります。もっと価格が下がることが予想されるなら、誰も今買おうとはせず、その結果、もっと価格が下がります。 また、デフレはモノとサービスの総合的な価格が継続的に下がることですが、それが問題になるのは、その結果、企業の売上・利益、そして、その結果、給与や株価(資産価格)が下がる(つまりすべての価格が下がる)ことを意味するからです。 だから、安倍政権になってインフレ目標を2%に目安に置いた政策を行うことで、企業収益、給与、資産価格の上昇を図ろうとしているわけです。 「インフレ(物価の継続的な上昇)も問題だが、デフレはおそらくもっと悪い(インフレが引き起こす不況もあるが、歴史的には不況になるとデフレになるのが普通で、抜け出すのがより困難になる)」ということは、経済学の常識と言っていいと思います。 不況は基本的には需要不足であり、モノの値段が下がるわけですから、当然と言えば当然なのですが(もっともデフレのほうがよいというおかしな経済の専門家もいるのが興味深いです)。 もし、それでもデフレがよいというのなら、次の質問に対する回答を用意する必要があります。「なぜアメリカやユーロ、韓国は、みなインフレ目標を2%に置いているのか?」 「なぜ2013年度4月までインフレ目標を掲げていなかった日本だけがデフレに苦しんだのか?」 「なぜポール・クルーグマン、ジョセフ・E・スティグリッツといったノーベル経済学(注)受賞者は日本におけるインフレ政策の必要性を主張しているのか?」 (つづく) 注: 正しくは「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」。ノーベル自身が設置・遺贈したものではないため、賞金はノーベル基金ではなくスウェーデン国立銀行から拠出されている。そのため日本では、経済学賞のみ賞金が課税対象となる(もっともこれまで受賞者はいない)。 【参考】 『マンキュー経済学 II マクロ編(第3版)』N.グレゴリー マンキュー著 東洋経済新報社