今回は、2013年度3月以降の黒田日銀の主な政策を振り返ります。これは次回触れるマイナス金利導入の位置づけを考える上で必須になります。あわせてマイナス金利の内容についても確認しておきましょう。
■黒田日銀の金融政策
2013年度3月以降の黒田日銀の主な政策を振り返ってみましょう。
<2013年4月>
マネタリーベースを年間60から70兆円ペースで増加させると発表(QQE1)。
<2014年10月>
マネタリーベースを年間約80兆円ベースで増加させると発表(QQE2)。
<2015年12月>
「量的・質的金融緩和」を補完するための諸措置の導入。上場投資信託(ETF)の
購入を3000億円増額し、日銀が購入する長期国債の残存期間(償還までの期間)
をこれまでの7~10年程度から7~12年程度まで長期化する。
<2016年1月>
日本銀行当座預金の一部にマイナス金利を導入することを発表。
なおQQEとは、Quantitative-Qualitative Easing(量的・質的金融緩和)の略で、これがいわゆる追加緩和(黒田バズーカ)です。
2014年10月の追加緩和は、同年4月からの8%への消費増税によりインフレ目標の達成が困難になったことを受けてのものと考えるのが一般的です(10%への消費増税に向けた援護射撃であったとの見方もあります)。
■マイナス金利の導入へ
2016年1月、日銀は日本銀行当座預金の一部にマイナス金利を導入することを発
表しました。
日銀当座預金とは、簡単に言えば民間銀行が日本銀行に預けるお金のことです。買いオペによって日銀から民間銀行に支払われる代金も日銀当座預金に振込まれることになります。現在、日銀当座預金の残高は約260兆円ですが、そのほとんどに日銀は0.1%の利息を付けています(付利政策)。
よって民間銀行はただ日銀当座預金にお金を預けておくだけで約2200億円程度の利ざや(事実上の補助金)が稼げることになっていました。今回のマイナス金利は、日銀当座預金の250兆円を超える部分にマイナス0.1%の金利をつけるというもので、現在その適用対象は約10兆円にすぎません。その他については引き続き原則0.1%の金利が付きます。今後、銀行が追加で日銀に預けるお金に対しては、金利をつけず、逆に金利を支払ってもらうというもので、銀行側からすれば管理手数料を取られる形になるわけです。
■そもそもなぜ付利政策を導入したのか?
この付利政策は2008年10月(0.1%への引き上げは12月)に当時の白川日銀が導入したものです。
銀行同士の短期の資金の貸し借りの利率(無担保コールレート)は付利を下限に形成されます。ノーリスクでもらえる付利ではなく貸出に廻す以上は、付利以上の利率を貸出先の銀行に要求するのは当然だからです。
リーマンショック当時、無担保コールレートは0.5%程度で推移していましたが、これを0.1%まで下げることを目的に日銀は付利政策を採用したわけです。
無担保コールレートを下げることによって銀行同士の資金の融通性を高め(資金の調達コストを下げ)、ひいてはその先の民間企業への貸出の利率を低下させる(名目金利の低下)ことをねらったわけです(いわゆるゼロ金利政策)。それとともに、リーマンショック後の金融システムの安定化(銀行への資金補助)のための措置という側面もありました。
その後、無担保コールレートは0.1%で定着しましたので、本来の低金利誘導という目的はなくなり、
銀行に対する資金補助という面だけが残り、それが現在まで続いたわけです。つまり日銀の付利政策は、もともとリーマンショック後の臨時かつ時限的な措置であったわけです。
【参考】
日本の解き方/マイナス金利に不平言う銀行 「お小遣い」維持されるのに利回り低下ばかり強調/高橋洋一/2016.02.23
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今回は金融緩和政策のねらいを中心に見ていきましょう。
■量的・質的金融緩和とは何か?
「量的・質的金融緩和」とは、日本銀行が、黒田総裁就任以降の2013年4月に導入した政策です。消費者物価の前年比上昇率2%の「物価安定の目標」を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現するため、マネタリーベースおよび長期国債・ETF(上場投資信託)の保有額を2年間で2倍に拡大し(世の中のお金の量を増やす)、長期国債買入れの平均残存期間を2倍以上に延長するなど(多様な金融資産を買い増す)というものです。
■どうやってお金を増やすのか?
テレビ等では「ジャブジャブお金を増やす」「ヘリコプターからお金を撒く」という言い方をされますが、これはかなり誤解を生む表現だと思います。「単にお金をジャブジャブ刷って大丈夫か?」と普通の人が思うのも無理はありません。
金融緩和策には様々な手段がありますが、現在、その中心は買いオペ(買いオペレーション)です。つまり中央銀行が市中の債券を買ってその代金を民間金融機関に支払うことにより世の中の貨幣量を増やすのです。
■金融緩和のねらいは何か?
金融緩和政策のねらいは、早い話が「物価が継続的に下落する⇒企業の売上・利益が低下する⇒賃金が下がるなど雇用環境が悪化する⇒消費や投資が低下する」というデフレスパイラルを断ち切り、逆の好循環に持っていくというものです。
前回「日銀の量的・質的金融緩和政策①(なぜ日本は出遅れたのか)」http://bgeducation.blog.fc2.com/blog-entry-124.htmlで触れたように、デフレはモノに対してお金が不足しているからです。よってお金の量を増やす政策を取ればインフレになります(注)。
金融政策の実体経済への効果は、通常、実施から半年から2年程度のタイムラグがあるとされ、段階的に効果が現れます。これは実体経済を考える上でとても重要です。簡単に説明すると、次のとおりです。
<第1段階:資産価格の上昇>
お金の量が増えることにより円安になる。予想インフレ率が上昇し(企業の業績改善が予想され)手元の余剰資金が株式市場に流れることで株価が上がる。
<第2段階:総需要の拡大>
株価上昇の資産効果により消費や投資が増える。円安により輸出が増加する。
<第3段階:雇用環境の改善と設備投資の拡大>
企業業績の改善により雇用が増加する。また景気の先行きが明るくなることで設備投資のための貸出が増加する。
■実質金利で考える
経済学の講義では、「金融政策の目的は利子率(名目金利)を下げること」と説明されます。買いオペを通じて銀行に供給されたお金の量が増えれば、銀行は手元に現金を抱えていても儲からないので、安い金利にしてでも借りてもらおうとするからです。
ただし2008年末以降の日本は「ゼロ金利」と言われるほどの低金利状態が続きました。その場合は、物価変動を差っ引いた実質金利で考える必要があります。実質金利は次の式で示されます。
実質金利=名目金利-期待インフレ率
※名目金利=額面の金利
※期待インフレ率=人々が予想する物価上昇率
(ブレーク・イーブン・インフレ率で計測)
金融緩和を行えば期待インフレ率が上昇しますから、名目金利が一定ならば実質金利は下がることになります。それだけ企業や家計はお金を調達しやすくなり、設備投資や住宅投資が伸びることになります。
この実質金利の考え方は、今回のマイナス金利の導入でも重要なポイントになります。
注:ただしインフレ政策では聞こえが悪いので、リフレーション(リフレ)政策(緩やかなインフレを目指す政策)と呼ばれるようになった経緯があります。
【参考】
『アベノミクスのゆくえ』片岡剛士著 光文社
先月29日の金融政策決定会合で日本銀行が日銀当座預金の一部にマイナス金利を導入すると発表しました。
金融政策は、財政政策(公共投資・増減税・給付金など)と比べて、多少の知識がないと理解しにくいところです。今回は、日銀の金融緩和政策について、基本的なことから振り返ってみたいと思います。
■なぜリーマンショック後に日本は取り残されたのか?
2008年のリーマンショック後のG7(フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)の名目GDPの推移を見ると、日本が最も打撃を受け、かつ回復も遅い(日本だけがリーマンショック前の水準に回復していない)ことが分かります。
さらに日本だけがデフレとなり、さらに2012年度まで超円高基調になるという事態に晒されました。
なぜリーマンショック後に、本来無関係であるはずの日本だけが取り残されたのかについては、他国が行って日本が行わなかったことに着目すればよいでしょう。それは中央銀行の金融緩和政策です。
2008年8月時点の各国のマネタリーベース(マネタリーベース、中央銀行が提供するお金の量)を1とし、2012年度10月時点を確認してみると、アメリカは3.1倍、イギリスは4.1倍、ユーロ圏は1.9倍に対し、日本は1.5倍に留まります。特に最初の2年間ではほとんど増やしていません(1.1倍程度)。
■消極的な金融政策が諸悪の根源!?
実は円高、デフレの原因は同じです。そしてこの2つは名目GDPを押し下げる作用があります。為替や物価を考える際には、相対量で考えるのが便利です。
たとえば当初、円とドルの量が1対1だとし、そこでアメリカがマネタリーベースを増やし、1対2になったとします。「相対的に量が少ないものは価格が上がり、多いものは価格が下がる」という原則から、円高ドル安になります。
一方、1国全体でのモノの量と貨幣の量を考えてみます。モノの増加に対し貨幣量の増加が見合わなければ、相対的に多いモノの価格は下がります。つまりデフレになるということです。
こうしてみるとあまりに消極的な日銀の金融緩和が円高(輸出不振)とデフレを招き、その結果、名目GDPの停滞を招いたことがわかります。
【参考】
『リフレは正しい』岩田規久男著 PHP研究所
『日本を救ったリフレ派経済学』原田泰著 日本経済新聞出版社
日本銀行 マネタリーベース時系列データ
日本企業には戦略がないと言われて久しいです。一般に戦略とは市場での独占的な地位の確保を目指すものといったニュアンスでしょう。確かにそういった面では日本メーカーにはあまり戦略がなかったかもしれません。しかしながら、そもそも日本企業の戦略スキーマ(戦略観や戦略パターン)は、アメリカ企業などのそれとは異なるものだったとも言えます。
■一般的な戦略のイメージ
通常、競争戦略(事業戦略)の要諦は、マイケル・ポーターの競争戦略論に求められます。ポーターの競争戦略は、差別化戦略(市場全体を対象に、高機能化・ブランド化などコスト以外の独自性を打ち出す)、コストリーダーシップ戦略(市場全体を対象に、徹底した低コスト化を実現する)、集中戦略(市場の一部分を対象に、差別化あるいはコストリーダーシップを実現する)の3つのいずれかにより、業界内で独自のポジションを確保するというものです。
1990年代末以降、さらにビジネスモデル(儲け方の仕組み)についても大きな関心を集めています。
ポーターの競争戦略論にせよ、ビジネスモデルにせよ、目的は市場の中で独占的な地位を確立することにねらいがあります。当然ながら、他社が模倣できないような独占的な地位を確立してしまえば、ガチンコの競争を避けられ、高い収益を上げることが可能になります。
■電卓に見る日本企業の競争パターン
一方、日本企業に見られる戦略パターンは、どのようなものであったでしょうか。少し古い例ですが、電卓産業におけるカシオとシャープを例にしてみます。
1970年代前半、参入と退出が相次ぐ中、カシオは「多機能化」シャープは「薄型化」に焦点を当て、激しい競争を勝ち抜きました。しかしながら、1970年代後半以降、2社の寡占化が確立する中で、こうした2項対立的な競争軸は薄まっていきます。
たとえばカシオが多機能製品を販売すると(それを予期・準備していたかのごとく)僅かの遅れをもってシャープが同様の製品を販売する、逆にシャープが薄型製品を販売すると僅かの遅れをもってカシオが同様の製品を販売するといったような競争が繰り返されたといった具合です。ただし最後までカシオは「多機能化」シャープは「薄型化」に優位性があり、その点においては単なる模倣合戦とは異なりました。
■対話としての競争
このような競争は、次のように総括できます。両社はあたかも市場で対話するかのように、互いの製品を観察し、模倣し、その経験をもとに新たな要素を加えることによって自らの戦略スキーマに磨きをかけていきました。
自社の戦略スキーマからでは導き出せないような製品展開を行っている企業の戦略を長期的に模倣し、しかも模倣対象企業よりも先行しようという努力プロセスは、他社の持つ技術やノウハウを自社の戦略展開に活用可能にするための学習プロセスとも捉えることができます。
このような市場を通しての企業間の「発見⇒模倣⇒戦略の再構成」の学習プロセスを、対話としての競争といいます。
■切磋琢磨による効果
以上のように、日本企業の戦略パターンは、独占的な地位の確立ではなく、相互の切磋琢磨にあったといえます。一度独占的な地位を確保してしまうと、技術変化に鈍感になってしまったり、製品改良に消極的になってしまったりといったことはあるでしょう。
アメリカでは独占的な立場にあったリーダー企業が、技術の世代交代期においてその重要性に気づかず没落していったのに対し、日本企業は比較的上手く立ち回ることができてきました。それはこのような相互観察による戦略スキーマの彫琢によってもたらされたとも考えられるのではないでしょうか。
また国内での激しい企業間での競争によって技術力が高められ、その結果、海外での競争にも打ち勝つことができたというプラスの面もあったといえるでしょう。
【参考】
『超企業・組織論』高橋伸夫編 有斐閣
企業間での価格競争を回避するためには、お互い低価格にしないという同調行動を促す状況を作り出せばよいということになります。同調行動には、他社の模倣も含まれます。今回は模倣による効果について考えてみます。
■ゼロサム下での模倣は過当競争に
ゼロサムとは、全員の利得の総和が常にゼロになる状況のことで、「WIN-LOSE」、すなわち誰かが得をすれば必ず他の誰かが損をすることになります。
ゼロサムの状況では、低価格化といった相手を出し抜こうという誘因が働きますが、遅かれ早かれ他社に模倣されることになります。「出し抜く⇒模倣される」が繰り返され、過当競争になります。
相手を負かす戦略+相手による模倣=双方ともに負ける結果
■プラスサム下での模倣は双方にとって得に
プラスサムとは、全体が拡大することにより、各プレイヤ-もそれぞれ得をする(WIN-WIN)という状況のことです。企業間ではどうしても競争という面が強調されますが、プラスサムである可能性についても考慮すべきでしょう。この場合、他社による模倣は双方にとって望ましい結果を生み出します。
双方が勝つ戦略+相手による模倣=より大きな双方の勝利
■会員カードの発行
プラスサム下での模倣について、ポイント還元付きの会員カードの発行を例にしてみましょう。この場合、低価格競争を避けるばかりか、値上げを行う余地も高まります。
市場にA社とB社の2社しか存在しないとします。仮にA社が多少値上げしても、それがB社と比べてそれほどの割高ではなかったとしたら、多くの顧客はA社に留まるとします。買い手を変えることは顧客にとっても面倒ですから、このようなことは現実にもあるでしょう。またB社の顧客も同様に行動すると考えます。
ここでA社がポイント還元付きの会員カードを発行したとします。このままではB社は顧客をA社に取られてしまいますから、対抗措置として同様に会員カードを発行したとします。そうなると第一の効果として、互いに顧客を囲い込むことに成功します。何らかの形で顧客を囲い込んでしまい棲み分けができれば、価格競争は起きません。
次にA社が、B社と比べてそれほどの割高にはならない程度に値上げしたとします。ただし多くの顧客は先述の理由でA社に留まることになります。それを見たB社も同じように多少の値上げをするはずです。A社の場合と同様にB社の顧客はB社に留まるからです。そしてそれを見たA社はさらに多少の値上げを行うことが可能になります。つまり相手に顧客を取られない程度に少しずつ値上げを行っていくという余地が生まれることになります。
■「双方が勝つ戦略」を創造する
寡占市場では、会員カードの発行以外にも、何らかの形で顧客を囲い込んで棲み分けを作ってしまえば、価格競争の回避どころか値上げすら可能になる状況を作り出すことができます。「相手を負かす戦略」だけでなく「双方が勝つ戦略」を創造することで過当競争から脱する余地が生まれます。
そのためには自社だけでなく、同業他社、顧客、サプライヤーなど幅広い視野からの利害状況の分析が必要になります。
【参考】
『コーペティション経営』バリー・J. ネイルバフ、アダム・M. ブランデンバーガー著 日本経済新聞社
前回、「他社が低価格をしかけてきたら我が社は必ずそれよりも低い価格にする」というコミットメントを示せば、他社が低価格をしかけることに対する威嚇になることを取り上げました。今回は、このコミットメントを売り手と買い手との契約の中に盛り込むというケースを考えてみます。
最低価格保証
最低価格保証とは、「他店より1円でも高ければ当店は必ず安くします」というものです。家電量販店などでよく見られます。
一見すると際限のない価格競争になると思いがちですが、実際には価格競争を抑制する効果があります。
ライバル店が値下げすれば必ず自店も値下げすることになり、ライバル店は値下げする意味がなくなります。互いに最低価格保証を採用することで、相互に値下げへの牽制ということになり、価格競争が抑制されます。
競争者対抗条項
競争者対抗条項とは、売り手と買い手との間の契約の一種で、最後の価格提示をそれまで契約していた供給者ができるというものです。ラストルック条項とも言われます。
例えば買い手のX社と売り手のA社が、それまで1個100円で納入するという契約を結んでいたとしましょう。そこにB社が1個80円という納入価格を提示してX社との契約を奪いにかかったとします。
予めX社とA社との間で競争者対抗条項を結んでいたとすると、X社はB社が1個80円という価格を提示したことをA社に知らせる義務があります。この場合、A社には2つの選択肢があります。1つは納入価格を下げないでX社との取引を断念すること、2つ目は納入価格をB社並かそれ以下に下げてX社との取引を継続することです。
結果的にA社がどちらを選択しようと、B社は単に安い価格を提示しただけでは注文を奪うことができません。まさにこの点において、競争者対抗条項が価格競争の抑止力になりうるのです。なぜなら、B社としては安い価格を提示してもA社がそれに追随する可能性があるので、結果的には儲けがでないまでの価格競争になることが自明だからです。最低価格保証と同じ理屈です。
法人営業を担当していると、顧客の担当者から、「他社はもっと安い○○円を提示してきたが、それに合わせられないか」と打診された経験が少なからずあると思います。揺さぶりをかけられたと感じるのが普通ですが、知らぬ間に他社に抜けがけされる(あるいは他社の提示した価格がわからない)よりはまだマシだということです。
逆に知らぬ間に低価格で抜けがけされてしまう余地が有るほうが、互いに疑心暗鬼になって過度な低価格競争になってしまう可能性が高まるのです。
リベンジが抑止力に!?
最低価格保証も競争者対抗条項も同じで、「低価格には低価格で報復する」という強い決意を示すことで、結果的には価格競争が回避されることになります。皮肉にも互いに核兵器を持っている国同士では戦争が起こらないのと同じ論理ですね。
【参考】
『コーペティション経営』バリー・J. ネイルバフ、アダム・M. ブランデンバーガー著 日本経済新聞社
前回(寡占市場における競争②)http://bgeducation.blog.fc2.com/blog-entry-119.htmlに続き、価格競争の回避策について考えてみます。今回はゲーム理論で取り上げられるコミットメントについて見ていきましょう。
■ゲーム理論とは
ゲーム理論とは、2人以上のプレイヤー(個人・企業・国家など)の意思決定や行動を分析するものです。自分にとっての利害は自分がとる行動だけでなく、他の様々な人々の行動の影響も受けることになります。よって自分の利益を高めるためには、他人がどのようなインセンティブを持ち、どのように行動するかを予め分析する必要があります。
ゲーム理論の考え方は、ミクロ経済学で取り上げられてきた経緯がありますが、経営学(経営戦略)をはじめ社会科学全般での応用も進んでいます。
以前の経営戦略論では、相手の出方を見るというより、どちらかと言えば、「市場環境を分析して頑張って業界内で独自の地位を築き上げる(ポーターらのポジショニング・アプローチ)」「他社を圧倒する何らかの組織的な能力を身に付ける(資源アプローチ)」という主張が優先されました。
しかしながら自社の戦略は他社の戦略によっても影響を受けるでしょうし、自社も他社もいくつかの戦略オプション(選択肢)を持っているのが普通です。このような状況の中で他社の出方を見つつ自社の戦略を考えるのは合理的であり、さらに他社に働きかけて自社にとって都合が良い状況を築き上げることさえ可能となります。
■コミットメント
コミットメントとは、「自分が将来にとる行動を表明し、それを確実に実行することを約束すること」です。決意を言葉で表明するだけでなく、他の行為によって代替する場合もあります。
たとえば背水の陣があります。自軍の兵士の士気を鼓舞するためのもの(自分に対するコミットメント)と捉えがちですが、敵に対して退却しない(最後まで戦う)という意思を示すことで敵の動揺を誘う(相手に対するコミットメント)というねらいもあります。
業界内で他社が低価格をしかけることを止めさせるために、自社が「他社が低価格をしかけてきたら我が社は必ずそれよりも低い価格にする」というコミットメントを示せば、他社に対する威嚇になります。
ただしコミットメントのポイントは「必ず守る」ということです。単なるコケ脅しでは威嚇にはなりません。低価格にする覚悟がないと相手に見透かされたら効果はありません。
このようなコミットメントを行うことが有効なのは、寡占市場の中で少し頭1つ抜きでたリーダー企業が存在する場合です。リーダー企業は経営規模からして低価格化を行うだけの余裕があるので、その表明には説得力があるからです。
一方、コミットメントを見透かされた例は、昨年夏のギリシャ債務危機問題でしょう。当初は、ユーロ離脱すらほのめかしてEUやIMFの要求する緊縮財政案を拒否していたギリシャ側が、結局はEU・IMF側の緊縮案を受け入れざるを得なかったのは、ギリシャ側の揺さぶりが本気ではないと見透かされたからでしょう。ギリシャの当時のバルファキス財務相がゲーム理論の専門家であったことが興味深いところです。
【参考】
『戦略的思考の技術』梶井厚志著 中央公論新社
『競争戦略論』青島矢一、加藤俊彦著 東洋経済新報社
前回(寡占市場における競争①)http://bgeducation.blog.fc2.com/blog-entry-118.htmlに続き、携帯電話市場の企業行動について考えてみましょう。各携帯電話メーカーは何が何でも価格競争を回避したいはずです。そのためにはおおよそ次のような方向性が考えられます。
■価格協定を結ぶ
どこかが価格競争をしかけると他社もそれに追随し業界全体が価格競争になってしまうのであれば、事前に値下げしないよう価格協定を結んでしまえばよいわけです。
しかしながら業界企業間の価格協定はカルテル(談合)であり、示し合わせて高い価格を維持すれば消費者利益に反することになります。よって独占禁止法(自由競争を阻害する要因を取り締まる法律)違反になります。
また自社だけ抜け駆けして値下げすれば需要をひとりじめでき短期的には利益が増えることは自明なので、各社は常に協定を破ろうとするインセンティブがあります。たとえばOPEC(石油輸出国機構)で価格維持のための石油の減産が決まっても、必ずどこかの国が裏切って増産してしまい、結局、協定が反故にされてしまったといったケースがあります。
このように価格協定の締結は現実的ではないのですが、一定期間の競争を通じて企業間で「価格競争をしない」という暗黙の了解が形成されることがあります。これは事実上の価格協定といってよいと思います。
■価格比較できないようにする
製品やサービスの客観的な比較ができる場合、価格競争になります。たとえばA社とB社で同内容ということが客観的に分かれば、消費者はより安い方を選ぶことになり、供給側としては値下げせざるを得ません。そうであるなら、最初から客観的に比較できないようにすればよいわけです。
たとえば各携帯電話会社で少しずつ内容が異なるサービス・パッケージを提供すれば、消費者は客観的な価格比較ができないようになります。経済学者の飯田泰之氏(明治大学准教授)は、値下げさせるためには業者間でサービス・パッケージを統一させればよいと主張しています。
■機能面やイメージ面での差別化競争
価格以外で競争するのであれば、機能面やイメージ面での差別化競争を行うことになります。たとえばスマホの新機種をいち早く販売する、魅力的なコンテンツを提供する、ブランドイメージを確立するといったようなことです。機能やイメージは、価格と比べて、あまり客観的な評価・比較ができませんから、より高い金額をユーザーに請求しやすくなります。
価格競争に陥っていないものとしてブランド商品があります。これはブランドに対する消費者の好意的なイメージを醸成する(消費者の主観的・情緒的・感情的価値に訴求する)ことで客観的・合理的な商品比較を回避している例と言えます。
言ってしまえば、「価値が客観的によく分からないもののほうが比較されずに高い価格をふっかけやすい」ということですね。
■携帯電話市場を考える
昨年の秋頃から政府・与党内から携帯電話・スマホの料金引き下げの圧力があり、通信各社とも今後、格安プランを導入していくことになりそうです。日本の通話料金は国際的に見て必ずしも高いわけではないようですが、ここでは仮に割高だとして、なぜそうなるのかについて考えてみたいと思います。
■企業間競争における囚人のジレンマ
「共有地の悲劇と囚人のジレンマ」http://bgeducation.blog.fc2.com/blog-entry-105.htmlで、囚人のジレンマ(協力し合う方がお互いに得をするにもかかわらず、協力し合わないことで、結果的にそれぞれ低い利得しか得られない現象)について取り上げました。
これを企業間の競争に当てはめてみます。たとえば値下げをしたほうが市場シェアを高めることができ高い利益を得られることは多いでしょう。業界他社も同じことを考えるとすると、業界全体が価格競争になることは必至です。よってどこの企業も結果的には低い利益に甘んじることになります。
お互い価格を高めに維持すれば高い利益を得られるのに、各社が自らの目先の利益を考えて値下げをしてしまうと結局は利益が低下してしまうということで、これは囚人のジレンマそのものです。
■寡占市場とは
寡占市場とは、少数の企業が市場シェアの大半を握っている市場のことです。
国内の完成品市場の多くは実は寡占市場です。たとえば国内のコピー機の市場を見ると、リコー、富士ゼロックス、キヤノンの上位3社で80%弱、上位5社では98%弱(2011年度)となっています。自動車のシェアを見ると、トヨタ46.6%、ホンダ、日産自動車がともに12.2%、マツダ6.6%となっており、上位4社で約77%を占めています(2015年度)。もちろん国内の携帯電話市場は、NTTドコモ、ソフトバンク、auの3強体制ですから寡占市場です。
■寡占市場の企業行動
寡占市場では、ライバル企業が少数で互いに観察することができます。よってライバルの動向を観察したり予測したりしながら自社の戦略を決めることになります。ある程度の期間、少数の同じメンバーで競争していると、互いに手の内が分かることになります。
当然、値下げ競争をすると互い消耗するだけということは分かっていることになり、価格競争を絶対に回避することが業界の課題になります。
(つづく)
前回「悪魔の証明」で見たように、立証責任を負う立場が議論の過程で変わる場合があります。今回はSTAP細胞問題を例に考えてみましょう。
■STAP細胞問題
先月29日に発売された小保方晴子氏の著書「あの日」が物議をかもしています。2月11日の夕方時点で、アマゾンのカスタマーレビューが413、平均で星3.6ですが、この評価がまた極端で星5つ(最高評価)が221、星1つ(最低評価)が108となっています。
まったくの個人的な印象ですが、科学者(社会学者を含む)は「そもそも論文の体をなしておらず、科学者としての常識・良識がない」とボロカス、高評価者は「小保方さん1人に責任をなすりつけて可哀想(とかげの尻尾切りだ!)」という感じでしょうか。小保方さんがさえない風貌のおじさんだったらどうだったんだろうなという気も…。
ES細胞がどのようにして混入したのかなどプロセスは永遠に謎なのでしょうが、今回はSTAP細胞問題が他の捏造問題と違ってなぜややこしくなったのかを考えてみましょう。
■再現できないのならその場で失格
自然科学の常識は、「再現ができないのなら、その論文は取り下げ」です。「STAP細胞はありま~す」と言うなら、作ってみせればいいだけで、作れなかったらおしまいという話だけでしょう。とかげの尻尾切りだとか理研の責任云々はまったく別の話で、小保方氏が(不正引用を含めて)科学者として失格だった、STAP細胞はなかったというだけのことがなぜこんなに騒ぎになるのでしょうか。
■入れ替わった議論
「悪魔の証明」で見たように、通常、ある事実が「存在する」と主張する側に立証責任があります。「存在しない」ことを証明するのはほぼ不可能だからです。よって、小保方氏が「STAP細胞はありま~す」と言うなら、作ってみせればいいだけです。
STAP細胞事件がややこしくなったのは、最初は小保方氏側にSTAP細胞がある(不正をしていない)ことを証明する義務があったはずなのに、やがて理研側に小保方氏が不正をしたことを証明する義務が負わされることになったからです。
「STAP細胞があるかないか」であれば、「STAP細胞がある(小保方氏)」と主張する側に立証責任があります。ただし理研内部での処分を決定する(刑法上の罰則を規定する)となると、理研側が不正の認定を行う必要があります。「不正があるかないか」であれば、「不正がある」と主張する方(理研)に立証責任が移ることになります。
つまり「STAP細胞があることの証明」から「不正があったことの証明」に話が入れ替わってしまい、本来、STAP細胞が再現できなかった時点で話は終わりだったはずが、不正をきちんと立証できない(プラス小保方氏の特異なキャラ)ので物議を醸すことになったのではないでしょうか。
【参考】
『科学研究とデータのからくり』谷岡一郎著 PHP研究所
■ないものをないと証明するのは悪魔の証明だ
甘利前経済再生担当相の金銭授受問題について、2月3日の衆院予算委員会で安倍首相と岡田民主党代表との討論がありました。(以下、要約)
岡田氏:甘利氏はグレーだ。甘利氏が、大きな権限を持ってアベノミクスの司令塔、TPPの最終交渉をした。きちんと検証すべきではないか。
首相:週刊誌報道がTPP交渉や経済財政政策に影響するのか。するはずないじゃないですか。そんなことは一切ないということははっきりと申し上げたい。
岡田氏:TPPは農家に死活問題だ。週刊誌報道ではなく、こうしたお金にルーズな事務所、あるいは本人が大きな権限を持っていたことに、危機感を持つべきだ。しっかりと確認すべきだ。
首相:公党の代表として嫌疑をかけるなら、具体的にどの品目に影響を与えたか言わないと、ただの誹謗中傷だ。週刊誌報道に頼らず、具体的な案件をいってほしい。
岡田氏:政策が政治献金で影響されることがないと断言したのはあなただ。断言した以上、その根拠を示す責任がある。
首相:ないものをないと証明するのは悪魔の証明だ。あると言うのなら、あると主張するほうに立証責任がある。ないものはないと言うしかない。あると言うなら1つでも具体的なことを言ってくださいよ。
■悪魔の証明とは
悪魔の証明とは、「ある事実が『全くない(なかった)』」というような、それを証明することが非常に困難な命題を証明すること」です。
たとえば「東京都内にデング熱を持った蚊がいる」ということを証明するとしたら、東京都内でデング熱を持った蚊を1匹捕まえてくればいいですが、「東京都内でデング熱を持った蚊はいない」ということの証明は都内全域を探査しなくてはならず事実上不可能であるというような場合、悪魔の証明と言います。
「していないこと」「存在しないこと」の証明は、そもそも不可能に近いということですね。よって、通常は「ある事実が存在する(した)」と主張する側に立証責任があります。
■無罪を証明できないかぎり有罪?
刑事事件において、「被告が無罪を証明できないかぎり有罪である」ということは、もちろんありません。あくまで検察側に当該被告によって犯罪が行われたことの立証責任があるわけです。
最初に検察側が当該被告による犯罪を立証したら、それに対して被告側は反対立証(アリバイ証明や物理的な困難さの提示)を行う必要がありますが、あくまで検察側の立証が完全ではないということを示すだけで、絶対に犯罪していないことそのものを証明しなくてもよいわけです。
■否定できないから正しいわけではない
今回の国会の議論は、当初、岡田氏は「甘利氏に確認したらどうか」というレベルで止めようと思っていたのに、思わぬ首相の反撃でつい「影響がなかったことの立証」を求めてしまい、逆に「影響があったことの立証」を求められてしまったということでしょう。
「あると主張する側に立証責任がある」という前提を考えれば、攻め方が甘かったので立証責任が入れ替わったケースと言えます。事実、岡田氏は金銭授受の影響を証明できずに議論が終わったという印象が残ります。証明できないことに立ち入ってしまったということでしょう。
ただし、「悪魔の証明」はあくまで立証に関する議論であり、「していないこと」「存在しないこと」の証明が難しいとしても、実際に「していないかどうか」「存在しないかどうか」はわかりません。
「神は存在する。なぜなら神が存在しないことを証明できないからだ」というのはおかしな話で、せいぜい言えるのは神は存在するかもしれないという程度です。「否定できないから正しいわけではない」というわけです。
【参考】
『科学研究とデータのからくり』谷岡一郎著 PHP研究所
■リーダー企業が破壊的技術に尻込みする理由
既存技術におけるリーダー企業が次世代技術(破壊的技術)への取り組みに消極的になる理由は、次のようにまとめられます。
・破壊的技術によって、それまでに構築した生産・組織体制、あるいは現在の事業の付加価値化の源泉であるサプライヤー、流通業者、ユーザーとの関係(価値ネットーワーク)を台無しにしたくない。
・そもそも次世代技術はリスクが高く、事業規模も見通せない。よって事業規模が大きく株主などから高い成長率を期待(要求)されているリーダー企業にとっては、あまり魅力的ではない。
■どうすればイノベーション・ジレンマを回避できるか
リーダー企業の本業は、既存技術による製品(あるいはサービス)事業ですから、それを台無しにするような次世代技術(新事業)の発展をそもそも望んではないないどころか、それを潰しにかかる可能性すらあります。しかしながら次世代技術が既存技術を凌駕し、それを破壊し始める頃には、完全に手遅れになります。
ではリーダー企業はどのように技術の世代交代を図っていくべきでしょうか。
(1)本業が健全であるうちに新事業を定期的に立ち上げる
もともと新事業(破壊的技術)はリスクが高いですから、財務的に余裕がないと無理だということです。さらに何が当たるか分からないので数を打つ必要があります。
(2)新事業は既存事業部門と分割し小さな規模で始める
リーダー企業の主力事業部門には高い売上・利益・成長率目標が要求されます。よってリスクが高く事業規模を見通せない新事業への取り組みはどうしても忌避される傾向があります。小さい組織単位であれば、主力事業部門にとっては魅力がない程度の事業規模であっても、それを推進するだけの意義を見出すことができます。
(3)新事業に早期の成功を要求する
プレッシャーを与えることで新事業が本当に有望か、成功するためにはどうすればよいかの試行錯誤を促すということです。また新事業が早い段階で利益を上げることができれば、主力事業が傾いても致命的にはならないということです。
ただし綿密な事業計画で縛ることは避けたほうがよいでしょう。もともと新事業は不透明性や不確実性が高いですから、柔軟性を確保することが必要です。
(4)新事業に自立性を与える
当然ながら破壊的な新事業には既存事業とは異なるスキル・事業評価・ビジネスプロセスが求められます。新事業リーダーには十分な権限を与える必要があります。
■新事業の独立運営には注意点も…
新事業の自立性を確保するためには、地理的に既存部門から離す、別会社化するなどといった手段が考えられます。
しかし既存部門からすれば新事業は自らの存在を脅かす存在でありますから、新事業が完全に独立的に振る舞うと既存部門側が反発し、組織内で不協和が生じる可能性があります。『イノベーションのジレンマ』の著者であるクレイトン・クリステンセンは、新事業の自立性とはあくまで事業プロセスと価値基準においてであることを強調しています。
新事業には「優れたアイデア」と「実行プロセス」の2つが求められますが、後者についてはエキスパートである既存のスタッフ部門(たとえば財務・人事・マーケティング部門)の支援が不可欠でしょう。また新事業成功の暁には、その成果を既存部門にも速やかに反映させる必要があります。
こうした問題に対処するためには経営トップの役割が重要になります。まずは環境の不確実性に対応するためには新事業を展開する必要があることを組織全体に理解させること、そして新事業部門に対し既存事業部門が支援すること、両事業の成果の共有を図らせることが経営トップには求められます。
【参考】
『イノベーションのジレンマ』クレイトン・クリステンセン著 翔泳社
『イノベーションへの解』クレイトン・クリステンセン/マイケル・レイナー著 翔泳社
『イノベーションを実行する』V・ゴビンダラジャン、C・トリンブル著 NTT出版
イノベーションのジレンマとは、リーダー企業は主要顧客からの要望に対応するために持続的なイノベーション(インクリメンタル・イノベーション)に邁進し、破壊的イノベーション(ラディカル・イノベーション)に対応できなくなることを言いました。今回はカメラ業界を例に考えていきましょう。
■ミノルタの躍進
1986年はカメラ市場において1つの転機になりました。α-7000の大ヒットで一眼レフカメラの国内市場シェアで初めてミノルタがキヤノンを抜きトップに躍り出たのです。当時の国内生産量での一眼レフカメラ市場のシェアは、次のとおりです・
1 ミノルタ 35.6%
2 キヤノン 20.0%
3 日本工学 14.7%
4 旭光学 10.9%
5 オリンパス 7.4%
■デジタルカメラの登場
市販のデジタルカメラの登場は1986年のキヤノンのRC-701ですが、ボディのみで39万円(システム全体で500万円)と高額でとても一般に受け入れられるものではありませんでした。
現在のデジタルカメラの原型といえるのは、カシオ計算機が1995年に発売したQV10になります。当時増加しつつあったパソコンユーザーの、自分で撮影した画像をパソコンに取り込んで年賀状などに加工したいというニーズを掴みヒットしましたが、画像は荒く、それまでの銀塩カメラ(スチルカメラ・フィルムカメラ)を代替するものとは考えられていませんでした。
カメラの一般ユーザーの多くは素人でデジタルカメラの発展性を見抜いていたわけではなく、むしろ銀塩カメラの改良を望んでいたわけですから、リーダー企業のミノルタは銀塩カメラの改良、具体的には自動焦点・自動露出、フィルム装填の容易さなどに邁進していくことになったのです。
■入れ替わる市場シェア
しかしながらデジタルカメラが銀塩カメラと同等あるいはそれ以上の性能を持ち始めるとどうなったでしょうか。デジタルカメラと銀塩カメラでは多くの共通技術がありますが、基本的には異なる技術体系に属します。よってデジタルカメラ市場で出遅れたミノルタは、カメラ市場でその地位を凋落させていくことになったのです。
国内出荷台数で初めてデジタルカメラが銀塩カメラを上回った2003年のデジタルカメラ市場のシェアは次のとおりです(国内出荷量ベース)。
1 キヤノン 16.6%
2 富士フィルム 15.0%
3 ソニー 14.6%
4 カシオ計算機 13.0%
5 オリンパス 12.0%
先に挙げた1986年の市場シェアと比べると、メインプレイヤーが大きく変わったことが分かります。1986年にシェアがトップだったミノルタは、2003年にコニカと経営統合し、2006年にはすべての写真関連分野から撤退することになります。
■スマートフォンの普及
その後、スマートフォンの普及により、コンパクト型デジタルカメラの出荷台数は2010年の1億858万台から2013年は4571万台に沈み、レンズ交換式も2012年の2016万台から2013年は1713万台に減少しています。スマートフォンはデジタルカメラにとっての破壊的技術であったことが分かります。
【参考】
『技術経営―未来をイノベートする』山田肇著 NTT出版
生産性のジレンマが、技術(ドミナントデザイン)に合った生産体制を構築してしまうと、プロダクト・イノベーション(あるいはラディカル・イノベーション)が行われなくなるというジレンマでした。今回のイノベーションのジレンマは、顧客の声に耳を傾けてしまうとラディカル・イノベーションへの取り組みが行われなくなるというものです。
■価値ネットワーク
たとえば製造業の場合、原材料や部品のサプライヤー、完成品メーカー、卸売業者、小売業者といった様々な事業者の手を経て付加価値が積み重ねられた結果、最終的にユーザーの手に製品が渡ります。こうした付加価値化の一連の経路のことを価値ネットワークと言います。ポーターの言うところの価値システム(業界バリューチェーン)と似たような概念と考えてよいでしょう。
この価値システムの枠組みの中で各事業者は高付加価値化に励み、最もそれに成功した企業がリーダー企業となります。そしてリーダー企業はその地盤を強固なものとするために製品改良に励むことになります。たとえばビッグユーザー(ヘビーユーザー)からの高品質化・低価格化の要請に応えるために製品改良に励むといったことです。
■リーダーは合理的に次世代技術を無視する
ここで既存技術を代替してしまうような次世代型の技術が登場したとしましょう。次世代技術が生まれた当初は既存技術よりも遥かに性能面で劣ることが一般的です。よってビッグユーザーを含むユーザーの大半は次世代技術製品を望まず、既存技術製品をより改良したものを望みます。
すでに既存技術の枠組みでの価値ネットワークに組み込まれているリーダー企業からすれば、ユーザーの大半の声に耳を傾けたほうが収益性の改善が見込まれ合理的です。よってリーダー企業は既存技術の改良に邁進することになります(インクリメンタル・イノベーション)。
■ユーザーの声に耳を傾けすぎるととんでもないことに!
しかしながら次世代技術が価値ネットワークを構築して、その中でやがて既存技術を上回る性能を発揮し出したらどうなるでしょうか(ラディカル・イノベーションの実現)。既存技術のリーダー企業は、次世代技術の価値ネットワークに所属していませんから、完全に次世代技術での競争で出遅れることになります。
このように技術の世代交代期には、業界の主要プレイヤーが一気に入れ替わることがあります。「イノベーションのジレンマ」の著者であるクリステンセン(ハーバード・ビジネス・スクール教授)は、ハードディスクドライブ、プリンター、掘削機、オートバイなどを例に取り上げています。
自らの利益を高めるために既存技術に邁進するというリーダー企業の合理的な判断が、次世代技術への取り組みを消極的にさせることがイノベーションのジレンマなのです。
【参考】
『イノベーションのジレンマ』クレイトン・クリステンセン著 翔泳社
前回、「ドミナントデザイン(市場において支配的・標準的なデザイン)が確立すると、企業側の関心は大量生産による低コスト化のためのプロセス・イノベーションにシフトし、プロダクト・イノベーションは行われなくなること」を指摘しました(生産性のジレンマ)。市場は寡占化され、各企業はドミナントデザインの下で最適な生産・組織体制を確立します。
さて生産性のジレンマには、さらにもう1つのジレンマを生み出すことになります。それは確立された生産・組織体制が技術の世代交代期に足かせとなるというジレンマです。
■インクリメンタル・イノベーションとラディカル・イノベーション
インクリメンタル・イノベーション(持続的イノベーション)とは、既存の技術体系の枠組み内でのイノベーションのことですが、要は改善レベルと考えて頂ければよいです。
一方、ラディカル・イノベーション(破壊的イノベーション)とは、既存の技術体系の枠組みを超えた(既存の技術体系を破壊してしまうような)イノベーションのことです。
たとえばVTRに対してのDVD、スチルブカメラ(フィルムカメラ)に対してのデジタルカメラは、それぞれ旧世代技術と新世代技術は非連続の関係にあり(旧世代技術の延長に新世代技術があるわけではない)新世代技術は旧世代技術を代替してしまうものなのでラディカル・イノベーションということになります。
このような技術の世代交代は、次に挙げるように何世代にも渡ります。
<タイプライター>
手動式 ⇒ 電動式 ⇒ ワープロ ⇒パソコン
<照明>
オイルランプ ⇒ ガス灯 ⇒ 白熱電球 ⇒ 蛍光灯 ⇒ LED
<画像技術>
銀板写真 ⇒ 鉄板写真 ⇒ 湿板写真 ⇒ 乾板写真 ⇒ 巻きフィルム
⇒ 電子画像 ⇒ デジタル画像
■リーダー企業はその地位ゆえに没落する?
ドミナントデザインの下で大量生産・大量販売のための生産・組織体制を確立して生き残った企業は、そのドミナントデザインが続く限りにおいては圧倒的な競争優位を持つことになります。
しかしながら既存の技術とは非連続な関係にある次世代技術(破壊的技術)が登場しそれが進化すると様相は一転し、それまでの主要企業は没落することになります。
破壊的技術はもっぱらアウトサイダーによってもたらされます。それまでの主要企業は、莫大な投資・労力を費やして既存の技術(やがて旧世代化する)に合った生産・組織体制を確立しています。よってそれを無駄にしてしまうような次世代技術(破壊的技術)にはどうしても消極的になります。
つまり確立した生産・組織体制が足かせとなってしまうのです。一方、新規参入者はそのような足かせはなく、次の市場での支配的な地位を目指してひたすら次世代技術の進化・普及に邁進します。
また本当に破壊的技術が既存技術を代替してしまうものなのかの見極めが難しいことも、それまでの主要企業が破壊的技術に取り組むことを消極的にさせます。破壊的技術のほとんどが失敗に終わりますから、事業としてのリスクは極めて高いです。破壊的技術は既存技術を駆逐して初めて破壊的技術であったことが分かるのです。
このような背景から、技術の世代交代期に主要なプレイヤーが一気に入れ替わってしまうことがしばしば見られます。複数の技術の世代交代となると、それを上手く泳ぎきれる企業はほとんどないと言えるでしょう。
【参考】
『イノベーション・ダイナミクス』ジェームズ・M. アッターバック著 有斐閣