私見の域を超えるために(統計学的研究と事例研究)
これは何も経営学の理論を打ち立てる際だけでなく、ビジネス環境の中で私たちが何らかの結論を得ようとする場面でも有効です。
■統計学的研究とは
統計学的研究とは、全体に偏りがない縮図となるように無作為にサンプルを集め統計的な推計を行うというものです。
観測された差や相関関係が、どれだけ一般化できるのか確かめて、当てはまる範囲を推論できるという点に優れています。
たとえば「組織に深くコミットした人よりも、そうでない人のほうが経営危機に際して離職率が高い」という相関関係を確かめたいとします。この場合、日本中のいくつかの企業の中から無作為に集めたサンプルでこの関係が確かめられれば、この仮説は一般に当てはまると認知されます。
しかしながら、統計学的研究は因果関係を解き明かすことが得意ではありません。相関分析の結果だけでは、その理由を教えてくれないからです。上の例で言うと、「なぜ組織に深くコミットした人のほうが経営危機に際して離職しないのか」までは説明してくれません。
また標本とは言え十分なサンプルを集めることには手間やお金がかかりますし、偏りのないサンプルを集めることは簡単ではありません。
■事例研究とは
事例とは、「ある特定の歴史的個体、あるいは集団で生じる事象」のことです。事例研究とは、単純に言えば、ケースワークのことですが、その特徴は、コンテキスト(ある事象を取り巻く状況、脈絡)を重視する点にあります。
もちろん1つのケースだけで一般化できる結論を抽出できるわけではありません。特定のケースから推測されたことが実際に他のケースでも当てはまるのか反復実験を繰り返すことで正しさを検証することになります。
調査方法としてはなるべく多くのサンプル数を集めたほうが誤差が小さく客観性が高くなるので優れています。しかしながらもともとサンプルが極端に少ないもの、たとえば戦争、大災害、バブルなど滅多に起きないものや、今後は起きそうではあるがいまだケースとして少ないもの(たとえば20年以上前の時点でのインターネットや現在のAIの商業利用)を調査・研究する場合には統計的調査はそもそも不可能であり、事例研究の有用性が高まります。
このような場合は、他の分野で起きたことを応用してみるといったアナロジー思考(既知の世界と未知の世界の間に構造的類似性を見出し、理解や発想を促す方法)を用いることになります。
■統計学的研究と事例研究を補完的に用いる
統計学的研究と事例研究の特徴を比較すると、次のようになります。

統計学的研究と事例研究では強みが異なりますから、相互に補完しあって活用すべきだということになります。
一般的には仮説を導く際に事例研究を用いて、それがどれだけ広く一般化できるかどうかを検証する際に統計学的方法を用いることになります。あるいは逆に統計学的調査の結果を説明するために事例を調べることも有効です。
さて統計学的研究、事例研究というと仰々しく私たちとは無関係な事柄とも思えますが、一般的な社会人が何らかの見解を得る上でも示唆するものがあります。
普通のビジネスパーソンにとって手間や費用を考えると統計的調査はなかなか難しいでしょう。経験や身近な観察事象から何らかの仮説や結論を得るという行為(いわば事例研究)を意識的・無意識的に行っているはずです。しかし、その際には事例研究の限界についても意識する必要があります。
すなわち「あくまで仮説にすぎない」ということを意識して、似た条件の他のケースでも当てはまるのか反復的に検証するということです。この行為がなければ所詮は私見の域を出ないことになります。
【参考】
『ブラックスワンの経営学』井上達彦著 日経BP社