fc2ブログ

「大きな池の小さな魚」か「小さな池の大きな魚」か(自己有能感④)

レベルの高い集団に属すると、その人の有能感が低下し、その結果、モチベーションにも悪影響を与えるということが、会社組織でも当てはまるのなら、どのような対策が打てるのでしょうか。教育心理学の知見を応用しながら、考えてみます。


■能力別の編成にする

「大きな池の小さな魚」だと有能感が低下するのなら、「小さな池の大きな魚」にしてあげればよいという考え方もできます。進学塾では能力別のクラス編成が一般的ですが、これは教える側の教えやすさもさることながら、受ける側にとってもメリットがあるわけです。

会社では、首都圏の花形部門などいわゆる出世コースといわれる部署に所属すると、そこから外されることにかなりの恐怖心を覚えることもあるでしょう。確かに異動(左遷?)は、心理的には堪えますが、早めに移ったほうが結果的にはよいのではないでしょうか。移った先で伸び伸びと仕事に励み、実力をつければ、何かの折にまた花形部署に戻れることもあるでしょう。

もしそれが困難であっても、無理に所属して劣等感を感じ続けて潰れるよりもはるかにマシな気がします。場合によっては転職するということも手段としては考えられます。収入は下がるかもしれませんが、心の健康を損なうよりはよいでしょう。


■集団への同一視を高める

前回、栄光浴効果、つまり社会的に高い評価を受けている個人や集団と自分が何らかの結びつきがあることによって、自分の評価を高めることについて指摘しました。この栄光浴効果を利用するという手段も考えられます。

集団の一員であることに価値を置いていない人は、自分が所属している集団が優れた成績を収めているのに対して、自分自身の成績が悪いとネガティブな感情を抱く傾向がありますが、集団の一員であることに価値を置いている人には、こうした傾向が見られないそうです。

つまり自身が優れた集団の一員であることを強調することによって、自分が所属している集団への同一視を高めさせることが、優れた集団に所属することによって有能感が低下することを減じることにつながるのです


■幅広い比較軸を用いる

レベルの高い集団に属すると、その人の有能感が低下するのは、周りの高いレベルが判断基準となるからであれば、違う判断基準(比較基準)を用いれば、有能感の低下を防ぐことができるかもしれません。

たとえば進学校であれば校内の順位だけでなく、全国的な標準試験の成績で判断するといったことです。企業内であれば、1部門内だけでなく、部門全体、あるいは業界平均と比較するといったことは考えられるかもしれません。


■他人との比較を止める

おそらく最も現実的かつ有効なのは、他人との比較を止めるということでしょう。何しろ周りとの比較で劣等感を感じてしまうわけですから。相対評価ではなく、絶対評価で、過去の自分の実績や能力と比べて、今の自分がどれくらい進歩したかに焦点を当てるのです。このことは上司の部下への接し方でも大切なことです。

確かにライバル心むき出しで駆け上がっていく人もいますが、むしろ周りと比較せずマイペースな人でも順調なキャリアを築いているケースは、みなさんの周りでも多く見られると思います。

競争意欲は短期的には効果があっても、長期的にはそれでは持たないと思います。実際に若い頃にはガツガツしていた人でも、ある程度の年齢になると大抵は角がとれたようになるのは、(出世の限界もあるかもしれませんが)他人との比較から自己評価へとシフトしたからとも考えられます。


さて今年の掲載は今回で最後になります。1年間お読みいただき有難うございました。良いお年をお過ごしください。来年もどうぞ宜しくお願いいたします。

【参考】
『行動を起こし、持続する力』外山美樹著 新曜社



スポンサーサイト



「大きな池の小さな魚」か「小さな池の大きな魚」か(自己有能感③)

■小さな池の大きな魚効果

前回、無理に上位校にいくとかえって成績が落ちる可能性が高くなることを指摘しました。学業レベルの高い集団に属すると、その人の有能感が低下し、逆に、逆業レベルの低い集団に属すると、その人の有能感が高まるという現象は、心理学ではそのものずばり、「小さな池の大きな魚効果」と呼ばれます。

「小さな池の大きな魚効果」は、残念ながら我が国での調査は存在しないようですが、かなり普遍的に見られる現象のようです。

私事な例ではありますが、私は公立小学校から受験して国立中学に進学しましたが、自分ではかなり勉強したはずなのに、上位4分の1以内には入れず、すっかりやる気を無くした経験があります。また高校では、おそらく受験時代には学業優秀だったはずなのに、入学後はまったく勉強しないという友人も見てきました(私もその1人でしたが)。

調査結果を目にしたことはないのですが、たとえば難関の一流企業に所属していても、あまり仕事ができない人はいます(もちろん学業で仕事の能力は測れないということもありますが)。これも「大きな池の小さな魚」であるのかもしれません。


■有能感は比較で決まる

「自分が有能だと感じるためには(自己有能感①)」でも触れたように、人は無意識のうちに比較をします。

レベルの高い集団に属すると、その人の有能感が低下するのは、周りの高いレベルが判断基準となるからに他なりません。逆にレベルの低い集団に属すると、その人の有能感が向上するのは、周りの低いレベルが判断基準となるからです。


■レベルの高い集団に所属することのメリットは?

さて、レベルの高い集団に所属することのメリットはないのでしょうか。優れた友人から刺激を受けたり、切磋琢磨したりすることの効果はあると思います。また、心理学では社会的に高い評価を受けている個人や集団と自分が何らかの結びつきがあることによって、自分の評価を高める(高まる)ことが確認されており、これを栄光浴効果(ラベリング効果)といいます。

たとえば一流大卒とか一流企業の社員とかといったことから自分は優秀なのだと感じられるということで、確かに有能感にポジティブな影響を与えることは確かなようです。

しかしながら、心理学の研究によれば、無理にレベルの高い集団に属するデメリットが、メリットを大きく上回ることは確かなようです。それだけ私たちは、周囲との比較に影響されるということでしょう。


【参考】
『行動を起こし、持続する力』外山美樹著 新曜社

「大きな池の小さな魚」か「小さな池の大きな魚」か(自己有能感②)

年が明けると受験シーズンが始まります。親御さんとしては、我が子を少しでも偏差値が高い学校に入れたいと思うでしょう。
では、「難関校でそこそこの生徒」と「並みの学校で優秀な生徒」では、どちらがよいのでしょうか。

■2:6:2の法則

「従業員の2割が優秀、6割が普通、2割が働かない」という2:6:2の法則というものがあります(1対8対1の原則というものもあります)。神輿を担ぐのは2人、担いでいるふりをしているのが6人、ぶら下がっているのが2人などと言われますが、このイメージです。

面白いことに、割合はともかく、この現象はどのような集団でも当てはまるそうです。たとえば働きバチの集団で最も働くハチだけを集めてグループにしても、その中ではやはり働くハチは一部で、以前は働き者だったその他のハチは働かなくなるのです。

優秀なメンバーを集めたプロジェクトチームではどうなのかといった調査結果は知りませんが、おそらく以前よりはパフォーマンスが悪くなるメンバーは存在すると考えられます。


■無理に上位校にいくとかえって成績が落ちる

「難関校でそこそこの生徒」になるのがいいのか、「並みの学校で優秀な生徒」になるのがいいのかについては、アメリカの大学の経済学の博士課程修了者を対象にした調査があります。

学者の評価は、一流の学術専門誌にどれだけ自分が書いた論文が掲載されたかで測るのが一般的です。上位校(ハーバード、MIT、スタンフォードなど7校)とそれ以外の30校の校内の成績ランク別に卒業後6年間の掲載論文を比較したところ、次のような結果になりました。

<上位校>
成績上位1%:平均4.31本
成績上位20%:平均0.6本

<それ以外の30校>
成績上位1%:平均1.05本
成績上位20%:平均0.04本

上位校以外の30校とハーバードの掲載論文数を比較すると、次のようになります。

上位校以外の30校で成績上位1%は、ハーバードで成績上位15%と同程度
上位校以外の30校で成績上位5%は、ハーバードで成績上位30%と同程度
上位校以外の30校で成績上位10%は、ハーバードで成績上位40%と同程度
上位校以外の30校で成績上位15%は、ハーバードで成績上位45%と同程度

このデータからは、上位校のそこそこや並以下の学生は、下位校の優秀な学生に劣るということが確認できます。

全米の上位校ですから、基本的にはもともと高校時代にかなりの能力があり、努力も怠らなかった学生ばかり集まっているはずです。ただし、最初から上位校でもかなり成績が良いことが見込まれない限り、無理に上位校にいくとかえって成績が落ちる可能性が高いということが見て取れます。

もちろん単純にアメリカの大学のデータを日本の学校に当てはめることはできませんが、難関校にいったからといって必ずしも優秀であるとは限らないことはイメージがつくはずです。少なくとも「優秀な学生が集まっている学校の方が刺激があって伸びる」というわけではないことは言えると思います。



【参考】
『逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密』マルコム・グラッドウェル著 講談社


自分が有能だと感じるためには(自己有能感①)

■人は無意識に比較する

自分が優秀だという感覚である自己有能感は、他者との比較で決まります。私たちは好むと好まざるを問わず、無意識的に誰かと比較します。一般的には、比較する相手は、自分と類似した他者が好まれると言いますが、能力を比較するときに限っては、自分の能力を向上させ、他者を凌ごうとする圧力(向上性の圧力)も作用するので、自分の能力よりもわずかに優れている他者との比較を好むと考えられます。


■自分の気持ち次第で比較対象が変わる

自分よりも優れた人と意図的に比較する人は、その優れた他者を上回ろうとする強い向上性のために比較することが多く、比較する他者の存在が自分を鼓舞し向上しようとするモチベーションを促進させるため、モチベーションやパフォーマンスに対してポジティブな影響が見られる傾向があります。

その一方で、優れた他者との比較によって有能感が脅威にさらされ、意気消沈してモチベーションが低下し、そしてついにはパフォーマンスが低下する恐れがあることも指摘されています。


逆に自分よりも劣った他者と意図的に比較する人は、自分が何かしらの成長をしたいと思って比較しているというよりは、傷ついた自尊心を守りたいとか、あるいは優越感を得たいといった消極的な理由で比較していることが多いため、モチベーションが高まることなく、パフォーマンスは向上しないと言われています。


■優れた他者との比較が向上を促すには?

自分よりも優れた他者と比較することにはポジティブな影響とネガティブな影響の両方が考えられますが、どちらの影響のほうが大きいのでしょうか。

これは人が持っている有能感によって違ってきます。ある調査によると、有能感の高い人が自分より優れた他者と比較した場合にはパフォーマンスの向上が見られますが、いくら自分より優れた他者と比較しても自身の有能感が低い場合には、パフォーマンスの向上が見られないことがわかりました。

自分より優れた人と比較することでモチベーションやパフォーマンスを高めることができるかどうかは、有能感がカギを握っているのです。


■人はどうやって自分の有能感を維持しようとするのか

心理学には自己評価維持モデルというものがあります。これによれば、自己評価(有能感)に影響を与える要因として、次の3つを取り上げています。

①自分と他者との心理的な距離(近接性)
他者との心理的な距離が近くなるほど自身の有能感が影響を受ける。
②その領域における自己関与度(重要性)
他者の行っていることが自分のそれと類似するほど自身の有能感が影響を受ける。
③他者の遂行レベル
他者のパフォーマンスが高いほど自身の有能感が影響を受ける。

自分より優れた他者との比較に適用すると、自分と似たような状況にあると考えていた人が、自分の関心のある分野で、優れたパフォーマンスを上げると、他者の業績を低く見積もったり(大したことはない)、成功した他者との心理的な距離をあけたり(彼とは関係がない)、その分野の重要性を下げたり(自分には関係のないことだ)することで、自分の有能感を維持しようとするのです。


【参考】
『行動を起こし、持続する力』外山美樹著 新曜社

分かっていてもできないのはなぜ?(自己効力感)

貯金・自己啓発・禁酒・運動などやったほうがよいのは分かっているのに、なかなかやらないことはあるかと思います。今回はその理由について考えたいと思います。


■分かっていてもできない理由

やったほうがよいのに分かっていてもできない(やらない)理由の1つは、「どうすればよいのか分からない」からです。「こうすれば上手くいく」という期待のことを結果期待と言います。

しかしながら結果期待があったとしても、必ずしも行動を取るとは限りません。決め手となるのは効力期待です。


■自己効力感が目標達成行動を促す

効力期待とは、「自分はその行動を取ることができる」という期待のことです。いわば自分にはできるという自信のことです。

たとえば何か資格を取ろうと思い、毎日2時間勉強すればよいことが分かっていても、それが継続できると思わなければ、実際に資格試験の勉強を始めようとは思わないでしょう。

何らかの目標を達成するために必要な行動を取ることができるという自信を自己効力感といいますが、この自己効力感が目標達成行動を促すのです。


■まずは結果期待を示してから効力期待を吹き込む

「今までのやり方が通用しない」「新しいやり方が分からない」といったベテランや、「手とり足とり教えてくれないので、仕事のしかたが分からない」といった若手社員は大勢いると思います。

こうした人たちのモチベーションを上げるためには、まずは「こうすれば上手くいく」という結果期待を示してから、「あなたならできる」という効力期待を吹き込む必要があります。


■自己効力感の高め方

自己効力感を高めるための方法としては、次の4つがあります。

①成功体験を与える
自己効力感を高めるためには、忍耐強い努力によって障害に打ち克つ必要があります。多少は困難な課題を与えることで、少しずつ忍耐力をつけさせるのです。

②モデリングの機会を与える
①が直接的な体験であるのに対し、②は間接的な体験になります。つまり、誰か
が上手くいくことを観察するのです(代理経験)。他人が努力して成功を勝ち取るのを見て、どうすれば上手くいくのかを観察し、自分もきっと上手くいくという気持ちになります。モデルと自分との類似性が高いほど、自己効力感が高まります。

③説得する
文字通り、「君ならできる」と言い聞かせることです。

④生理的・感情的状態を良くする
自己効力感は、肯定的な気分のときに高まり、落胆した気分のときに低下します。ストレス反応や緊張を感じると、自己効力感は低下することが分かっています。よって、リフレッシュする機会を設けるとか、成功したイメージを持つとか、楽しいことを考えるとかして、肯定的な気分を高めるのです。
私自身は人前でお話する機会が多いのですが、正直に言えば多少ストレスを感じる時があります。このような時は、聞き手はともかくまずは自分が楽しもうとか休みの日には何をしようとか考えるようにしています。


【参考】
『モチベーションの新法則』榎本博明著 日本経済新聞出版社

成功・失敗は何のせい?(原因帰属とモチベーション)

自分を含め人の言い訳を聞いていると、何らかのクセを感じることがあります。「この状況では仕方がない」「ついてなかった」と自分以外のせいにしがちな人と、「努力が足りなかった」「スキルが足りなかった」と自分自身のせいにしがちな人がいます。
何かで成功したり失敗したりした時に、その原因を何に求めるかを原因帰属といいますが、原因帰属のあり方とモチベーションとは深い関係があります。


■成功・失敗は何のせい?

原因帰属には、内的統制型と外的統制型があります。

内的統制型とは、原因を自分自身の内的要因に求めるということです。
たとえば「自分は頭がいいから成功した」「努力したから成功した」「経験があったから成功した」といった具合です。

外的統制型とは、原因を自分以外の外的要因に求めるということです。たとえば「よい機会に恵まれた」「運が良かった」といった具合です。

一般に外的統制型よりも内的統制型のほうが勉強でも仕事でもスポーツでも成績が良いことが実証されています。成功すれば自分の能力ややってきたことに対する自信になりますし、失敗したときもその原因を振り返り、自分の至らなかったところを強化するためのアクションを講じることができるからです。


■失敗は能力不足ではなく、努力不足のせいにする

しかしながら内的統制型であれば何でもよいかというとそうではありません。内的統制型でも失敗した時にモチベーションが下がり挫折してしまうタイプと、モチベーションが下がらず挫折しないタイプがいます。

ワイナーは、自分自身の内的要因を、安定的な要因と変動的な要因に分け、安定的な要因として能力、変動的な要因として努力を挙げました。


原因帰属

成功した時は、その原因を安定的なものに求めても変動的なものに求めてもどちらでも良いのですが、失敗した時に努力不足という変動的な要因のせいにする人はモチベーションを維持できるのに対し、能力不足という安定的な要因のせいにする人はモチベーションを維持できないとされます。

なぜなら、失敗した時に、「自分は能力がないんだ」と自分自身の安定的な部分のせいにしてしまうと、能力は簡単には変えられないため、自分には上手くいかないと思わざるをえないからです。

一方、失敗した時に、「自分の努力不足だったから」と変動的な部分のせいにすれば、次の機会では、もっと努力するということが可能であるため、何とかなるかもしれないと思えます。

実際に、失敗を能力不足のせいにする人はモチベーションや成績が低く、失敗を努力不足のせいにする人はモチベーションや成績が高いことが分かっています。


■挫折に弱い人には…

以上から、失敗を能力不足のせいにする人は、何か失敗するとすぐに挫折してしまう傾向があります。

挫折に弱い人には、原因帰属のクセを直させる必要があります。たとえば「ついてなかった」と何でもかんでも外部要因のせいにする人には、内的な要因のせいにするよう働きかける必要があるでしょう。

さらに能力など安定的な要因のせいにする人には、「もう少しで上手くいった」と努力不足を意識させるような言葉がけが求められます。つまり改善の余地があることを示すのです。


このように原因帰属のあり方を変えるような試みが効果があることは、心理学の実験によっても明らかにされています。


【参考】
『モチベーションの新法則』榎本博明著 日本経済新聞出版社


上司の仕事

■上司の行動は、「仕事の進捗」と「部下の尊重」

仕事に絡んで個人が心の内面に抱く認識や感情をインナー・ワーク・バランスと言います。インナー・ワーク・バランスは、知的労働者のパフォーマンスに重要な影響を与えるものとして注目されており、これがポジティブであると、組織のパフォーマンスが向上することが分かっています。

インナー・ワーク・バランスに最も大きな影響を与えるのが、上司の態度です。アマビールらの調査研究によれば、上司の行動として重要なのは、①仕事を進捗させること、②部下を人間として尊重することの2点です。

リーダーシップ論では、リーダーシップ行動を、タスク志向型(組織としての業績を優先する)と人間関係志向(メンバーとの良好な関係を優先する)の2軸で捉えるものが多いです。

リーダーシップの行動特性理論(ベストなリーダーシップのスタイルを抽出する)では、伝統的な理論の多くが、タスク志向と人間関係志向の両方が大事としています。一方、リーダーシップの状況適合理論(状況に応じたリーダーシップのスタイルを求める)によれば、環境が安定的なら人間関係志向で、不安定ならタスク志向というものが多いです。

ただし、アマビールらの調査研究によれば、従業員たちが最も素晴らしい日(職場が最高だと認識できた日、最も嬉しいと感じた日、最も内発的動機づけが高まった日)であると感じた日と、最低だと感じた日を比較した結果、インナー・ワーク・バランスに最も大きな影響を与えるのは、「仕事が進捗したかどうか」であり、次に「人間として尊重されたかどうか」でした。

もちろん、仕事が進捗していれば(あるいは人間として尊重されていれば)、部下のインナー・ワーク・バランスは高まります。


■大事なのは具体的な目標を設定すること

では、部下が仕事を進捗するために、上司はどうすればよいでしょうか。直接支援する、適切な資源や時間を与える、教育的指導をするといったことがありますが、最も重要なのは、具体的な目標を設定することだとされています(これについては、本ブログの「正しい目標設定①~⑥」を参照下さい)。また仕事の重要性を明確に伝えることです。アマビールらの調査研究でも、このことが裏付けられました。


■日米の労働者の意識の違い

アマビールらの調査研究によれば、インナー・ワーク・バランスに最も大きな影響を与えるのは、「仕事が進捗したかどうか」であり、次に「人間として尊重されたかどうか」でしたが、日本の労働者を対象にした調査では、この順番が逆転することが分かっています。

また自己決定の感覚についても、欧米では自分で決めるということがモチベーションの最大要因とされる研究結果が多いのに対し、日本人(アジア人)の場合は、それが当てはまらず、人間関係重視であることも分かっています。

よって、人間関係を重視した行動が上司には求められます。
具体的には部下が持つ承認欲求に働きかけることです。承認欲求については、具体的には本ブログの「認めて欲しい(承認欲求)」「モチベーションの概要②」でも取り上げましたが、要は「自分のことを認めて欲しい」という欲求のことです。

もっとも日本人でも仕事の進捗のほうを重視する人もいるし、大抵の人は、順番はともかく仕事の進捗と人間関係の両方が大事だと考えていますから、当然ながら、双方に配慮した行動が上司には求められます。


【参考】
『モチベーションの新法則』榎本博明著 日本経済新聞出版社

結論は決め方で変わる③

■決め方で結論は変えられる

ここまでお読み頂いた方は、もうお気づきかもしれせん。そう、決め方で結論が変わる可能性があるということは、決め方で結論を変えられるかもしれないということです。

仮に多数決ではAに、決選投票付き多数決ではBに、ボルダルールではCが選ばれるのであれば、みなさんが希望する選択肢になるように決め方を選択すればよいことになります。たとえばあなたがA推しだとしたら、多数決で決めようと主張すればよいわけです。


■議案を出す順番を操作すれば望む結果を実現できる

決め方と言えば、何といっても多数決が一般的でしょう。では、多数決で不利な場合であったら、どうすればよいでしょうか。次の例を考えてみます。

決め方③

このまま多数決でいけば、6人が1位に推しているAが選ばれます。議長であるあなたは、内心ではCを推しており、何とかCにしたいと考えているとします。その場合、どうすればよいでしょうか。

A対Bでは、8対5でAの勝ち
B対Cでは、11体2でBの勝ち
C対Aでは、7対6でCの勝ち

このことに注目すると、トーナメント方式を採用し、まずAとBを競わせてAを勝たせた後に、AとCを競わせてCを勝たせるということが考えられます。

つまり議案を出す順番を操作すれば自分が望む結果を実現できる場合があるのです。


■多数決サイクルが生じるときは要注意

このような逆転現象は、多数決サイクルが生じる場合に生じます。多数決サイクルとは、選択肢ごとに多数決で比較していくと選好が循環してしまう(堂々巡りになってしまう)ことを言います。

たとえばりんごとみかんではりんごのほうが好き、りんごとメロンではメロンのほうが好きなら、メロン・りんご、みかんの順に好きだと推定されます。しかしながら実際にはメロンよりみかんのほうが好きといったような堂々巡りは十分にあり得ます。

ちょうどじゃんけんのグー・チョキ・パーの関係をイメージすると分かり易いでしょう。

上の例では、先に触れたようにA対BではAの勝ち、B対CではBの勝ち、C対AではCの勝ちで堂々巡りになります。この場合は議案を出す順番を操作すれば自分が望む結果を実現できるのです。


■議案を出す順番を操作するのは割とかんたん?

議案を出す順番を操作するのは、思ったよりも簡単かもしれません。会議の場で自分が望まないAとBだけ話題にし、頃合を見て「では、とりあえずAとBで決めましょうか」などと言ってBを落としてしまいます。その後、おもむろにCを取り出してAと比較させれば良いのです。

私の経験からしても、一度落とされた選択肢が再び話題になることはほとんどありませんから、あなたは自分が望むCを結論にすることができるのです。


■騙されないために気をつけること

「何であんな選択肢を選んだのだろう」と後から不思議に思ったら、(意図的かどうかはともかく)多数決サイクルの罠にハマったのかもしれません。

さて、ここまでは操作する方の立場で述べてきましたが、もちろんこれは公正ではありません。何らかの作為が感じられたら、ボルダルールで決めることを提案しましょう。

また仮に多数決である選択肢に決まってしまった場合は、それがペア敗者(ほかのあらゆる選択肢にペアごとの多数決で全敗する選択肢)でないか確認し、そうであるならそれを指摘する必要があるでしょう。



【参考】
『「決め方」の経済学』坂井豊貴著 ダイヤモンド社





結論は決め方で変わる②

■多数決は集団の多数派の意見を汲み取れるか?

前回の図を再掲します。A・B・Cの3つの選択肢のうち、9名のメンバーのそれぞれの順位は、「A・C・B」の順が4名、「B・C・A」の順が3名、「C・B・A」の順が2名だったとします。

決め方①

多数決を取ると、1位Aの人が4名、1位Bの人が3名、1位Cの人が2名ですから、Aが選ばれます。

多数決が最も集団の総意に近く、民主的なルールであるというイメージがあるかもしれません。しかしながら、この表をよく見ると、面白いことに気がつきます。

3拓で選ぶとAが1位になりますが、AとBの2つで多数決を取るとA4、B5でBが勝ちます。またAとCの2つで多数決を取るとやはりA4、C5でCが勝ちます。これはAがBやCを支持する人にとっては最悪の選択肢だからです。

つまり3つの多数決で選ばれたAは、実は全体では少数派の意見なわけです。このように、ほかのあらゆる選択肢にペアごとの多数決で全敗する選択肢のことをペア敗者といいます。

このように多数決で選ばれたものが実は少数派の意見にすぎなかったということは、選挙などでも見られます。1人区の選挙では、たとえ得票率が低くてもとにかく1位であれば当選するからです。

以上から言えることは、多数決で選ばれた選択肢は、実は全体では少数派の意見に過ぎないということがあり得、少なくとも多数決が最も集団の多数派の意見に近く、民主的なルールであるとは限らないということです。


■民主的な決め方とは何か?

上と同じようなものですが、もう1つ例を挙げたいと思います。

決め方②

この場合、多数決では4人がAを1位で選び、Aに決まります。決選投票付き多数決では、AとCの決選投票で、Aが4人でCが5人の結果、Cが選ばれます。ボルダルール(1位4点、2位3点、3位2点、4位1点と順位に配点を付けるやり方)では、Bが27、AとCが24、Dが15でBが選ばれます。

では、このうち最も民主的な決め方はどれでしょうか。そもそも民主的な決め方とは、一部の多数派(というより1番人数が多いグループ)のためのものではなく、万人のためのものであるはずです。

その点で最も理想的な決め方は、当然ながら満場一致です。しかしながら、全員が満足するという選択肢は実際にはほとんどない以上、満場一致に最も近いもので代替するしかありません。



■ボルダルールが最も民主的である

満場一致との近さは、満場一致の1位となるためのステップ数でカウントすることができます。

選択肢Aは、4人にとっては最初から1位、そこへ3人がAの順位を2つ上げ、2人がAの順位を3つ上げれば、満場一致でAが1位になります。よって、Aの満場一致への近さは、12ステップ(「0+2×3+3×2」より)になります。

同様に選択肢Bの満場一致への近さは9ステップ(「1×9」より)、Cは12ステップ(「2×4+0+2×2」より)、Dは21ステップ(「3×4+3×3+0」より)になります。よって、Bが最も満場一致からの距離が近いことになります。

Bはボルダルールで選ばれる選択肢であり、ボルダルールで選ばれる選択肢は必ず満場一致への距離が最も近くなります。つまり、最も民主的な選び方はボルダルールなのです。

満場一致への距離が近い選択肢(ボルダルールで選ばれる選択肢)は、言い換えればみんなにとってそこそこ順位付けが高い(満足が高い)選択肢であることを考えれば納得がいくかもしれません。



【参考】
『「決め方」の経済学』坂井豊貴著 ダイヤモンド社


結論は決め方で変わる①

前回、集団の知恵を引き出すための条件の1つとして、集約性(個々人の判断を集計して集団として1つの判断に適切に集約するメカニズムが存在する)を挙げ、意思決定のやり方によっては結論が異なることを指摘しました。
今回は具体的にどう結論が変わるのか見ていきます。

■多数決で決めると

ある会社でERPパッケージを導入する例を考えてみます。情報システム部主催の下で各部門の幹部が合計で9名集まり、A社、B社、C社のいずれかのパッケージのうち、採用する1つを決めようとしているとします。

各メンバーのそれぞれのパッケージの順位は、「A・C・B」の順が4名、「B・C・A」の順が3名、「C・B・A」の順が2名だったとします。

決め方①

多くの場合はここで多数決を取るかもしれません。1位A社の人が4名、1位B社の人が3名、1位C社の人が2名ですから、多数決の場合、A社のパッケージソフトが選ばれます。

しかし多数決では過半数を占めるA社以外の意見が反映されません。よって、もう少し工夫をするかもしません。たとえば決選投票付き多数決です。この場合、まず最初の投票で1位と2位を決め、その後に1位と2位の中から1つ選ぶという形をとります。

上の例だと、まず最初に1位A社、2位B社が決まります。そして決選投票では、最初にC社を推した2票が加わってB社5名、A社4名となり、B社が選ばれます。


■ボルダルール

また決め方には多数決のほかに、加点方式があります。その1つにボルダルールというものがありますが、これは順位に配点を付けるやり方です。具体的には「1位に3点、2位に2点、3位に1点」と点数を付けるのです。

上の例にボルダルールを適用すると、C社が20点(2点×7名+3点×2名)、A社が17点(3点×4名+1点×5名)、B社が17点(1点×4名+3点×3名+2点×2名)でC社が選ばれます。

つまり多数決、決選投票付き多数決、ボルダルールでは、結論が異なってしまうのです。

【参考】
『「決め方」の経済学』坂井豊貴著 ダイヤモンド社




集団でよい知恵が生まれるか?③(集団の知恵を引き出す条件)

どうすれば集団の知恵が生まれるかについては、以前も取り上げたことがありますが、多少の補足を加えながら再掲したいと思います。
集団の知恵を引き出すためには、4つの条件を満たす必要があります。

■意見の多様性

集団のメンバーがそれぞれ専門性が高い知識や情報を持っている。同じ専門性を持った人が集まったところでブレイクスルーは生まれません。またみんなの専門分野が同じなら、より専門性が高い人が決めればよいだけで、集まって意見を出し合うメリットがそもそもあまりないでしょう。


■独立性

集団のメンバーは他者の考えに左右されない。周りの意見や雰囲気にむやみに流されないということです。


■分散性

集団のメンバーは身近な情報に特化し、それを利用できる。①や②とも関連しますが、同じ情報ソースしか持っていない人が集まっても同じ意見になるだけでしょう。確かに共通の認識や知識がなければそもそも集団の意思決定は成立しませんが、さりとて異なる視点が求められるので、情報源はできるだけ分散していることが望ましいでしょう。


■集約性

個々人の判断を集計して集団として1つの判断に適切に集約するメカニズムが存在する。個々のメンバーの自律性についての①から③と異なり、どうやって最終的に集団の意見としてまとめるかに関するものです。

意思決定のプロセスには、満場一致、多数決、決選投票(トーナメント方式)ポイント制などがありますが、やり方によっては結論が変わってしまうことが明らかにされています。どのように適切にみんなの意見を集約できるかが鍵となります。

また、これは議長の手腕によるところも大きいです。公平性を確保するとともに、共通目的や共通認識を明確化し、みんなが同じ方向に進むようにしなくてはなりません。


【参考】
「凡才の集団は孤高の天才に勝る」キース・ソーヤー著 ダイヤモンド社


集団でよい知恵が生まれるか?②(少数意見の排除)

■知っていることばかり繰り返される

集団で創発(即興)が生まれるためには、お互いに知らない情報について話し合うことが求められるはずです。しかしながら集団のメンバーは、すでに共有している情報について話し合う傾向があることが分かっています。

スタッサーらの実験によれば、議論の中に共有情報が占める割合は45%だったのに対し、非共有情報はわずか18%にすぎませんでした。さらにグループのメンバーが多くなるほど、その傾向は顕著になることが分かりました
(ちなみに「社会的手抜き」も「各メンバー間の調整の難しさによる生産性の低下」も、グループのメンバーが多くなるほど顕著になります)。

しかも議論の中に投入された共有情報のうちの34%が、少なくとも一度は繰り返し話題にされていたといいます。

つまり話し合いでは確かに情報交換が行われますが、その時間の大部分は既に共有されている(みんな知っている)情報をやりとりすることに費やされていたのです。


■なぜ共有されている情報ばかり話題にするのか?

なぜ人々は共有されている情報ばかり話題にするのでしょうか。これは人間が持つ確証バイアスによって説明されます。

確証バイアスとは、個人の先入観に基づいて他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強するという現象です。

議論の過程で自分にとって最良と思える意見が出ると、それを擁護するような情報のみが検索され、それが議論の俎上に上がることになります。その結果、情報に偏りが生じます。

さらに共有情報は複数のメンバーに共有されているため、他のメンバーからも支持を得やすいことになります。
誰も知らない情報(非共有情報)には同意しにくいものです。

以上より議論が進むにつれ、非共有情報はますます少数派になり、議論の俎上に乗りにくくなります。共有情報ばかり取り上げられれば時間的にも非共有情報について取り上げられることは少なくなります。また非共有情報を言い出しにくくもなります。

会議の雰囲気が出来上がってしまうと、みんなと観点が異なる意見(反対意見)が出なくなる理由はここにあります。


■沈黙の螺旋

議論の過程で少数派が意見を言わなくなる過程をまとめると、次のようになります。

①多数のメンバーが共有する情報は、何度も繰り返し取り上げられ話し合われる。
②多数のメンバーの共有する情報が、話し合いの中で取り上げられる頻度や時間が多くなるほど、少数派のメンバーの持つ情報が取り上げられる機会が少なくなる。
③メンバーは、自分の意見が他のメンバーによって支持されていない(自分が少数派にいる)と思うと、意見を言わないようにする。
④メンバーは、自分が少数派だといったん思い込むと、実際にはそうではない状況であっても意見を言わなくなる。

ここでポイントなのは、実際はともかく少数派だと思い込むことで意見が控えられてしまうということです。
たとえば10人の会議の場で3人が声高に同じ意見を主張し、それに対し1人が反対意見を述べたとします。

この場合、3人が自分たちの主張を裏付ける根拠を繰り返し述べ続けるうちに、1人は少数派であると思い込み、自分の意見を言わなくなります。ただし残りの6人も(沈黙はしているものの)実は同じく反対派であるかもしれないのです。

このように往々にしてその場の雰囲気が議論を支配してしまうことは経験的にもわかるかと思います。


【参考】
『会議の科学』岡本浩一、石川正純、足立にれか著 新曜社

集団でよい知恵が生まれるか?①(集団プロセスの損失)

「3人寄れば文殊の知恵」という言葉に代表されるように、私たちは「みんなが集まれば優れたアイデアを生み出すことができる」ということを信じています。
その一方で、本音ではいつもそうだとは限らないということも感じています。


■優れた集団の知恵はどう生まれるのか?

そもそも優れた集団の知恵とはどのようにして生まれるのかについては、以前にも取り上げましたが再確認しておきます。それは1つ1つのアイデアを単に足し算するのではなく、掛け算、つまりアイデア同士を融合させ進化させていくということです。

これはよくオーケストラやジャズの即興にたとえられます。1人のプレイヤーが即興演奏を始めると、それに呼応して他のプレイヤーが即興を始め、その結果、オリジナリティの高い演奏が生まれるというものです。


■集団で創発が生まれることはほとんどない

しかしながらこれまでの集団に関する研究を見る限り、個人のレベルでは存在しない知恵が、グループ、特に互いに未知の人間から構成される一時的な作業グループにおいて新たに創発することは極めて希であることが分かっています。

さらにグループの成果は平均的なメンバーの成果を上回るものの、その中で最良のメンバーの成果を上回ることはほとんどないことも判明しています。



■集団プロセスの損失

これはプロセスの損失がプロセスの獲得(創発性)を上回るからです。プロセスの損失とは、これまで見てきた社会的手抜きの問題に加え、各メンバー間の調整の難しさによる生産性の低下も含みます。

これには目標(方向性)の認識が一致していないために生じるロスがあります。たとえば5人で綱引きをしていても各メンバーの綱を引く方向が微妙に違えば、各メンバーの力の合計が全体の力の合計を上回ることはないでしょう。また各メンバーで綱を引くタイミングがずれても同様のことが生じます。

会議でも同様で、それぞれのやりたいこと(目標や目的)のイメージが異なれば、得られる結論は結局のところ中途半端なものになります。同床異夢というものですね。

メンバー間の創発性を促すことを目的とするブレインストーミングと、個人が他のメンバーと相互作用せす独立して考え、それを集めて集団の成果とする場合とでは、ほぼ必ず後者のほうがアイデアの数が多く、かつ質的にも優れているという結果が出ています。

これは社会的手抜きのほかに、各メンバーの発言に気を取られて自身のアイデアの練磨に集中できないという生産性の阻害によるものです。

(つづく)

【参考】
『人はなぜ集団になると怠けるのか』釘原直樹著 中央公論新社
『会議の科学』岡本浩一、石川正純、足立にれか著 新曜社
『合議の知を求めて』亀田達也著 共立出版

集団になると人は手抜きする(社会的手抜き)③

■社会的手抜きはどうすれば防げるか?

では社会的手抜きはどうすれば防げるのでしょうか。基本的には前々回挙げた①評価可能性(1人1人の集団への貢献が適切に評価できないからサボる)②努力の不要性(周りが優秀なので自分が努力しても集団の成果に影響を与えないからサボる)③手抜きの同調性(他人がサボっているなら自分もサボる)④緊張感の低下(集団の中にいると当事者意識がなくなり緩んでしまうからサボる)⑤注意の拡散(他人に気を取られて自分のことに注意がいかなくなり、自己意識が低下して目標を意識しなくなるからサボる)を解消するというのが基本的な方向性になります。

・個人の役割分担をはっきりさせる(評価可能性)。
・何らかの形で個人の貢献を測れるようにする。難しい場合は議事録等を用意し公
表する(評価可能性)。
・多様な能力を持った手抜きをしない人材を揃える(努力の不要性・手抜きの同調
性・緊張感の低下)。
・集団のリーダーがみんなの貢献を引き出すような指導力を発揮する(手抜きの同
調性・緊張感の低下)。
・集団間での競争を促すような環境を整備してメンバーのやる気を高める(緊張感
の低下)。
・メンバー間で良好な人間関係を築く。あるいは最初から人間関係が出来ている人
を揃える(評価可能性・緊張感の低下)。
・全体の時間を区切ったり、1人1人の発言の時間を確保したりする(注意の拡散)。
・全体の人数をあまり多くしない(評価可能性・緊張感の低下・注意の拡散)
・能力の低い人には要求レベルが低い課題を用意したり、能力が高い人がサポートしたりする(努力の不要性)。


■結局は人選が大事

社会的手抜きは結局のところはメンバーの能力やパーソナリティに依るところが大です。また分離的課題(集団で1つの解答を出すことが要請され、少なくとも1人が課題に成功すれば課題の完了となるもの)では、そもそも能力が低い人の社会的手抜きが大きな問題になることはありません(みんながやる気がなければ能力の高い人のやる気も削がれることはあります)。

また、そもそも資質の問題なので報酬や罰によってコントロールしようとしてもあまり効果はないでしょう。

まずは直面する課題の質を評価した上でどのような社会的手抜きが生じ、その結果どのような支障が生じうるのかを考えた上で対策を講じる必要がありますが、その際には手抜きをしない人選が最大のポイントになると言えます。




集団になると人は手抜きする(社会的手抜き)②

前回、集団になると人は怠け、単独で作業を行うよりも1人あたりの努力の量が低下するということについて取り上げました(社会的手抜き)。今回は集団が直面する課題と社会的手抜きの影響について考えてみます。


■課題の種類

課題には大きく次の5つがあります。

(1)加算的課題
各メンバーの成果が合算されて集団としての成果の最大化を目指すもの。
たとえば綱引きや応援、合唱などです。全体の成果を個人レベルの貢献に落としにくいことが多いです。

(2)補正的課題
各メンバーの判断や回答を平均化して集団の回答とするもの。
たとえばスキージャンプや体操の採点などです。量に関して判断する場合は補正的判断が優れています。たとえば1年後の株価を予測する、ビンの中に入ったジェリービーンズの数を当てる、牛の体重を当てるといった場合、専門家とされる人の予測よりも素人の集団の予測の方がむしろ正解に近いことが実証されています。

(3)分離的課題
集団で1つの解答を出すことが要請され、少なくとも1人が課題に成功すれば課題の完了となるもの。
たとえば通常の会議、裁判の判決、集団で1つの回答を出すクイズ番組などです。
この場合は集団内で最も優秀な個人の能力が集団の成果を決めますので、そもそも集団向きの課題ではありません。最も優秀な個人が判断したことを他のメンバーが従えばよいのです。

(4)結合的課題
メンバーの能力の下限に集団の成果が依存するもの。
リレー形式のものが典型例です。たとえば生産ライン全体の生産能力(生産のペース)は、最も生産能力が低い(作業ペースが遅い)工程に依存します。業務プロセスがチェーン上になっている場合は結合的課題ということができます(例:サプライチェーン)。

(5)任意的課題
(1)から(4)にように形式が決まっておらず、また集団の決定方法を自由に変えるというもの。
たとえば最初はメンバーの平均を取ることにしたが、後から専門家の判断に委ねることにしたといったケースです。


■社会的手抜きはどの課題でも生じる

社会的手抜きはどの課題でも生じます。それは前回挙げた社会的手抜きの原因である①評価可能性②努力の不要性③手抜きの同調性④緊張感の低下⑤注意の拡散を満たしてしまうからです。


まず社会的手抜きというと最も成果へのインパクトが直接的のは加算的課題です。

補正的課題では誰かが手抜きしても、平均化により集団成果へのインパクトが減じられればそれほど問題にはなりません。

分離的課題では、集団内で最も優秀な個人の能力が集団の成果を決めますので努力の不要性(周りが優秀なので自分が努力しても集団の成果に影響を与えない)により社会的手抜きが生じますが、そもそも能力が低いメンバーが手抜きしても集団の成果には影響を及ぼしませんから、あまり問題ではありません。ただし最も優秀な個人の主張を他のメンバーが理解できない場合や受け入れられない場合、他のメンバーの手抜きがひどく優秀な個人のやる気が失われる場合は、当然ながら集団の成果は低下することになります。

結合的課題では、能力が低いメンバーにより集団の成果が決まるので、彼(彼女)が社会的手抜きをする可能性は低いと言えますが、もし手抜きされると致命的になります


【参考】
『人はなぜ集団になると怠けるのか』釘原直樹著 中央公論新社
『グループ・ダイナミックス』釘原直樹著 有斐閣




プロフィール

三枝 元

Author:三枝 元
1971年生まれ。東京都在住。読書好きな中年中小企業診断士・講師。資格受験指導校の中小企業診断士講座にて12年間教材作成(企業経営理論・経済学・組織事例問題など)に従事。現在はフリー。
著書:「最速2時間でわかるビジネス・フレームワーク~手っ取り早くできる人になれる」ぱる出版 2020年2月6日発売
「中小企業診断士のための経済学入門」※絶賛在庫中!
連絡先:rsb39362(at)nifty.com
※ (at) は @ に置き換えて下さい
(お急ぎの場合は携帯電話までご連絡ください)

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR