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リアリズムに基づく採用③

応募者に対して、RJPに沿って仕事の良い面悪い面ともにありのままに見せることで、次のような効果が期待できます。

 

■ワクチン効果

 

まず過剰期待を事前に緩和し入社後の幻滅感を和らげる効果があります。これは期待のワクチン化とよばれます。人生あるいはキャリアの節目ではいつも、新たな段階に入る前の期待の水準が、その後の適応のあり方に大きな影響を与えます。不安ばかり大きいのも問題ですが、あまりにバラ色の始まりを期待するのも考えものです。

 

 

■役割明確化効果

 

入社後の役割期待をより明確かつ現実的なものにする効果です。RJPでは、入社後につく仕事の実際の仕事の姿をリアルに描くことを重視しているので、いいイメージだけで浮かれて入った人に比べると、仕事のうえでその会社で自分に期待されている役割についてもより明瞭な認識を抱いているはずです。節目をくぐる覚悟が現実的で、役割意識も明瞭になっている分だけ、初期の業績向上につながっていきやすいでしょう。

 

 

■スクリーニング効果

 

自己選択、自己決定を導く効果です。応募を考えている人は、仕事のありのままの姿を知って実際に応募するかどうか自己決定します。採用する側としては、勘違いして応募・入社してくる人をふるいにかけてくれる(スクリーニング)ことになります。

 

 

■コミットメント効果

 

入った組織への愛着や一体化の度合いを高める効果です。「大変なことはわかった。それでも挑戦したい」と自己選択する人のほうが、仕事への達成意欲や組織へのコミットメントが高いと考えられます。

 

 

【参考】

『働くひとのためのキャリア・デザイン』金井壽宏著 PHP研究所

 

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リアリズムに基づく採用②

RJPRealistic Job Preview:現実的な仕事情報の事前開示)の効果については、1970年代初頭の電話会社SNETの電話交換手(自動交換機導入前)の調査があります。電話交換業務は、社会インフラを支える社会的な意義がある仕事であり、最初のうちは次から次へとかかってくる電話を直ちにつなぐというゲームのような興奮があるといわれます。しかしながら、慣れてくるとルーティンとなり、退屈となります。さらに個人個人で業務を行うので、孤独感があります。

 

同社は、募集のための仕事紹介フィルムで、以前は電話交換業務の良い点ばかり強調していましたが、職員の観察やインタビューに基づき、RJPに沿ったフィルムを作成するとともに、なぜ悪い点を含めた現実的な仕事の姿を示すのか説明したパンフレットを作成しました。

 

<それまでのフィルム>

・皆が楽しそうに仕事をしている

・エキサイティングな仕事

・重要な仕事

・チャレンジングな仕事

 

RJPのフィルム>

・多様性に欠けた仕事

・職務はルーティンで、退屈になるかもしれない

・詳細な監督で、自由があまりない

・職場で友達を作りにくい

・間違った振る舞いは批判されるのに、褒めてもらえそうな仕事をしても賞賛はない

・最初はチャレンジングかもしれないが、いったん学習すると簡単であまりチャレンジングではなくなる

 

<説明用のパンフレット>

皆さんに交換手の職務のフィルムを事前にご覧頂いたのは、2つの理由があります。

1.   あなたが交換手になりたいかどうか自分で決める前に、私どもはあなたにこの職務についてよく知ってもらいたいからです。

2.  もしあなたが交換手になると、この職務で現実主義的に何を期待できるのかについて、あなたにはよりしっかりとした考えを持ってもらえるからです。

もし、あなたが交換手になれば、次のようなことが現実的に期待できます。

・変則的な作業日程―週末や休日の勤務、とんでもない時間帯の勤務

・規則正しく出勤するように要請されること

・人々の電話をかけたい先につなぐか、あるいは問い合わせの電話番号を探す

・雇用の安定、訓練中の給与全額支払、良好は福利厚生

・標準の手続きに対する厳格な注意を要する単調な仕事

・賃金アップは、職務業績によって決められること

・仕事において正確さとスピードが要請されること

 

同社のRJPは、目的どおり、応募者の職務への期待を現実に即したものとすることができ、さらにその結果、期待と現実との違いからのショックが理由でやめようとする人が減り、定着率の向上に役立ったそうです。

 

変によいことばかりアピールして応募者を募っても、リアリティ・ショックからすぐにやめられてしまっては、採用、育成コストが無駄になるだけです。逆に、採用した人が、実際に仕事で苦労しても、事前にその情報を与えられていれば、心構えが出来ている分、うまく対処出来るでしょう、すくなくとも、「こんなはずではなかった。騙された。」という不満は防げるはずです。

 

 

【参考】

『働くひとのためのキャリア・デザイン』金井壽宏著 PHP研究所

 

リアリズムに基づく採用①

前回、触れたように、入社する際にも、異動する際にも、仕事を提供する方は、仕事内容について正しく伝える必要があります。正しい情報提供がされないと、働く個人の側に認識ギャップが生まれ、キャリアサイクルの最初から躓き、悪循環に陥ってしまうからです。

 

過度に自社の仕事をよく見せる例が多いですが、入社してまもなく辞めてしまう新人が後を絶たないのも、仕事に対する本当の姿を提供していないことが大きな原因でしょう。

ちなみに、新たに職に就いた人材が、入社前に抱いていたその企業や職場に対する「理想」と、実際に職場で働きながら経験する「現実」とのギャップに衝撃を受けてしまうことを、リアリティ・ショックといいます。

 

 

リアリズムに基づく採用

 

現実を踏まえた仕事の様を、その仕事のいいところも、大変なところも、入社前で仕事につく前から、できる限り正確に応募者に伝えることを、RJPRealistic Job Preview:現実的な仕事情報の事前開示)といいます。「リアリズムに基づく採用」とか「採用におけるリアリズム」とかいったりします。

 

RJPの究極的な例として、1900年頃、ロンドンの新聞で掲載された南極探検隊員の募集広告を取り上げてみます。

 

「南極探検隊員の募集

求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の日々。絶えざる危険。生還の保障はない。成功の暁には名誉と賞賛を得る。」

 

南極探検のつらさ、すばらしさを端的に示す文章です。これが単に探検の興奮や感動だけをアピールするものであれば、それにつられて応募した人は、現実の南極での性格に大きなリアリティ・ショックを感じたに違いありません。

 

 

【参考】

『働くひとのためのキャリア・デザイン』金井壽宏著 PHP研究所

キャリアはデザインするものなのか?⑤(トランジション・サイクル・モデル2)

前回、トランジション・サイクル・モデルを取り上げました。人はこのサイクルを一生で何周もし,1週ずつのサイクルをより深く生きることが重要です,

キャリアトランジションモデル


個人のキャリアは、このサイクルを好循環で廻すことができるかどうかにかかっています。キャリアの好循環は次のように廻ります。

 

・新しいことにわくわくするが、過度な期待を持つわけではなく、現実的な期待を持って準備ができている。突然の異動の内示でも、そのときの自分の感情が前向きに捉えられている。新しい世界でのやる気も高まっている。そのためには、なによりも、これから就く仕事のありのままの姿を、事前に知らされていることが大事だ。

 

・新しい世界に入ると、思いもかけぬ驚きがあるが、それをきちんと意味づけることができている。むしろ、新たなことに対処できることから自信もつく、上司や先輩などの周りの人がその初期の適応を支援してくれるとやりやすい。相互に関連し合って仕事を進めるシステムとしての職場に余裕や余力があれば、そのような支援も生まれやすい。しかし新参だからといって過保護にするのではなく、本人にとって未知の世界を自分なりに探索させる自由もまた必要だ。

 

・状況に応じた自己改革・成長が、自分からも主体的にできるし、要望を果たすという形でもできると、職場への順応もはかどる。その間、必要な対人関係のネットワークをうまく形成することも大事だ。上に立つ人の監督やメンタリングがあり、職場への貢献度わかるように業績のフィードバックがあることも大事だ。

 

・課題達成においても、協働すべき人々との人間関係においても、継続して打ち込む気になれるし、信頼も生まれる。手順を示すよりも、目標が定まると、その目標に対して自分の裁量で工夫しながら、仕事がさらにうまくこなせるようになっていく。

 

【参考】

『働くひとのためのキャリア・デザイン』金井壽宏著 PHP研究所

キャリアはデザインするものなのか?④(トランジション・サイクル・モデル1)

■キャリアとは何か?

 

キャリア論では、キャリアについて、おおよそ次のようなコンセンサスができつつあります。

 

キャリアとは

  長期にわたるものなので、不確実でデザインのしようがない

  なにが起こるかわからないので、偶然に身を任せたほうがよい

  いつもキャリアのことを考えているのはうっとうしい

  その一方で時代は働く個人にキャリアについて考えるように要請し始めている

  節目のときだけは絶対に意識してデザインすべきものがキャリアだ

 

キャリア論を研究する神戸大学の金井壽宏教授は,次のように主張しています。

20年,30年先のことはデザインできない。だからこそ,数年に1回ぐらいは訪れる節目(例:就職,異動,昇進,結婚,キリの良い年齢など)だけはデザインしたい。

・節目でキャリアを意識ないとずっと流されたままになってしまう。逆に節目だけデザインして,不確実な中にも方向感覚を持っていれば,節目と節目の間は,多少とも流されてもいい。その中で偶然の機会が訪れるが,それは夢や方向感覚を節目のときに抱いてこそ見えてくることが多い。

 

 

■トランジション・サイクル・モデル

 

いつも将来のキャリアについて考えているのも無意味だが,かといって流されっぱなしもまずい。では,私たち社会人はどのような姿勢でキャリアを歩むべきでしょうか。

ロンドン・ビジネススクールのナイジェル・ニコルソンの「トランジション・サイクル・モデル」というものがあります。これは、キャリアを次の4つの段階からとらえるものです。

 

○第1段階(新しい世界に入る準備をする)

 

○第2段階(実際にその世界に入り,新たなことに遭遇する)

 

○第3段階(新しい世界に溶け込み順応する)

 

○第4段階(もうこの世界に目新しさを感じず,慣れて安定化する)

キャリアトランジションモデル

「A:課題と目標」「B:不適応の場合」「C:上手く適応するための方策と救済策」を示しています。

 

人はこのサイクルを一生で何周もします。たとえば営業,総務,企画と移動するごとに周回するイメージです。数年の期間では,1週ずつのサイクルをより深く生きることが重要です,それが「ひと皮むける」ことにつながります。

 

また,次のサイクルに入った時には,以前のサイクルとの関連性を考え,より上手くサイクルを周れるようにします。つまり,単に同じようにぐるぐる回るのではなく,スパイラルアップするように高度化していくことが重要です。

 

「将来がまずあるのではなく,今の積み重ねの延長に将来があり,積み重ね方でキャリアが開かれる」という考え方を大切にしたいところです。

 

 

【参考】

『働くひとのためのキャリア・デザイン』金井壽宏著 PHP研究所

キャリアはデザインするものなのか?③(計画された偶発性2)

前回、「計画された偶発性理論」について取り上げました。確かに私たちは、自分で計画してキャリアを歩んでいるというより、たまたまの出会い、たまたまの入社、たまたまの仕事といった偶然の機会を契機にキャリアを歩んでいる部分が大きいでしょう。

 

■偶然の機会をつかむための5つのスキル

 

「計画された偶発性理論」では、偶然の出来事をキャリア形成の好機とみなし、それをうまく利用するように促します。偶然の好機をものにするには、それに乗れるだけの力をつけておく必要があります。さらには、偶然の好機が訪れるのを受身で待つだけでなく、積極的に生み出す努力も必要です。そのために開発すべきスキルとして、次の5つを挙げています。

 

  好奇心

新たな学習機会を積極的に求めること(後で何が役に立つか分からない)

  粘り強さ

つまずいてもすぐに諦めずに頑張り続けること

  柔軟性

状況に応じて考え方や行動の取り方を調整し変更すること

  楽観性

新たな状況でも萎縮せずに、何とかなる、うまくいくと前向きに構えること

  冒険心

結果が不確かでもリスクを過度に恐れず、とりあえず全力を尽くしてみること

 

 

■レジリエンス

 

人の成長に大きな影響を及ぼす要因として、近年、心理学で注目されているのが、レジリエンスです。これは、回復力、立ち直る力を意味します。

 

上司や客先から怒られると急激に落ち込んだり、出社拒否したりする人がいますが、こうした人はレジリエンスがかなり低いといえます。

 

自信を持って臨んだ仕事でも、受け入れてもらえないことはよくあることです。そこでいちいち仕事に差し支えるくらい落ち込んでいたら、先には進めないでしょう。

 

逆にたとえ自分の考えが受け入れられなくても、「何が悪かったのか」「どうすれば良かったのか」振り返り、次に繋げる逞しさが欲しいです。

 

現在の状況が自分にとって満足がいくものでなくても、何か自分の糧となるスキルが得られるはずだという気持ちが、将来の自分を切り開くことになります。

 

 

【参考】

『ビジネス心理学 100本ノック』榎本博明著 日本経済新聞出版社

キャリアはデザインするものなのか?②(計画された偶発性1)

「自分の強みが分からない」「本当にしたいことか分からない」多くの人がそのような悩みを持っていると思います。「やってみたら向いているかどうか分かるし,やっているうちにスキルや知識が身につき,それが強みになる。それを繰り返しているうちに,強みが増え,その結果,自分が本当にやりたいことが見えてくる。」キャリアとはそういうものなのです。

 

また、強みややりたいことが仮に今分かったとしても、将来、環境の変化でいくらでも変わりえます。しかしながら、こうした状況の中、ただ単に受身的に流されるだけでは自分のキャリアにプラスにならないことは言うまでもないでしょう。

 

 

計画された偶発性理論

 

キャリアは思いがけない出来事に左右される、これを扱ったものにクランボルツの「計画された偶発性理論」というものがあります。

 

クランボルツは、学生時代、いくら考えても何を専攻すればよいのか分からず、たまたまテニスを習っていたコーチが心理学の教授だったため心理学を専攻し、その偶然が心理学者としての今の自分につながっているという自身の経験に基づいて、その理論を打ち立てました。そして、現在のような先の見えない不確実な時代には、長期にわたるキャリアプランを持たないことは、かえって賢明な生き方ではないかと主張します。

 

計画された偶発性理論では、従来は優柔不断とか決断できないというように否定的に評価されていた未決定の心理状態を肯定的にとらえ直し、心を開いた状態を維持することの大切さが強調されます。

 

新たな状況や変化に対応していくためには、開かれた心を保つ必要があります。心の開放性を保つためには、未決定な曖昧な状況に耐える力が必要です。

 

【参考】

『ビジネス心理学 100本ノック』榎本博明著 日本経済新聞出版社

キャリアはデザインするものなのか?①

「金よりもやりがい(自己実現)が大事」ということがよく言われます。確かに。仕事にやりがいを求めるのは自然なことです。「自分の強みや,やりたいことを明らかにし,自己実現できる仕事を選ぶことが大切だ」ということで,大学でも早ければ1年くらいからキャリアデザインを履修するようですし、社会人になっても会社からキャリアデザインを求められるケースが多くなっています。

 

■キャリアはデザインするものなのか?

 

典型的なキャリアデザインというと,「5年後,10年後,30年後の自分のなりたい姿を思い浮かべ,その実現に向けて準備する」というものでしょう。そのために自分の強みを棚卸するように求められます。

 

しかし、「将来の自分のなりたい姿」「自分の強み」を明らかにできる人はどれくらいいるのでしょうか?社会経験がほとんどない学生にはまず無理な話でしょう。逆に「自分のなりたい姿」「自分の強み」がはっきりしているほうが不自然です。「社会経験がないのになぜ分かるのか?」「ただの思い込みでは?」と私なら疑ってしまいます。

 

もっとも原因は、そうしたことを面接やエントリーシートで安易に求める大人(会社)側にあると思います。私も就職活動のときに、逆に面接官やリクルーターに「就職する時にあなたの強みは何でしたか?」「どういうキャリアを思い浮かべていましたか?」「実際にそのようなキャリアを歩んでいますか?」と聞いたことがあるのですが、納得できる答えは得られなかった記憶があります。おそらく面接する方も確かなものなどなかったのではないでしょうか?

 

これは社会人でも同じだと思います。「これからどうしたいのか?」聞いても、「仕事と家庭を両立したい」「出世したい」「金をたくさん稼ぎたい」「世の中に貢献したい」「自分にあった仕事をしてやりがいを感じたい」といった返事は出るかもしれませんが、結局は学生時代と同じで、抽象的な話レベルであることが多いのではないでしょうか?

 

 

■自己実現にこだわる愚かさ

 

自分のやりたいことや強みがはっきりしないのに、自己実現のためのキャリアデザインをしようとすると大変困ったことになります。変に「どうしたいのか」「自分の強みは何か」にこだわってしまうと、(もともと客観的に答えられないようなことなので)そこで脚が止まってしまい,就活などとてもできなくなります。

 

また社会人なら、「今の仕事は本当にやりたいことなのか?」「自分の適性に合ったものなのか?」考え出したら、目の前の与えられている仕事に身が入らなくなり,キャリアにプラスになることが何も得られないという無駄な時間を過ごすことになってしまうでしょう。

 

 

■正しいキャリアの考え方

 

このような実態を受けて,キャリア論の専門家の中から,「そもそもキャリアは事前にデザインするものではない」という意見が多く出ています。「結局,仕事はやってみなければ分からない」というわけです。

 

「やってみたら向いているかどうか分かるし,やっているうちにスキルや知識が身につき,それが強みになる。それを繰り返しているうちに,強みが増え,その結果,自分が本当にやりたいことが見えてくる。」

 

これが正しい将来のキャリアに対する考え方なのです。

 

【参考】

『自己実現という罠 』榎本博明著 平凡社

成長戦略の経済的効果⑤

前回までの議論を踏まえると、確かに「労働の生産性を上げると総需要が上がってGDPが上昇し、物価が上昇して脱デフレが実現する」という主張には合理性があります。

なんとなく労働生産性を上げることは良いことだから、きっとGDPも上がるのだろうと思いがちですが、実際はどうなのでしょうか?

 

 

■現在の日本では「古典派の第一公準」は機能しない

 

古典派の第一公準を振り返ってみます。「労働者の生産性(限界生産力)が上昇すれば、追加で人を雇ったら生産量が大きく増えるので、それが販売されたら大きく収入が伸びるのだから、たくさん人を雇ったほうがよい」ということでした。つまり「生産されたものはすべて販売される」ということが前提になっています。

 

しかしながら、現在の日本のように、国内市場が成熟化している状況では、「生産されたものはすべて販売される」という前提が成り立ちませんから、古典派の第一公準が当てはまる状況ではないといえます。

 

前回、触れたように、高度経済成長においては、労働者の生産性(限界生産力)が上昇することで雇用が増加し、それが設備投資の増加と実質賃金の上昇をもたらし、消費が増加する」という好循環があったわけですが、これは国内市場が拡大するという前提があったからです。さらに付け加えれば、そもそも政府の財政政策と日銀の金融政策によって、需要が拡大したということが、前提条件としてあります。

 

 

■生産性が上がっても賃金は低下する

 

また素朴に「労働者の生産性が上がるとしたら、企業としては追加の雇用を控えるのでは?」という疑問もあります。現有の人数でも高い生産量が実現できるとしたら、新しく人を雇う必要はないし、場合によっては、人を減らすということも考えられます。

 

そうなると、失業率が上がるので、1人あたりの生産性があがっているのに、労働市場全体では、賃金が低下することになります。賃金が下がれば消費が減少し、GDPは増えずに、物価は低下することになります。

 

特にデフレが長く続き、企業が雇用に慎重になると、このような傾向が強くなります。実際に2000年代以降の日本を見ると、労働生産性は上がっているにもかかわらず、名目賃金が下落している年が多く見られます。それに応じて物価も上昇せず、デフレ経済が長引きました。

 

それは企業が省力化投資や生産プロセスの見直しを進めた結果、労働者1人あたりの生産性が上昇する一方で、正社員の賃金を抑制したり、非正規化を進めた結果、賃金コストを安く抑えてきたからです。

 

「1人あたりの生産性が上がれば、それだけ賃金が上がる」この当たり前のような話が、実は当たり前ではないというのが実証的に示されているのです。もし1人あたりの生産性の上昇を賃金の増加やGDPの増加につなげたいのであれば、総需要を増やすことが必要であり、そのためには政府や中央銀行による財政政策、金融政策が求められます。

 

 

【参考】

『アベノミクスの真価』原田泰、増島稔編 中央経済社

 

成長戦略の経済的効果④

前回、古典派の第一公準について取り上げました。これによれば、「労働の限界生産力が実質賃金と等しくなる」水準で労働需要量(雇用量)が決定します。

 

■労働の限界生産力が上昇すると、実際の雇用量が増加する

 

成長戦略とは、生産性の向上のための政策なので、労働者の生産性、ここでは労働の限界生産力(追加で労働者を1人雇って生産ラインに投入した場合に、増加する生産量)を上げるための政策ということになります。働き方改革もこれに沿った政策です。

 

下図のように労働の限界生産力が上昇すると、実際の雇用量が増加します。

古典派の第一公準(限界生産力の上昇

これは、「追加で人を雇ったら生産量が大きく増えるので、それが販売されたら大きく収入が伸びるのだから、たくさん人を雇う」ということを意味します。

 

 

■生産性とGDPの好循環

 

実際の雇用量が増加すると設備投資が進みます。労働者は機械設備を使って生産するからです。また労働需要が増えるので、実質賃金も増加し(ただし労働の限界生産力の伸び以上には増加しません)消費が増えます。需要項目である投資と消費の増加は、さらなる生産(GDP)の増加をもたらし、それによって設備投資と雇用の増加、および消費の増加という好循環をもたらします。需要が増えるので、この過程で物価が上昇する可能性があります。実際に日本でも高度経済成長ではこの好循環が生まれたのです。

 

労働の生産性を上げると総需要が上がってGDPが上昇し、物価が上昇して脱デフレが実現するという主張の背景には、このような古典派の第一公準の考え方があるのです。

成長戦略の経済的効果③

労働の生産性を上げると総需要が上がってGDPが上昇し、物価が上昇して脱デフレが実現するという主張があります。この主張にあるのが、ミクロ経済学の「古典派の第一公準」です。今回は前段階として、古典派の第一公準を取り上げます。

 

古典派の第一公準とは、「労働の限界生産力が実質賃金と等しくなる水準で労働需要量が決定する」というものです。

 

労働の限界生産力とは、「追加で労働者を1人雇って生産ラインに投入した場合に、増加する生産量」です。これまで生産ラインに8人投入して生産量が100個だったとします。ここで、追加で1人雇ってラインに投入したら生産量が合計で110個になったとしたら、限界生産力は10個になります。

 

労働者をどんどん追加で投入したら、生産量の合計は増えるでしょうが、比例的に増えるわけでなく、だんだんと生産量の増え方は減少するのが普通でしょう。これを限界生産力逓減といいます。また生産された製品は市場で販売されますので、労働の限界生産力は個数換算で考えた収入の増加分にあたることになります。

 

一方、実質賃金は「名目賃金÷物価水準」と定義されますが、ここでは簡略化して「単に1人あたりの賃金」とします。追加で1人雇うことで賃金が発生しますから、実質賃金は「労働者を追加で雇った場合の追加的な費用」という意味を持ちます。

 

また、基本的には新しく労働者を雇っていっても実質賃金は変わりません。ちなみに実質賃金は、古典派の第一公準では、個数換算で考えます。「追加的な費用(賃金)は、生産した製品の何個分の価値に相当するか」というイメージです。

 

労働需要量は、「企業が需要する労働者の量」ですが、企業が需要する人数だけ実際に雇われるので、「実際の雇用量」と置き換えることができます。求人数が2人なら、実際に2人雇われるというイメージです。

 

この関係を図で示すと、次のようになります。


実際の雇用量は、「労働の限界生産力=実質賃金」となる水準で決まります図でいうと、左側は「労働の限界生産力>実質賃金」なので、追加で1人雇ったときの追加的な収入が、追加的な費用を上回り、差額分が追加的な利潤になります(図の矢印)。

 古典派の第一公準

「労働の限界生産力=実質賃金」となるまで雇用を続ければ、矢印の合計である図の左上の青線で囲まれた三角形が利潤合計となり、利潤が最大化されるのです。一方、それを超えて雇用すると、「実質賃金>労働の限界生産力」となり、差額分が追加の損失となります。よって、企業は「労働の限界生産力=実質賃金」の水準の雇用量を超えてまで雇用することはありません。

 

成長戦略の経済的効果②

■成長戦略の具体的な中身

 

前回触れたように、成長戦略は、潜在GDP(潜在総供給力)を上げるための政策ですから、生産性の向上につながるものはすべて該当します。規制緩和(民間の活力を活用した生産性の向上)、制度改革、働き方改革、AI活用、TPP(海外の活力の活用)などです。

 

個々の企業レベルや個人レベルで生産性の向上に努めるのはまったく妥当なことですが、政策レベルではそうとは限らないことは前回触れたとおりです。

 

 

■規制緩和の経済的効果

 

ここでは成長戦略の1つである規制緩和について取り上げてみます。結論からいえば、規制緩和は単独の産業の活性化につながることはありますが、全体の潜在総供給力の向上にはほとんど影響がないというのが実情です。

 

現日銀審議委員の原田泰氏は「第3の矢の成長戦略とは、1つの矢ではなく、無数の吹き矢の集合体のような政策である」と述べています。複数の規制緩和や制度改革を行って、ようやく効果が出始めるというレベルです。

 

「第3の矢が大事」という識者が多いですが、実際にその経済的効果を定量的に示したデータはあまりありません。その中で教育拡充(学力トップレベルの向上)やTPPの効果を試算した森川氏(2015)によれば、「10年以上のスパンでGDPを1.5%押し上げるレベル」であり、「政策で潜在成長率を大幅に引き上げるのは容易なことではない」と結論づけています。

 

 

■規制緩和への政治的抵抗

 

さりとて明らかに非効率なことを放置すべきではなく、私としても規制緩和を進めるべきだという立場です。

 

規制緩和というと、近年では加計学園騒動が思い起こされます。長年に渡り文科省が獣医学部の認可どころか、申請させもしないという行政指導で、実に52年も新設学部がないという異常事態が続いていたことが一般国民にも知れ渡りました。

 

国家戦略特区ワーキンググループ議事要旨を見ると、文科省の執拗な抵抗が見て取れます。本ブログでも取り上げたのでご参照ください。

http://bgeducation.blog.fc2.com/blog-entry-370.html

 

このように規制緩和は所管省庁の抵抗がすさまじく、さらに既得業者、それにくっついている族議員の激しい抵抗があり、進めることは容易なことではなく、そういった政治的な問題からも実際にすぐに効果を期待することは現実的ではないと言わざるを得ません。

 

 

【参考】

『アベノミクスの真価』原田泰、増島稔編 中央経済社

 

成長戦略の経済的効果①

アベノミクスの第一の矢「金融政策」、第二の矢「財政政策」に比べ、あまり取り上げてこなかった第三の矢「成長戦略」について取り上げたいと思います。

 

 

■成長戦略とは

 

首相官邸ホームページを見ると、「第3の矢 民間投資を喚起する成長戦略 規制緩和等によって、民間企業や個人が真の実力を発揮できる社会へ」とあります。

 

経済学的にいうと、成長戦略は成長政策にあたり、「潜在GDP(総供給力)を上げる」ための政策になります。潜在GDP(総供給力)とは、「過去のトレンドから平均的に生産要素(労働力や資本など)を投入したときに実現するGDP(供給水準)」と定義されますが、簡単にいえば「現在の国全体の労働力や機械設備などの生産手段をフル稼働させたらどれくらいのGDP(供給水準)が実現するか」を示しています。

 

 

■なぜ潜在GDPを上げたいか?

なぜ、潜在GDPを上げたいかというと、GDPは国内総生産なので、いくら国内の総需要が高くなっても、それに対応できる国内の供給力がなければ、GDPは上昇しないからです。

 

一方、GDPは国内の総需要水準で決まるという側面もあります。国内の総需要があまりなければ、いくら国内の供給力があっても、総需要以上に生産するなんていうことはしないからです。

 

つまり「国内総需要>潜在GDP(潜在総供給力)」ならば、実際のGDPは潜在GDPで決まり、「国内総需要<潜在GDP(潜在総供給力)」ならば、実際のGDPは国内総需要で決まります。

 

この関係を図で示すと、次のようになります。総需要は浮き沈みがあるので、波線になっています。一方、潜在GDPは毎年一定程度上がっていきます。これは、人は経験を積むことで少しずつは仕事を効率化でき、生産性が高まるからです。星印は実際に決まるGDPの水準です。

国内GDPの決定

一方、成長政策(成長戦略)は、潜在GDPを上げるための政策なので、次のようになります。

成長戦略

上の図で真ん中の「総需要>潜在GDP」のときに実現するGDPの水準は上がることになります。それまでは総需要に総供給が追いつかずに低い総供給の水準だったのが、総供給力が高まったことで、総需要に対応することができるからです。

 

 

■成長戦略はタイミングが大事

 

しかしながら、それ以外の「潜在GDP>総需要」のときは、GDPはまったく変わらないどころか、超過供給分(総供給-総需要)が増加することになります。いわばモノ余りに近い状態なので、価格は下がりデフレ圧力が生じます。

 

成長政策はタイミングが悪ければ、かえって逆効果になるのです。「潜在GDP>総需要」のとき、つまり需要不足のときは、成長政策ではなく、需要を増やす政策(有効需要管理政策)が必要です。


日本は内需国なのに、なぜ輸出の影響を受けるのか?②

 

前回、日本は内需国にもかかわらず、GDPが輸出の影響を受けやすいということについて触れました。

 

 

■輸出の影響は国内にも及ぶ

 

なぜ、日本は輸出依存度が低いのに、輸出が低下するとGDOの成長が大きく阻害されるのでしょうか。

 

考えられる理由として、輸出の影響が輸出だけにとどまらず、国内の設備投資にも影響をもたらすことが挙げられます。

 

「実質輸出の伸び率」と、設備投資と相関を持つ「鉱工業生産の伸び率」の国際比較(1995年以降)を見ると、日本の相関は0.96と高くなっています。

 

日本 0,96

イタリア 0,92

フランス 0,91

ドイツ 0,91

スペイン 0,85

ノルウェー 0,79

アメリカ 0,76

イギリス 0,74

スイス 0,67

韓国 0,54

 

特に電機産業や自動車産業を中心に、系列と呼ばれるサプライチェーンが国内に張り巡らされ、輸出が減るとそれに応じて設備投資が減少し、さらに乗数効果で消費も減少するという状況が考えられます。

 

 

■為替の変動が大きいほど、企業は設備投資に慎重になる

 

輸出は為替の変動を大きく受けるわけですが、為替の変動が大きいほど、企業は輸出に向けた国内の設備投資に慎重になります。

 

1995年1月から2018年3月までの「各国・地域の通貨の変化率(対ドル)平均」を見ると、円の変化率は高く、国内投資を控える(GDP低下)要因となった可能性があります。

 

オーストラリア(ドル) 10,5%

日本(円) 9,4%

ノルウェー(クローネ) 8,9%

ユーロ圏(ユーロ) 8,6%

スイス(フラン) 7,4%

イギリス(ポンド) 7,0%

カナダ(カナダドル) 6,3&

中国(元) 2.0%

韓国(ウォン) 1.9%

 

電機業界の企業の売上と円ドル為替レートの相関係数は0.8程度もあり、1円の変動で業界全体で約4000億円も売上が変わるとも言われています。

 

また名目GDPと為替レートとの間にもかなりの相関があることが指摘されています。10%程度の円安で名目GDPが0.5%程度上昇するとの指摘があります。

 

【参考】

『アベノミクスの真価』原田泰、増島稔編 中央経済社

 

プロフィール

三枝 元

Author:三枝 元
1971年生まれ。東京都在住。読書好きな中年中小企業診断士・講師。資格受験指導校の中小企業診断士講座にて12年間教材作成(企業経営理論・経済学・組織事例問題など)に従事。現在はフリー。
著書:「最速2時間でわかるビジネス・フレームワーク~手っ取り早くできる人になれる」ぱる出版 2020年2月6日発売
「中小企業診断士のための経済学入門」※絶賛在庫中!
連絡先:rsb39362(at)nifty.com
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