さようなら安倍政権①
ご存知のとおり、8月29日、安倍首相が辞任を発表しました。任期があと1年余りとなりレームダック化や、そして健康不安説が取り沙汰されていたものの、突然の辞任に大きな衝撃が日本中を走りました。
思えば2012年12月の第二次安倍政権発足のとき、「これから日本は変わる」という大きな期待を寄せられた方も多かったと思います。国政選挙に6連勝し、7年8ヶ月という歴代最長の政権を維持しました。
失業率の大幅な改善、とりあえずのデフレ脱却、日米を基軸とした安全保障体制の整備など功績を挙げながら、残念ながら念願の憲法改正については発議すら至りませんでした。規制緩和についても十分な成果を上げることができませんでした。よく「長期政権なのにレガシーがない」という声がありますが、「安倍政権ですらできないほど抵抗が強い」というのが私の感想です。
安倍政権の7年8ヶ月を振り返ると、霞ヶ関とマスメディアとの戦いの日々であったと思います。選挙の洗礼を受け退陣もありうる政治家と異なり、官僚組織は政権が変わっても温存され、政権を超えるほどの大きなパワーを持ちえます。特に予算編成権と国税調査権を持つ財務省は最強官庁とも呼ばれ、官邸に補佐官や秘書官を多数配置し、他省庁やマスメディアにも絶大な影響力を及ぼします。
安倍首相自身は反対であった消費増税についても、2014年の8%への引き上げ時には旧民主党時代の三党合意に縛られ、その後2回の延期を行うも、2019年10月には10%への引き上げを余儀なくされました。「リーマンショック級のことがあれば増税はしない」という公約から考えれば、それ以上のコロナショックが起きた以上は消費税を引き下げるのが妥当です。しかしそれでも減税を行わなかったのは、財務省とその影響下にある与党政治家、御用学者、マスコミの抵抗が大きく、憲法改正の前に政争が起きかねないという配慮があったのではないかと思います。
短命に終わった第1次政権下においても、行政改革に積極的な政権に対し、猛烈な倒閣運動があったといいます。特に解体が決まった旧社会保険庁の自爆テロとも言える「消えた年金問題」は政権に致命的なダメージを与えました。
「自身が正しいと信じる政策を押し通すと必ず足を引っ張られるので、多少疑問に感じることであっても妥協すべきところは妥協する」というのが1次政権で学んだ安倍首相の教訓であったのではないでしょうか。「安倍独裁」などと言われますが、長期政権を誇る内閣ですら微妙なパワーバランスの上に成り立っているのです。憲法改正のために妥協を続け、最後の勝負にかけていたとしたら、首相の無念さはいかばかりであったかと思います。