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活かされた教訓と活かされなかった教訓(日米の経済政策のスタンス)

前回までの話で、世界大恐慌後、日本は先進国の中でもいち早く経済回復した国の1つであることについて取り上げました。高橋是清蔵相在任中の実質経済成長率は平均で約7%、物価上昇率は約2%というまさに驚異的な実績であったにもかかわらず、その事実が日本では歪曲され続けたことがその後の金融政策のスタンスに大きく影を落としたように思えてなりません。

今回はなぜこのような歪曲された事実解釈に至ったのか、やや私見を交えて考えてみたいと思います。


■金融緩和は負け、金融引き締めは勝ち

現在では日本銀行は1998年の日銀法改正以降、中央銀行としての独立性を確保していますが、それまでははっきり言って大蔵省(現財務省)の植民地的な扱いであったと言われています。つまり財務省(あるいは政府)の指示で金融政策を行っていたということです。

このことは現在でも日銀の金融政策決定会合のメンバーが国会決議を要すること、日銀総裁が日銀プロパーと財務省出身者とで交代で就任していることからも察することができます。

中央銀行としての日本銀行にとってこれは屈辱的なことであり、行内では金融緩和を意味する金利引き下げ(多くは財務省や政府からの景気刺激要請による)は負け、逆の金利引き上げは勝ちと呼んでいたという話もあります。


■組織のアイデンティティが優先された?

このような背景がありますから、政府からの指示で日銀が国債の直接引受をやらされた高橋財政の評価は日本銀行内では当然ながら極めて低いものとなるでしょう。

日本銀行が編纂した「日本銀行100年史」には、国債直接引受について、「本行の歴史始まって以来の最も遺憾とすべき事柄であった」と書いてあります。さらに高橋是清に協力した結果、ひどいインフレになったとあります。

しかしながら前回触れたように、データを見ればこれは明確な誤りです。
高橋財政下では物価上昇率は2%程度で抑えられており、物価が上昇したのは226事件で高橋が暗殺され、軍部拡張が進んで以降の話です。

このような金融緩和に対する強烈なアレルギーが、バブル経済崩壊後のデフレ下においても金融緩和に消極的な日銀の姿勢に受け継がれているように思えます。

先日、たまたま日銀の職員の方と少しお話する機会がありました。極めて物腰の柔らかい方なのですが、こちらが「なぜ白川総裁時代にデフレを放置したのか」尋ねてみたところ(まあ尋ねるほうも尋ねるほうですが)、「デフレのほうが資産が守られてよい」と強い口調でおっしゃいました。日銀の金融緩和に対する拒否反応を垣間見たように感じました。

素直に言えば、日本銀行という組織のアイデンティティが金融政策に対するスタンスを決めてしまったという気すらします。


■活かされた教訓

このように日本では世界的に見ても優れた経済政策が行われたにもかかわらず、その成果を教訓として活かしたのは、皮肉にも世界大恐慌からの復活が遅れたアメリカです。

世界大恐慌からの復活の遅れの原因を、早々に金融引き締めに転じたことであるとし、リーマンショック後の大規模な金融緩和政策に活かしています。当時のFRBの議長が恐慌研究の第一人者であり、日本の金融政策の研究発表もあるベン・バーナンキ(プリンストン大学経済学部教授)であったことは、まさに時宜に適ったものです。

日本人でノーベル経済学賞を受賞した人はいません(候補として取りざたされる日本人もアメリカの大学に移籍した人に限られます)。またFRBの議長はPh.D保有者であることが一般的ですが、日銀の総裁はせいぜい修士レベルです。

こと経済政策については、研究面でも実行面でも過去の教訓を活かすという点においてアメリカのほうが勝ると言わざるを得ません。


【参考】
『もうダマされないための経済学講義』若田部昌澄著 光文社
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プロフィール

三枝 元

Author:三枝 元
1971年生まれ。東京都在住。読書好きな中年中小企業診断士・講師。資格受験指導校の中小企業診断士講座にて12年間教材作成(企業経営理論・経済学・組織事例問題など)に従事。現在はフリー。
著書:「最速2時間でわかるビジネス・フレームワーク~手っ取り早くできる人になれる」ぱる出版 2020年2月6日発売
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